第3話『ハデスの眼、ガイアの部屋』恋愛小説部門
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今回の戦も、我が軍の勝利で終わった。
だが俺の心は、勝利の余韻などまるで感じていなかった。頭に浮かぶのは、あの市場で出会った女のことばかりだ。
だから俺はまた市場へ来ていた。もちろん、オーファンとの『宴』の支度もある。だが今日は、それだけじゃない。
人混みの向こう、果実籠の並ぶ露店の影に彼女はいた。隣には、あの少年もいる。
「メジェン!」
思わず声をかけると、彼女は顔を上げ、静かに微笑んだ。
「ウチェリファン様……ご無事で何よりです」
「まあな。圧勝だった。俺が死ぬはずないだろ?」
「人は皆、いつか死にます。どうかご無理はなさらないでください」
その言葉に、俺は少し笑った。
「俺を殺せるとしたら、オーファンか……死の神ぐらいだろうな」
隣にいた少年が、勢いよく身を乗り出した。
「本物だ……! 本物のウチェリファン様だ!」
「君がメジェンの弟か?」
「はい! ジンです!」
メジェンが少し困ったように笑った。
「弟は、ウチェリファン様とオーファン様の話ばかりで……心から憧れているんです。会えるなんて夢みたいだって」
俺は思わず笑ってしまった。
「憧れか。変わった奴だな」
「そんなことありません! この国の英雄です!」
「英雄、ねえ……敵国から見れば災厄だろうがな」
ジンの目がさらに輝いた。
「でも僕にとっては英雄です! 聞いたことがあるんですが、オーファン様がひとりで最前線へ突っ込むって本当なんですか!?」
「ああ。本当だ」
「すごい……!」
「めちゃくちゃだろ? 大将のくせにな」
ジンは興奮したまま、さらに言葉を続ける。
「それに、ウチェリファン様は人の心を読むみたいな采配をするって聞きました!」
「まあ……そんなふうに言われることはあるな」
「本当なんですか!?」
「どうだろうな。天から授かった才、とでも言えばいいのかもしれん」
ジンは、まぶしいものを見るような顔をした。
「僕もそうなりたいです!」
俺は笑うのをやめた。
「やめておけ」
「え?」
「俺もオーファンも、結局は"人を殺すための才"を持っているだけだ。大量に殺すための器用さだよ。そんなもの、ない方がいい」
ジンは黙った。少し気まずい沈黙が落ちる。
「……ごめんなさい」
「いや、気にするな。少し意地悪だったな」
隣でメジェンも小さく頭を下げた。
「本当にごめんなさい。弟が失礼なことを……」
「いや。素直ないい弟じゃないか」
俺は笑いながら、ふと思いつく。
「そうだ。せっかくだ。何か食っていくか? 干し肉はどうだ?」
ジンの顔が一気に明るくなる。
「食べたことないです!」
俺は思わず吹き出した。露店をまわり、良さそうな干し肉を選ぶ。少し奮発した。
「ほら。ジンの分。メジェンの分もある」
「……いいんですか?」
彼女は信じられないものを見るような顔をしていた。俺は自分の肉をかじりながら笑う。
「こうやって食うんだ。ジン、やってみろ」
ジンは勢いよく噛みついた。目を丸くして、ただ噛みしめている。どうやら言葉も出ないらしい。
メジェンもそっと口へ運んだが、うまく噛み切れなかったようだ。俺は自分の肉を小さくちぎり、彼女へ差し出した。
「こっちの方が食べやすい」
「……ありがとうございます」
彼女はそれを口に含み、ゆっくり丁寧に噛みしめる。飲み込んだあと、目にうっすら涙を浮かべながら言った。
「……こんなに美味しいもの、生まれて初めてです」
「はは、そうかそうか、それはよかった」
「ワタシにはお金も贈り物もできるものもないんです。あるとすれば……この命くらいしか……」
「待て待て、命なんていらん。俺は戦場以外で命を取ったことはないぞ」
ジンが嬉しそうに言葉をかぶせる。
「僕も感動してます! こんな干し肉、死んでもいいくらいです!」
「そんな簡単に死ぬな」
そう言いながら、ふたりの顔を見る。こんなことで、そこまで喜ぶのか。
「なあ、一度お前たちの家へ行ってみてもいいか?」
メジェンの肩が小さく震えた。
「そんな……あんな下賤の者の居場所に、ウチェリファン様をお連れするわけにはいきません!」
「まあいいじゃないか。幻滅なんてしないさ。もっと君たちのことを知りたいんだ」
ジンが嬉しそうに飛び跳ねた。
「わーい! ウチェリファン様がウチに来る!」
「ほら。ジンもこう言ってる」
メジェンは小さく息を吐き、ようやくうなずいた。
「……わかりました」
俺はジンの手を取り、そしてもう片方の手でそっとメジェンの手を引いた。
「さ、行こう」
その手は冷たかった。なのに俺の手には、熱いものに触れたかのように、じわりと汗がにじんでいた。
