小3からの幼馴染夫婦、『普通』じゃない道のり。遠距離8年、離婚危機、死産…全部ひっくるめて私たちの今
こんにちは、Pumehana(プメハナ)です。
突然ですが、皆さんのパートナーって、いつ、どこで出会った方ですか?
実は私の夫、なんと小学校3〜4年生の時の同級生なんです。 まさか、あの頃一緒に公園で走り回っていた彼と、30年近い時を経て、今こうして家族になっているなんて。人生、本当に何が起こるかわかりませんよね。
(ちなみに当時の私は、ショートヘアで男の子と走り回ってばかり、習い事は剣道、という活発女子でした。…今もあまり変わっていないかもしれません。笑)
現在は、元気いっぱいの4歳の息子と、もうすぐ生まれてくる新しい家族を心待ちにする、比較的穏やかな毎日を送っています。 夫はすでに有給休暇に入っていて、これから約1年間、育児休業を取得してくれる予定。本当にありがたいことだと感じています。
でも、今のこの穏やかな日々にたどり着くまでには、正直、結構いろいろありました。 平坦な道のりどころか、山あり谷あり、時には「もうダメかも…」と思うような大きな波にも何度も見舞われて。
「よくここまで来たなぁ…」
それが、夫婦としてのこれまでの道のりを振り返っての、私の正直な感想です。
今回のnoteでは、そんな私たちのリアルな歩みを、ダイジェストにはなりますが、振り返ってみようと思います。
もし今、パートナーとの関係に悩んでいたり、人生でちょっと大変な時期を過ごしていたりする方がいたら、 「へぇ、こんな夫婦もいるんだな」 「完璧じゃなくても、なんとかなるのかも」 なんて、少しでも肩の力が抜けるような、そんな風に感じてもらえたら嬉しいです。
特別な解決策が見つかるわけではないかもしれませんが、よかったら、しばしお付き合いください。
途切れた糸、18歳で再び - そして8年の遠距離恋愛へ
夫との最初の出会いは、小学校3年生のクラス替え。 彼はクラスの中でもやんちゃで面白い、ちょっと目立つタイプの男の子だったように記憶しています。
彼ともう一人の女の子と私の3人で、休み時間や放課後によく遊んでいました。夫が通っていた絵画教室に一緒に通うようになったり、お互いの家や公園で遊んだりしたのもよく覚えています。(私が人生唯一の骨折をしたのも夫とアスレチックで遊んでいた時でした。笑)
そんな日々も束の間、小学校4年生の終わり、5年生になる直前に、彼が親の仕事の都合で地方へ引っ越すことに。あっけないお別れでした。
そこからは年に一度、私が送った年賀状に彼のお母さんから返事が来る程度。 中学生になってお互い携帯を持つと、本当にたまーにメールをするくらいの、細々とした繋がりでした。

大きな転機が訪れたのは、高校3年生の時。 彼の18歳の誕生日に、授業中にふと「元気かな?」と思ってメールを送ってみたんです。
アドレスが変わっていたようで最初はエラーになってしまいましたが、念のためSMSでも送ってみたら、なんと返信が!
彼はちょうど風邪で寝込んでいたらしいのですが(笑)、そこからメールのラリーが始まりました。 お互いに大学進学や留学が決まった、人生の節目だったこともあり、話がすごく弾みました。
10日ほどメールを続けた後、「久しぶりに喋ってみたいね」ということで、夜寝る前にオンライン通話を繋いでみました。当時はお互いWebカメラを持っていなかったので、PCからイヤホンをベッドまで伸ばして、音声のみでの通話でした。(お互いの顔は、メールのラリーの中で写真交換をしていたので何となく知っていました。)
ちゃんと話すのは実に8年ぶり。それが…気づけば夜通し10時間も話し込んでしまって!

特別な決め手があったわけでもないのですが、8年分の空白を埋めるように、お互いの近況や昔の話、これからの進路について夢中で話しているうちに、自然と「付き合ってみようか」という流れに。 まさか声だけのやりとりで交際が始まるとは、自分たちでもびっくりでした。
実際に彼と対面したのは、その1ヶ月後くらい。彼が私の地元に遊びに来てくれて、8年ぶりの再会。当時の面影はあるものの、少年から青年になった彼と会うのはなんだか不思議な感じでしたね。
こうして私たちの、関東と地方での遠距離恋愛がスタートしました。 さらに約半年後には私がハワイへ留学したので、(当初は少なくとも4〜5年の予定で)国際遠距離恋愛に発展しました(結果的には3年間になりましたが、その話は別の記事にて)。 その後日本に帰国した後も、結婚するまではお互い実家だったので、交際期間の8年間、ずーっと遠距離だったのです。

長かった…!
会えない分、連絡はかなりマメにしていました。 主な連絡手段はオンライン通話。毎日どんなに疲れていても、時差があっても(私が授業後にダッシュで帰宅して少しだけ話したりも!)、お互いの1日の出来事を報告し合うのが日課でした。
二人ともお喋りなので話題が尽きることはなく、通話を繋いだまま寝落ち…なんてことも数えきれません。この「声の交換」が、私たちを繋ぐ大切な時間でした。
ちなみに、私は付き合い始めた頃から「この人と結婚するんだろうな」と漠然と思っていました。 でも彼は当時あまり結婚願望がなさそうでした。
「女性は『この人と結婚したい』と思うが、男性は『結婚したい』と思ったタイミングでたまたま隣にいた人と結婚する」という話を聞いたことがあり、「彼がそう思うまで隣にいよう!」と本人にも宣言していました。今思うと、なかなか戦略的だったかもしれません。笑
幸せのピークで「結婚やめたい」!? 入籍直後の大波乱
社会人になって数年。 「結婚資金〇〇円」という目標を二人で決めて貯金に励み、無事に達成! 一緒に婚約指輪も作りに行って、彼からのプロポーズもあって、いよいよ結婚へ。
入籍日とハワイ挙式の日取りも決めて、順調すぎるぐらいのペースで準備を進めていました。
…ところが、です。
入籍を済ませ、一緒に暮らす家も借りて、ハワイ挙式まであと1ヶ月!という、まさに幸せのピーク(のはず)のタイミングで、彼からビデオ通話で告げられたのは、
「結婚、やめたい」
という言葉でした。
え…? 今、なんて…?
入籍も済んでいるのに? 家も借りたのに? 来月、ハワイなのに???
頭が真っ白になりました。
入籍してすぐ、まだ新婚生活もスタートしていない中での、まさかの「離婚」!?

彼の親には既に話を通していたらしく、私の親にも話したい、と。 ビデオ通話に加わった母はもちろんパニック状態。
でも、そこで父が冷静に、
「こんな大事なことは画面越しに話すものじゃない。明日そっちに行かせるから、まずは二人で直接、顔を見て冷静に話し合いなさい。まだ一緒に暮らしてもいないんだから、できることを全部してから、離婚は最終手段として考えなさい。」
と諭してくれたのです。
翌日、彼が先に住み始めていた新居へ向かい、二人でとことん話し合いました。 そこで見えてきたのは、
お互いが育った環境の違いからくる「当たり前」の違い(家族観や生活スタイル)
私の母の干渉に対する彼の不安
将来設計、特に子供に対する考え方の根本的なズレ
結婚前に話し合ったつもりでいたテーマも、いざ現実となると、その重みや深刻さが全く違いました。
今振り返ると、彼にも相当なプレッシャーがあったのだと思います。いわゆるマリッジブルーのような状態だったのかもしれません。
仕事を辞めて引っ越して来る私を(一時的であっても)支える経済的な責任感や、新生活の準備を進める中での価値観の違いなど、様々な不安が押し寄せていたのでしょう。

「夫婦になる」って、簡単なことじゃないんだな、と痛感した瞬間でした。
「離婚」の危機から1年。私たちが“夫婦”になるまで
結局、「結婚やめたい」の話は一旦保留に。 結婚式は予定通り行うことにし、帰国後には同居生活もスタートしました。
…とはいえ、さすがにこれで一件落着、めでたしめでたし、とはいきませんでした。 むしろ、ここからが本当の意味での「関係再構築」の始まりだったように思います。
正直、最初の半年から1年くらいは、常にビクビクしていました。 「またいつ『やっぱり無理』って言われるんだろう…」 そんな不安から、夫の顔色を伺いながら日々の生活を送っていました。 他人と一緒に暮らすって、ただでさえ大変なのに、そんな爆弾を抱えての新生活です。

一緒に暮らし始めてみると、やはり細かい生活習慣の違いが出てきます。
例えば、彼はしっかり8時間ほど睡眠を取らないとダメなタイプなのですが、当時はわずかな物音でも起きてしまうぐらい繊細で。出社時間が違うため、先に起きる私がかけたスマホの目覚ましの音で、彼も目が覚めてしまうことが特に大きなストレスだったようです。
(ちなみに、今の夫は息子と二人で爆睡していて、猫が走り回っても起きません。随分逞しくなったものです…。笑)
その後夫の仕事が繫忙期に入り、帰宅が深夜になる日が続いたため、「今月だけ自分の部屋で寝させて」と頼まれました。夫婦は同じ部屋で寝るものと考えていた私にとっては不本意でしたが、一度寝室を別にしてみると、私も物音を立てないよう常に気を張る必要がなくなり、お互いストレスが減ったように思います。
「今月だけ」という条件でスタートしたものの、明らかに関係性が改善したこともあり、そのまま夫婦別室を続けることにしました。そのおかげか、一緒に生活を続けていく前提での話し合いが増え、生活のやり方を一つ一つ、根気強くすり合わせていきました。

例えば、グルメな夫は「今日はこれが食べたい」というものがあるため、「日々の食事はお腹に溜まればそれでOK!」というタイプの私が決めた献立(しかも味付けが合わない)では不満が溜まる一方でした。笑
反対に、夫は洗濯物を干す際、Tシャツの肩のところやズボンの腰のところに、ハンガーの跡がぴょこっと飛び出ていても気にならないタイプですが、私は洗い直したくなってしまいます。笑
というわけで、生涯共働きで行くと決めた我が家の家事分担は、「こだわりが強い」「得意」「苦にならない」方が担当する、と自然に定まっていきました。

時間はかかりました。 「これならなんとか一緒にやっていけそうだな」 そう感じられるようになるまで、1年近くはかかったと思います。
その後も、お互いの転職で生活リズムが変わったり、収入が変わるたびに家計に入れるお金の負担割合を見直したりと、その都度、話し合いと調整を繰り返してきました。
夫婦って、一度なったら終わりじゃなくて、変化に合わせてずっとアップデートしていくものなんだな、とその過程で学びましたね。
失った命、授かった命。夫婦の絆と家族のカタチ
関係性が安定し、「この先も一緒にやっていけそう」という確信のようなものが持ててきた頃。 離婚危機のところでも触れた「子供に関する考え方」が大きく変わるできごとが起こりました。
夫は一人っ子で子供が嫌い、「別に一人も欲しくない」という考えでした。一方、私は二人兄妹で子供好き、「絶対に二人欲しい」と思っていました。これは結婚前からわかっていたことで、夫からは「間を取って一人なら」と言われていました。
夫の「子供が生まれる前に家を持ちたい(賃貸で周りに気を遣う生活は嫌)」という希望もあり、二人の当時の職場に通いやすいエリアで、中古マンションの一室を購入し、リフォームして入居しました。
そして、待ち望んだ第一子の妊娠。 順調に臨月を迎え、もうすぐ会える!と信じて疑いませんでした。 それだけに、38週後半、お腹の中で赤ちゃんが亡くなっていると告げられた時の衝撃と絶望は、今でも忘れられません。原因は不明でした。
里帰り先での出来事だったので、医師が目の前でスピーカーフォンで夫に状況を伝えてくれました。まさかの状況に動揺しつつも、「妻は大丈夫ですか」と私を気遣ってくれたのを覚えています。 翌日には娩出しなければならず、早朝の新幹線で駆けつけてくれました。
隣の分娩室からは元気な赤ちゃんの産声が聞こえてくる中、私はただ泣きながら陣痛に耐えるしかありませんでした。夫はそんな私にずっと付き添い、必死に腰をさすり、声をかけ続けてくれました。
生まれてきた子は3000gを超える、本当に可愛い男の子でした。心臓が動いていないこと以外は、どこも悪くなかったのに…。

夫はしばらく仕事を休み、翌日に退院する私の目に触れないよう、実家に用意したベビーグッズの片付けや、火葬の手続きなども全てやってくれました。
退院後、夜中に突然悲しみがこみ上げて泣き出す私に、毎晩のように寄り添い、ただ静かに話を聞いてくれました。 「きっと何か意味があって、私たちのところに来てくれたんだ」。 二人で何度も何度も話し、涙を流し、そうやって少しずつ、現実を受け入れていきました。
この悲しい出来事の詳細は、エッセイとして創作大賞に提出しています🔽
この辛い経験を通して、私たちの絆は、以前とは比べ物にならないほど強く、深くなったと感じています。 そして私は「やっぱり子供は二人育てたい。あと二人、家族を増やしたい」と強く願うようになり、夫も最終的にはその思いを受け入れてくれました。
その後、私たちは再び男の子を授かり、亡くなった長男が帰ってきてくれたと感じて嬉しかったのを覚えています。順調に臨月を迎えましたが、長男が亡くなった週数まで待つのはどうしても怖く、健診で3000gを超えた37週に陣痛促進剤を使って計画分娩を行いました。
出てきた瞬間に大きな産声をあげてくれ、夫も私も本当に安堵し、自然と涙がこぼれました。髪の毛がしっかり生えているところも、切れ長な目も、長男そっくりでした。ありがたいことに大きな怪我や病気もなく、次男(戸籍上は彼が長男ですが)は現在、元気いっぱいの4歳になりました。
驚いたのは、あれほど「子供はいらない」と言っていた夫が、今では息子にデレデレなこと。息子とあれをしたい、これを買ってやったら喜ぶかも、と、常に息子のことばかり考えている子煩悩パパです。笑

私たちは子供が生まれても、お互いのキャリアを諦めないと決めました。 保育園の延長保育をフル活用しながら、夫は経済面でも家事育児の面でも、まさに「大黒柱」として家庭を支えてくれています。
私も、転職や学び直しを経て、以前よりは家計に貢献できるようになりました。家事は今も正直あまり得意ではありませんが、夫の苦手な部分をカバーしたり、子供の相手をしたりと、夫婦という「チーム」として、良い役割分担ができてきたかな、と感じています。
そして私は現在、第三子を妊娠中です(またまた男の子でした。笑)。 今回はフルリモートの会社ではないので、保育園に入れるまでは産休と育休を取得する予定ですが、なんと夫も同様に、約1年の育休を取得することを決断してくれました。
妊娠中期以降、体力が持たなくなってきた私の代わりに、現在まで保育園の送迎や家事育児のほとんどを率先して担ってくれています。(そのおかげで私はずっと椅子に座ったまま、こうやってnoteを書けています。笑)
これは、今の私たちの「チーム」としての協力体制を象徴する出来事かもしれません。
完璧じゃなくていい。二人で描く、これからの物語
小学校3年生での出会いから約30年。 本当に、本当に、いろんなことがありました。
楽しいこと、嬉しいことはもちろん、 辛いこと、悲しいこと、 ぶつかり合ったこと、すれ違ったこと… 数えきれません。
でも、その一つ一つの出来事が、今の私たちを作っているのだと思います。
完璧な夫婦なんていないし、私たちも決してそうではありません。 今でも意見がぶつかることはあります。
でも、何か問題が起きても、最後はちゃんと向き合って、話し合って、二人で乗り越えていける。 そう思えることが、私たちにとっての「良い夫婦」の形なのかもしれません。
もし今、あなたがパートナーとの関係や人生で壁にぶつかっているとしたら、 私たちの経験が、ほんの少しでも 「大丈夫かもしれない」 「完璧じゃなくてもいいんだ」 「こんな乗り越え方もあるんだな」 と思える材料になれば、こんなに嬉しいことはありません。

今回の記事では、私たちの経験を駆け足でご紹介しました。もし、特定の出来事について「もっと詳しく知りたい」「具体的にどう乗り越えたの?」といったことがあれば、ぜひコメントなどで教えていただけると嬉しいです。
例えば…
8年間の遠距離恋愛を続けた具体的な工夫や、気持ちの保ち方
離婚危機レベルの大きな価値観のズレを、どうやって話し合い、すり合わせたのか
試行錯誤してたどり着いた、我が家の家事・育児の分担ルールや、お金の管理方法
辛い経験と夫婦で向き合い、乗り越えていくプロセスで、支えになった考え方や具体的な行動
夫が長期育休を取るに至った経緯や、夫婦でのキャリアプランニング
…など、もし「読んでみたい」という声が多ければ、今後の記事で掘り下げて書いてみることも考えています。
今回の夫婦の物語とは少しテーマが異なりますが、私が体験から学んだことや実践していることを、他の記事でも発信しています。もしご興味があれば、こちらも覗いてみてくださいね。
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最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

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