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回り道こそ、私の武器。新卒のレールに乗れなかった私が『自分軸』でキャリアを切り拓いた物語

「新卒のレールに上手く乗れなかったな…」 
「転職が多くて、キャリアに軸がないと思われてる気がする…」 
「周りと比べて、私の市場価値ってどうなんだろう?」 

毎日頑張っているのに、ふとした瞬間にこんな風に感じて、モヤモヤしてしまうことはありませんか?

こんにちは、Pumehana(プメハナ)です。 
何を隠そう、私自身がまさにそんな悩みを抱えてきました。

海外の短大を卒業し、インターンを経て帰国したものの、「応募資格なし」という厳しい現実。日本の新卒一括採用の枠にはほとんど入れず、「既卒」扱いの私に、キャリアの門戸は狭かった…。スタート地点は、同年代の平均年収を大きく下回る場所でした。

そこから10年ちょっと。 予期せぬトラブルやライフイベントに翻弄されながら、本当に回り道ばかりでしたが、諦めずに試行錯誤を続ける中で、少しずつ自分の市場価値を高め、気がつけば同年代の平均年収を大きく上回ることができました。

私はハワイの短大卒業後、ウェディングプランナー、IT企業のカスタマーサービス、外資系での事務派遣、AI企業のバックオフィスなんでも屋、ゲーム業界のコーディネーターなどを経て、現在は老舗プライム上場企業の採用人事として働いています。

この記事は、特別なスキルがあるわけじゃない、むしろ「普通」のレールから思いっきり外れてしまった私が、どうやって自分らしいキャリアと働き方を見つけてきたのか、そのリアルな道のりを綴った体験談です。

私の経験は少し特殊かもしれませんが、新卒で思うようなスタートを切れなかったという点では、最近特に話題の就職氷河期世代の皆さんとも共通する部分があるかもしれません。

現在育休中の私。この時間を使ってキャリアを棚卸しする中で、「誰かのほんの小さなヒントになれば嬉しいな」と思い、このnoteを書いています。

キラキラした成功法則ではありません。泥臭く、試行錯誤してきた記録です。 でも、どんな状況からだって、考え方と行動次第で、未来はきっと変えられる。そう信じられるような、何かを感じ取っていただけたら嬉しいです。

まずは「へぇ、こんな人もいるんだ」くらいな感じで、気軽に読んでみてくださいね。もし「もっと具体的な方法を知りたい!」と感じてくださったら、「スキ」やコメントで教えていただけると嬉しいです!皆さんの反応を見て、今後の記事で具体的なノウハウにも触れていけたらと思っています。



「応募資格なし」 新卒一括採用の壁と、最初の決断


父の影響で英語が身近な環境で育った私。リスニングは得意だけどペラペラというわけではなく、文法や受験英語も苦手。ただ、日本の大学でのんびり過ごしていた兄を見て「もっと違う経験がしたい!」と思い、海外の大学へ行くことを決意しました。

よくある語学留学ではなく、「英語を使って何かを学びたい」と考え、当時興味があったイルカ(海洋生物学)について学ぶためにハワイの短大へ。

2年半かけて卒業し、翌月から現地の4年制大学への編入が決まっていましたが、家庭の事情で急遽断念。でも、「アメリカの大学の単位は一生有効。いつか必ず学び直せる!」と自分に言い聞かせ、日本人向けイルカツアーで半年間インターンシップをしながら、アパートや車の処分をして完全帰国しました。

※留学時代の話は別途書いていますので、こちらの記事をご覧ください🔽

ところが、日本の就職活動は想像以上に厳しいものでした。今でこそ「第二新卒」なんて言葉もありますが、当時はそんな考え方はほぼなく、「既卒」「海外短大卒」の私には、そもそも新卒採用枠の応募資格がない企業がほとんどでした。

「どうしよう…」と途方に暮れかけていた時、ハワイ留学中に友人の結婚式準備を手伝った経験を思い出し、海外リゾートウェディングの会社を受けてみることに。ハワイやグアムにチャペルを所有する会社で、英語を使用する機会もあるとのことでした。

幸い、ほぼ未経験ながら中途採用枠で採用され、無事正社員として社会人生活をスタート。でも、現実は甘くなかった…。

結局英語を使う機会はほぼない上に、仕事内容は営業色が濃く、新規契約や顧客単価のノルマに追われる日々。時には契約のために心ならずも「ご希望の時間帯だと、もうこの日しか空きがありませんね…」などと嘘をつかないといけない場面もあり、「これでお客様のためになっているのかな?」と葛藤を抱えるようになりました。

そして何より、サービス残業が多い上に、お給料は手取りにすると本当に少なく、同年代の平均年収と比べても、かなり下の方からのスタートでした。


予期せぬ落とし穴と、派遣で見つけた「適性」


「このままじゃいけない」という思いと、「やっぱり英語を使う仕事がしたい」という気持ちから転職活動を開始し、海外オプショナルツアーの予約サイトを開発運営するIT企業に転職。世界中のツアー会社と英語でやり取りする毎日は刺激的で、IT企業の自由な雰囲気も自分に合っていました

「やっと自分に合う場所を見つけられたかも!」そう思った矢先、予期せぬ海外出張トラブルが発生

詳細は複雑なので割愛しますが、簡単に言うと会社の指示通りに行動したにも関わらず、それが原因で今後の海外渡航に大きな影響が出る事態に…。会社との話し合いの結果、会社都合での退職という形で、思いがけずキャリアがストップしてしまいました。

落ち込む私に、留学前から付き合っていた地方在住の彼(現在の夫です!)は、「少し前倒しで引っ越してきてもいいよ」と言ってくれましたが、当初の予定通り1年半後に同居を開始することに決め、それまでの間、最初の数ヶ月はハローワークで雇用保険を貰いながらアルバイトや短期派遣をして、その後1年間は派遣社員として働くことにしました。

結婚式(最初に就職した会社のハワイのチャペルで挙式しました!)の準備などで週末に関東に来てもらう夫との時間を作るためにも、融通の利きやすい派遣という働き方は、当時の私には好都合でした。

多少の不安はありながらも、こうして始まった、大手外資系通信会社での1年間の英文事務派遣生活。業務改善や社内エンジニアとのやりとりなど、得意を活かして「誰かをサポートする」という点では、対象が「お客様」から「社員」になったというだけで、根本は同じだと気づき、アドミ業務のやりがいや楽しさを発見できました。

また、この頃一緒に働いた社員の一部は今もSNS等で繋がりがあり、後の転職先に誘っていただいたこともありました。

そして何より、いわゆる「非正規雇用」という立場をここで経験したことは、後に人事として働く上での私の大切な原点になっています。


派遣時代の上司とのエピソードは、こちらの記事をご覧ください🔽


再スタートと、見えてきた「自分らしい働き方」


いよいよハワイでの挙式、そして地方への引っ越し! 新しい生活にワクワクしつつ、早速引っ越し先で職探しを開始

夫に合わせて、サービス業ではなく土日休みのアドミ系の職種に就きたいと思いましたが、そもそも地方では東京に比べて本社系の求人自体が少なく、しかも英語を使えるようなポジションはほとんどありません。アドミ業務については1年間の派遣経験しかないこともあり、正社員の壁は思った以上に高いようでした。

職探し中の2ヶ月間、夫は毎日出社していたので、私は面接を受けに行くなどの用事以外は家で専業主婦のような生活を送っていました。でも、元々家事が得意ではない私(苦笑)。キレイ好きな義母の影響もあってか、夫から「今日掃除機かけた?」と聞かれてグサッときたり、頑張って作った料理への反応がいまいちだったり…。

この期間を通して、「専業主婦は絶対無理だ!」と心の底から痛感しました。そして、「何があっても共働きでやっていくぞ!」と覚悟を決めたのです。笑

そんな時、紹介予定派遣としてAIレコメンドエンジンの開発企業で働くチャンスが。まずは派遣社員として本社の管理部に入社し、「人事総務チーム」唯一のスタッフメンバーになりました。

ちょうどその頃お隣の「経理財務チーム」の女性社員が産休に入るところで、その方が担っていた請求書発行や経費精算などの経理事務、契約書管理などの法務事務の引継ぎ先がなく、後任者が入社するまで私が担当することに。(結局しばらく担当のままでした)

また、その数ヶ月後には東京オフィスでプレスリリース作成や社内ブログ更新などの広報業務社内イベントの企画運営採用業務などを担当していた女性社員も産休に入るため業務を引継ぎ、管理部唯一の英語話者であった私はアメリカ人社長の秘書兼通訳としても仕事があり、とにかくバックオフィス業務を「なんでも屋」としてこなす日々でした。

部署には私の上に課長、部長、取締役、社長がいて、さらに影には共同創業者の社長夫人も…(笑)。この5人全員から直接指示が飛んでくるカオスな環境でしたが、持ち前のマルチタスク能力で必死に食らいつきました。

その頑張りが認められ、4ヶ月後には無事に正社員登用! 仕事自体は、IT企業の雰囲気も、外国人エンジニアがちらほらいて日常的に英語を使う機会があることも、私には合っていました。ただ、ここでもお給料はなかなか上がらず、年収はまだ同年代女性の平均に届かないままでした。

でも、30歳を目前にして、将来の出産・育児を考えた時、当時の会社の働き方に大きな不安を感じるように。当時はまだコロナ前で、リモートワークの制度もなく、毎日出社が基本。育休から復帰した先輩たちが、時短勤務で給料が大幅に減っていたり、お迎えに間に合わせるためにドタバタと大変そうな姿を見て、「ここで長く働きながら、子育てをするのは難しいかもしれない…」と感じ始めたのです。

「まずはもっと自分の市場価値を高めなければ!」 そう考えた私は、長い間自分のコンプレックスでもあった「短大卒」という経歴を塗り替えるべく、働きながら4年制大学の学位を取る方法を探しました。

たまたまアメリカ人の友人が、日本からアメリカ本土の大学院の学位をオンラインで取得していたため、いくつかの大学の制度や学費を調べ、夫に相談したところ、将来への投資として、学費は家計から出してくれることに…!

こうして私はフルタイムで働きながら、学生時代に学びたかった海洋生物学ではなく、仕事に役立つビジネス(BBA)の学位取得を目指すことにしました。

ここから私の、「戦略的キャリア構築」が本格的にスタートします。


「学び直し」オンライン留学の話は、こちらの記事をご覧ください🔽


限界突破? 学びと子育てを乗り越え、見えた景色


短大時代の単位で移行できるものはすべてしましたが、専攻変更により必修科目が異なることもあり、卒業に必要な単位には遠く及びません。日本の一般的な企業でフルタイム勤務を続けながらの就学となると、一学期に取れる授業はせいぜい1つ。これでは卒業まで7〜8年かかってしまいます。

さらに、この時点で30歳目前の私としては、出産のタイミングもそろそろ考えないといけない頃です。前述の通り先に産育休を取った先輩たちの姿を見ていたため、この会社で子育ては難しい、かと言って転職してすぐ産休に入る訳にもいかないため、できるだけ早く学業と子育てが両立できる仕事を探す必要があったのです。

そんな時、前回の転職で登録していた外資系転職エージェントのひとつから、魅力的な案件紹介がありました。ゲーム業界に特化したアメリカのエージェンシーで、日本オフィスのコーディネーターとしてのポジションでした。

オフィスは自宅から電車で40分ほどのエリアにありましたが、出社は週に1~2回、しかも昼過ぎから夕方程度の滞在でよく、基本的には在宅ワークの仕事です。海外メンバーとのミーティングなどで早朝や夜中の時間帯に仕事をすることもありますが、年俸制のため、その分昼間に習い事や買い物に行くなど時間の使い方も自由でした。

とんとん拍子で面接を通過し転職が決まった私は、ここでやっと同年代女性の平均年収レベルに到達! 入社研修はアメリカ本社で1週間、加えて年に2回のアメリカ出張もあり、社内のやり取りも英語が多かったこともあり、無対策でTOEIC900点を超えるまでに英語力が向上しました。

入社して1年ほど経った頃、アメリカ人ボスに私の幅広い業務遂行能力や改善への貢献が評価され、なんと13%もの大幅昇給ここで初めて、同年代の全体平均年収を超えることができました。「やっとここまで来れた!」という達成感は、大きな自信になりました。

仕事が軌道に乗ってきた一方で、プライベートでも大きな転機がありました。その後無事出産したのですが、産休中も100%給料が出るという手厚い制度で、働き方的にも特に育休を取る必要性を感じなかったため、産後3ヶ月で復帰

ただ、コロナ直前からたまたまオフィス出社がなくなり、完全在宅勤務だったとはいえ、赤ちゃんの世話をしながら仕事と大学の課題をこなす日々は、想像以上に目まぐるしいものでした。(夫は家事や育児、学費の面でも全面的に支えてくれましたが!)

その間にも、コロナで国内外の出張が無くなった分、予算を社員に手厚く還元してくれるなど本当に良い会社で、コロナ明けにはさらなる大幅昇給も数回あり、気がつけば男性の平均年収をも上回る水準になっていました。

日本オフィスのコーディネーターとして、バックオフィス業務全般に加え、プロジェクト管理や秘書的な役割も担い、様々な業務のシステム化や効率化を推進し、カオスだった環境を整えていくプロセスは、まさに私の得意とするところで、大きなやりがいを感じていました。

しかし、自分が整えた環境が運用フェーズに入ってしまい、あとは毎年決まった時期に決まったことをやるだけの日々が見えてきました。アドミ機能のほとんどは本社にあり、日本側でできる業務も限界を迎えて、少しずつ物足りなさを感じ始め「もう私である必要はないかもしれない…」そんな思いが頭をよぎるように。

環境はびっくりするほど良く、辞めるのはもったいないなとは思いつつも、年に数回の海外出張も育児中は難しいし、「もう一人子供が欲しい」と考えていたため、年齢を考えるとそろそろ潮時かな、と。

ちょうどその頃、オンラインで学び続けた大学も無事に卒業! 「4大卒」の資格を得たことで、キャリアの選択肢が広がったと感じました。

「常に自分の市場価値を意識し、ライフステージの変化に合わせて、その時々で最善のキャリアを選択する」 そう考えてきた私は、会社も「卒業」して、次のステップへ進むことを決断。

再度転職活動をスタートしたところ、幸運にもヘッドハンターから声がかかり、日本の老舗企業がDXを進めるにあたってデジタル人材採用に強い人事を探しているとのことでした。新しい組織の立ち上げ期ということで、これまでの私の「なんでも屋」経験や、カオスな環境を整えてきた経験が活かせると感じ、思い切って現職へ。

入社時の年収提示は同年代平均の1.2倍ほど。入社後も2回の定期昇給と、正直かなり頑張った残業のおかげで(笑)、現在は同年代平均の1.5倍を超える水準になっています。

現職への入社時&入社後のエピソードや、面接を「楽しい雑談」にする思考法については、こちらの記事をご覧ください🔽




回り道が、あなただけの「強み」になる


新卒一括採用で躓き、会社都合で職を失い、キャリアの途中での学び直しや、ライフイベントに働き方を左右され…。本当に、回り道ばかりのキャリアでした。(たぶん今後も。笑)

でも、今なら自信を持って言えます。 その回り道こそが、私の武器だ、と。

「普通」のレールから外れたからこそ、見えた景色がある。 色々な壁にぶつかったからこそ、身についた強さがある。 

突出した専門スキルはないかもしれないけれど、どんな環境でももがきながら道を切り拓いてきた「適応力」や「課題解決力」、そして多様な業務をこなしてきた「ジェネラリストとしての引き出しの多さ」。全部ひっくるめて、それが私の「強み」であり「価値」なのだと、今は思えます。

キャリアに、たった一つの「正解」なんてありません。 もしあなたが今、自分のキャリアに迷っていたり、自信をなくしかけていたりするなら、伝えたい

大丈夫。あなたの歩んできた道は、決して無駄ではありません。 その回り道や、一見ネガティブに見える経験も、捉え方次第で、必ず未来を照らす力になるはずです!

もし、私のこんな経験の中に、あなたのキャリアを考える上でのヒントになるものが、ほんの少しでもあれば嬉しいです。


そして、もしあなたがこの記事を読んで、「自分も『自分軸』を見つけたい」「回り道を『武器』に変える具体的な方法が知りたい」と、次の一歩を踏み出したくなったら。

この記事でお話しした私の「マインド」や「ストーリー」の全てを、「AIを活用した具体的な転職戦術」に落とし込んだ、3万字超えの有料noteを本気で書き上げました。

「キャリア伴走AI」を使ってあなたの「自分軸」を見つける方法から、人事を唸らせる職務経歴書、面接対策、年収交渉まで、転職活動の全技術を詰め込んだ教科書です。


また、この記事を読んで「面白かった!」「ちょっと共感したかも」「続きが気になる!」と思っていただけたら、ぜひ記事下の「スキ」(♡マーク)を押して教えてください。コメントで感想や質問をいただけたら、もっと喜びます! 

皆さんの反応を参考に、今後の記事で、私が求職者として実践してきたこと採用人事側の視点などを、もう少し具体的にお伝えしていけたらと思っています。


今回のキャリアの話とは少しテーマが異なりますが、私が体験から学んだことや実践していることを、他の記事でも発信しています。もしご興味があれば、こちらも覗いてみてくださいね。

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長い文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございました!


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Pumehana🌺転職5回の現役人事ママ | 自分軸キャリアと男子2人育児 ここまで読んでくださり、ありがとうございます🌺この記事が「役に立った!」と思っていただけたら、チップで応援いただけると飛び上がって喜びます🤸‍♀️✨いただいた応援で、コーヒー…は飲めないので(笑)、大好きなコーラを買って次の記事も頑張ります!🥤画面越しに乾杯しましょう🥂

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