テソン沼へまっしぐら⑩ 最終回
※テソン(DAESUNG/D-LITE)への沼落ち記録です。
(第1話はこちら / 前回のお話⑨はこちら)
1月31日のエンディングで、一瞬「歌うたいのバラッド」が流れた。
もしやとは思った。
ただ、喉が不調だから歌わないだろう、と、思い込んでいただけだった。
「歌うたいのバラッド」はわたしがテソンを好きになった原点で、いつかは生歌で聴きたいと思っていた曲。
手を伸ばせば届きそうだったのに、触れる前に谷底に落ちていった……そのときはそれくらいのショックだった。
1月31日を選んだのはわたしだ。
初ソロコンも素晴らしく記念になったし、感動もした。
行かせてもらえたことにも、喉の不調を抱えながら歌ってくれたテソンにも感謝しかない。
なのに、多幸感の反動なのか、聴けなかった曲への思いは予想以上にわたしのなかで尾を引いた。
2月1日のきらきらした感想を見るのも読むのもつらくて、SNSやYouTubeも閉じた。
それでも、やっぱりテソンの声は聴いていたい。
つながっていたくて、BIGBANGの曲やチプデソン、過去のバラエティを追いかけていた。
時間が経てば、ゆっくり痛みは薄れていくものだ。
ふと流れてきたテソンの「歌うたいのバラッド」を聴いたとき、わたしはまた胸を打たれた。
そのときには、もうつらさもショックもなく。
ああ、やっぱり、この人の歌は好きだな。
澱が剥がれ落ちるように、つらいという気持ちが消えていて。
しばらく聴いてなかった時間を取り戻すように、吸収するかのように、何度も繰り返し聴いた。
あぁ、やっぱりわたしはテソンが好きだ。
日本のカバー曲だけじゃなく、ソロの歌もBIGBANGの歌も。
彼の声、歌い方、パフォーマンス、笑顔。
人柄にいたるすべてが、泣けることや笑顔になれることを思い出させてくれる。元気をくれる。
コロナ禍を経て、好きという気持ちやときめきは、もう自分の中から消えていったと思っていた。
でも、テソンを知って、心が動く瞬間というものを思い出せている。
「歌うたいのバラッド」、わたしがテソンを好きになった原点の曲。
これを生で聴けるまで通い続けよう。
きっとずっと、わたしはテソンのファンだろう。
そう、思った。
