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【読むだけで参拝体験】矢先稲荷神社|目標を射抜く“勝負運”の神社


江戸の武士たちは、ここで弓の腕を競いました。

その距離、およそ120メートル。

かつてこの地には浅草三十三間堂が建ち、
堂の西側に設けられた射場で「通し矢」が行われていたと伝えられています。

その矢が飛んでいく先にあったことから、

「矢先」

という地名が生まれました。

目標を見据え、
真っすぐに矢を放つ。

そんな精神を今に伝えるのが、
矢先稲荷神社です。

▶前回の記事はこちら


◆はじめに|矢を放つ前に

江戸時代、人々はここで日本一を目指していました。

現在の台東区浅草に建てられた「江戸三十三間堂」。

そこでは京都の三十三間堂にならい、
長い堂の端から端まで矢を放つ「通し矢」が盛んに行われていました。

武士たちは技を磨き、
誰よりも遠くへ、誰よりも正確に矢を放つことを競いました。

そして、その三十三間堂を守護するために建てられたと伝わるのが
矢先稲荷神社です。

矢は、ただ放てばよいわけではありません。

的を見定め、
狙いを定め、
初めて真っすぐ飛んでいきます。

だからこそ矢先稲荷神社は、

「目標を定める場所」

とも言えるのかもしれません。

新しいことへ挑戦する前に。
大切な目標へ向かう前に。

まず、自分がどこを目指すのかを見つめ直す。

そんな参拝が似合う神社です。

◆矢先稲荷神社とはどんな神社か

矢先稲荷神社は、浅草に鎮座する稲荷神社です。

今から約380年前の寛永19年(1642年)、徳川家光公の命によって、
この地に江戸三十三間堂が建立されました。

三十三間堂では、弓術の鍛錬として「通し矢」が盛んに行われていました。

武士たちは長い堂の端から端まで矢を放ち、その記録を競い合いました。

先人の記録を超えれば堂に名を残すことができるため、
武士にとって大きな名誉だったといいます。

その江戸三十三間堂の守護神として勧請されたのが、矢先稲荷神社でした。

社が建てられた場所が、
ちょうど矢を放つ先――「矢先」にあたっていたことから、

「矢先稲荷」

と呼ばれるようになったと伝えられています。

主祭神は、

倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

です。

いわゆる「お稲荷様」として知られ、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全など、人々の暮らしを守る神様として信仰されています。

また境内では七福神の一柱である

福禄寿(ふくろくじゅ)

も祀られています。

福禄寿は長寿・幸福・財運を司る神様であり、
人生を豊かに導く神として親しまれています。

創建後、矢先稲荷神社は幾度も困難に見舞われました。

元禄11年(1698年)の大火では焼失し、
関東大震災や東京大空襲も経験しています。

それでも人々の信仰によって再建され、今日まで守り継がれてきました。

武士たちが技を磨いた場所であり、
町人たちが願いを託した場所。

矢先稲荷神社は、

「目標を見定め、願いを真っすぐ届ける神社」

として、今も多くの参拝者を迎えています。

また、矢先稲荷神社は「浅草名所七福神」の一社でもあります。

境内に祀られている福禄寿は、浅草名所七福神巡りの参拝スポットとして親しまれており、お正月には七福神巡りを楽しむ参拝者も多く訪れます。

今回の記事では午年との縁を中心に紹介しましたが、浅草名所七福神については別の記事で詳しく紹介しようと思います。

◆なぜ午年に矢先稲荷神社を巡るのか

午年は、前へ進む年です。

新しい挑戦を始めたり、
目標へ向かって走り出したりする人も多いでしょう。

しかし、どれだけ速く走れる馬でも、
向かう先が決まっていなければ目的地には辿り着けません。

矢も同じです。

強く放つだけでは的には当たりません。

どこを狙うのか。
何を目指すのか。

それを定めて初めて、矢は真っすぐ飛んでいきます。

矢先稲荷神社の拝殿には、
百枚を超える馬の天井絵も奉納されています。

その話は後ほど詳しく紹介しましょう。

そして、この神社の名の由来となった「矢」は、
目標へ向かって飛ぶものです。

馬が願いを運び、
矢が目標を射抜く。

その両方が揃っているのが矢先稲荷神社なのです。

午年は、勢いよく動き出す年。

だからこそ、

「どこへ向かうのか」

を見失わないことが大切です。

矢先稲荷神社は、

「前へ進む力を与える馬」

そして、

「目標へ導く矢」

を象徴する神社なのかもしれません。

新しい夢や目標がある人。

これから一歩を踏み出そうとしている人。

そんな人にこそ訪れてほしい神社です。

◆読む参拝|百枚の馬が見守る社殿へ

最寄駅の稲荷町や田原町から徒歩7分ほどの距離に鎮座。

有名な「かっぱ橋道具街」の横道を少し行った先にあります。

大きな鳥居と御由緒を書いた看板が目印の神社です。


鳥居


御由緒書き


鳥居横の昔の地図

境内はそれほど広くはありません。

鳥居をくぐって正面には倉庫と神楽殿があり、
神楽殿には当時の神社を表す絵が描かれています。

三十三間堂の規模の大きさに驚かされますね。

境内の中央には御神木が立っています。


中央の御神木

鳥居をくぐって参道にそって左に進むと正面に社殿があります。


社殿

右には社務所、左には手水舎。


手水舎

社殿の中に入りましょう。

賽銭箱の横を通り、靴を脱いで中に入ります。

ちなみに、裸足で上がるのは禁止です。
必ず、靴下、足袋、ストッキングなどを着用して上がってください。

中は畳が敷かれた和室になっています。
正面には天井に描かれた絵の一覧が置かれています。


天井絵一覧

正面に本殿がありますが、
本殿に向けての写真撮影は禁止とのことで気になる方は直接参拝をして、
是非直接ご覧ください。

天井絵などの撮影はOKとのこと。

本殿の右には七福神の福禄寿の神像が奉安されています。
ここも撮影は控えたので画像はありません。

そして、いよいよ矢先稲荷神社最大のみどころ。
天井に描かれた日本乗馬史をモチーフにした100枚もの天井絵。


実際に見ると圧巻の天井絵

神話の時代から昭和まで。
歴史上の人物や名馬たちが数多く描かれており、
日本史好きなら思わず足を止めてしまうでしょう。

「あれは誰でしょう?」

などクイズにしても面白いかもしれませんね。

一枚一枚を見て回るだけで時間が面白いほど溶けていきます。
天井絵の他にも馬の絵が飾られていたり、置物があったりと馬とは
切っても切れない神社です。


天井絵ではない馬の絵

参拝を終えて社殿から退室。
社務所によって御朱印を頂いて帰りました。


通常の御朱印

御朱印も通常のものの他に福禄寿のもの、
月替り御朱印・夏詣やさくら詣など限定御朱印を用意することも。

◆日本乗馬史を描いた百枚の天井絵

矢先稲荷神社を訪れたら、ぜひ拝殿の天井を見上げてみてください。

そこには、百枚もの馬の絵が描かれています。

この天井絵は、昭和35年(1960)の社殿再建にあたり、

「弓術と深い関わりを持つ馬術の歴史を後世に伝えたい」

という氏子たちの願いによって奉納されたものです。

絵を描いたのは日本画家・海老根駿堂氏。

約5年の歳月をかけて完成させました。

描かれているのは、神武天皇の時代から現代に至るまでの『日本乗馬史』。

人物や馬の姿、武具や服装まで綿密な考証のもとに描かれており、
日本の馬術の歴史を一望できる貴重な文化財となっています。

絵の中には、

・愛宕神社の「出世の石段」で有名な曲垣平九郎
・戦国武将たち
・オリンピック馬術競技で日本唯一の金メダリストとなったバロン西

など、歴史上の人物も数多く登場します。

特にバロン西の絵は人気があり、

「見つけることができると金運が上がる」

という話も伝えられています。

午年に巡る神社として考えるなら、この天井絵はまさに見逃せない見どころでしょう。

馬とともに歩んできた日本の歴史。

その物語が百枚の絵となって頭上に広がる光景は、写真ではなかなか伝わりません。

ぜひ実際に訪れ、自分の目で見上げてほしいと思います。

◆まとめ

今回巡った矢先稲荷神社は、
ただの稲荷神社ではありませんでした。

江戸三十三間堂の守護神として祀られ、
武士たちが弓の腕を競った「通し矢」の記憶を今に伝える神社。

そこには、
ただ前へ進むだけではなく、

「どこを目指すのか」

を定める大切さがありました。

さらに拝殿の天井には、
日本乗馬史を描いた百枚もの天井絵が広がっています。

馬が願いを運び、
矢が目標を射抜く。

午年に矢先稲荷神社を巡る意味は、
まさにそこにあるのかもしれません。

新しい挑戦を始める時。
夢や目標へ向かって歩き出す時。

まずは自分の“的”を見定める。

矢先稲荷神社は、

あなたの放つ一本の矢を見守ってくれる神社でした。

◆次回予告

次回は、午年に巡ると良い神社として

千束八幡神社

について紹介しようと思います。

▶前回の記事はこちら

▶午年に行くと良い神社の記事はこちら

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