【読むだけで参拝体験】愛宕神社|出世の石段が導く“挑戦”の神社
愛宕神社は、標高26メートルの愛宕山の山頂にあります。
これは東京23区内で自然の地形としては一番高い山です。
“自然地形として”とついているのは、
新宿区にある箱根山が標高44.6メートルで愛宕山より高いのです。
ですがこちらは人造のため、
自然地形では愛宕山が23区内で一番高いという表現になっています。
春は桜、夏は鬱蒼と茂る樹木の涼と蝉時雨、秋は月と紅葉、
冬は雪景色と四季折々の表情で、訪れる人の目を楽しませています。
オフィス街に位置することもあり、
境内はお昼休み時は近隣で働く人々でにぎわいます。
都心の中にぽつりと残ったオアシス的な存在として
人々の安らぎの場となっている神社です。
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◆はじめに|その階段を上がると出世すると呼ばれる「出世の石段」
境内に向かうために上がる急な石段は「出世の石段」と呼ばれています。
その由来は講談で有名な「寛永三馬術」
の中の曲垣平九郎(まがき・へいくろう)の故事にちなみます。
曲垣平九郎(まがき・へいくろう)は徳川家光の命を受け、
誰も挑めなかった急な石段を馬で駆け上がり、
梅の枝を手折って献上しました。
この功績により「日本一の馬術の名人」と称えられ、
出世運の象徴として今も語り継がれています。
この故事にちなみ、
愛宕神社正面の坂(男坂)を「出世の石段」と呼び、毎日多くの方が、
この男坂の出世の石段を登って神社にお参りするようになりました。
なお、実際に神社にみえた方は男坂を見ると、
「こんな石段を馬が上れるわけがない」
「曲垣平九郎の話は講談だからウソだろう」
と思われる人もいるようです。
しかし、江戸以降にも男坂を馬で登り降りすることにトライをして、
成功しているという記録が実際に残っています。
明治15年・石川清馬(セイマ。宮城県出身)
大正14年・岩木利夫(参謀本部馬丁)
昭和57年・渡辺隆馬(ワタナベ リュウマ。スタントマン)
神社では、成功された方の絵や写真を見ることができます。
また、曲垣平九郎が献上した梅も境内に今も現存しています。
「出世の石段」と合わせて是非見て欲しいと思います。
◆愛宕神社とはどんな神社か
愛宕神社は、
徳川家康の命によって慶長8年(1603年)に創建された神社です。
江戸の町を火災から守るため、
防火の神様として愛宕山の山頂に祀られました。
主祭神は、火を司る神様である
・火産霊命(ほむすびのみこと)
です。
さらに、
・罔象女命(みずはのめのみこと)
・大山祇命(おおやまづみのみこと)
・日本武尊(やまとたけるのみこと)
・将軍地蔵尊
・普賢大菩薩
・天神社
などが配祀され、人々の暮らしや安全を見守っています。
しかし、天神社の名は境内掲示板の由緒には書かれているのですが、
公式サイトには書かれていません。
この天神社は江戸二十五天神で愛宕下長者弁天同所・愛宕下長者弁天町など
と呼ばれるものと云われています。
愛宕神社は、その長い歴史の中で江戸の大火、関東大震災、
東京大空襲と幾度も災害に見舞われました。
社殿は何度も焼失しましたが、
そのたびに人々の手によって再建されてきました。
火を鎮める神を祀りながら、火災や戦災を乗り越えてきた神社。
それが愛宕神社です。
境内には太郎坊神社、福寿稲荷神社、弁財天舎、
恵比寿大黒社などの末社もあり、多くの人々の信仰を集めています。
◆なぜ午年に愛宕神社を巡るのか
午年は、動き出す年。
新しいことに挑戦したり、
大きな目標へ向かって一歩を踏み出したりする人も多いでしょう。
そんな午年に訪れたい神社が、愛宕神社です。
理由は、有名な「出世の石段」。
誰も挑めなかった急勾配の石段を、曲垣平九郎は馬で駆け上がりました。
成功する保証はありません。
失敗すれば大怪我、あるいは命を落とす危険さえありました。
それでも前へ進んだ結果、
「日本一の馬術の名人」
として、その名を後世に残しました。
午年は、勢いよく走る年。
けれど、その一歩を踏み出す勇気がなければ、
大きな飛躍にはつながりません。
愛宕神社は、
「挑戦する勇気」と
「努力の先にある出世」
を後押ししてくれる神社なのかもしれません。
急な石段を見上げながら、
「自分はいま、何に挑戦したいのか」
そんなことを考えてみるのも、
この神社ならではの参拝の楽しみ方だと思います。
◆読む参拝|出世の石段を登る
最寄りの東京メトロ日比谷線「虎ノ門ヒルズ駅」
または「神谷町駅」より徒歩5分
オフィスビル街を進むと、
赤い建物の隣に神社の名前が彫られた石碑が見えます。
そこを曲がると薄暗い道の先に朱色の鳥居と急こう配の石段が見えます。

この急こう配の石段こそ、出世の石段と呼ばれる男坂です。
鳥居をくぐってすぐに上ることになる石段は間近で見ると、
圧迫感というか階段と言うよりは壁のような感覚が近いです。
段数も多く見上げると境内がはるか上空に存在しているように見えて
上るのをためらわせます。

実際に上ってみます。
手すりはついていますが、
想像以上の角度で上る毎に落ちてしまったらどうしようと
不安が大きくなってきます。
ちなみに下を見てはいけません。
ご利益を頂きたいなら下を向かずに上らないといけないからです。
上り切った後、足はガクガク。息も絶え絶え。
普段運動をしない人にはかなり厳しい階段です。
不安な人は、この階段の右側に女坂と呼ばれる勾配がゆるやかな階段も
ありますので、そちらから上っていくことをおすすめします。
階段を上り切った後、下を見るとまるで崖。
こんな階段を上ったのかと達成感を感じることができます。

さて、階段を上り切ったところに石製の一の鳥居。
鳥居をくぐって正面には手水舎。

右正面には丹塗りの門と呼ばれる赤い門が見えます。
ほおずき市の時には、茅の輪が設置され、
これをくぐると災いを避けられるといいます。

しかし、丹塗りの門の前には長蛇の列。
平日のお昼頃に行ったのですがこの人の多さ。
こんな列に並びたくないという方は、
早朝など人が少ない時間に行くのが良いでしょう。
参拝するには並ぶしかありません。
ぐねぐね曲がる行列にならびます。
社殿の西側まで列が続いていました。
私が並んだ後もどんどん人がきて、列を作っていました。
行列がちょっとずつ進んで将軍梅の隣あたりにくると、
石碑が二つ並んでいました。

・殉皇十二烈士女之碑
・弔魂碑
の石碑らしいですね。
昭和20年に起こった「愛宕山事件」のことです。
〇愛宕山事件とは
昭和20年の終戦に反対した民間団体「尊攘同志会」のメンバーが
愛宕山に立てこもった事件です。
警視庁との衝突の末、10人が自決し、
後日残された2人の女性も後を追いました。
左の石碑にはこのように彫られています。
〇弔魂碑碑文
昭和二十年八月廟議降伏に決するや決起して内府木戸邸を襲ふ
転じて愛宕山に篭り所在の同志と呼応
天日を既墜に回さむとする者 即ち尊攘義軍十烈士
しかれども遂に二十二日午後六時相擁して聖寿万歳とともに手榴弾を擲ち一瞬にして玉砕す
時俄に黒風暴雨満山を蔽ふ
二十七日払暁 同じき処に座して二夫人亦従容後を遂ふ
忠霊芳魂 永遠に此処に眠る
遺烈万古尽くる時なからむ
天なるや 秋のこだまか とこしえに
愛宕のやまの 雄たけびのこゑ
さて、話を戻して。
列も進んで行き、一の鳥居の正面あたりまで来ます。
手水舎があるのでここで清めます。
左手には「出世の石段」に登場する将軍梅が見えます。

曲垣平九郎が家光公へ献上したと伝わる将軍梅。
出世の石段を登った先に、この梅が今も残っています。
何百年もの時を越え、挑戦した者を見守ってきた梅。
出世の石段と合わせて、ぜひ見てほしい場所です。
さて、列も進んでいよいよ社殿が近づいてきました。
丹塗りの門の前までこれましたよ。
朱色の美しい門をくぐると愛宕神社の社殿です。
人が多く、さすがに写真を撮ることが憚られたので少し遠くから撮った
画像になります。

拝殿の手前、左側に「招き石」があります。
招き石を撫でると福が身に付くといわれています。
ここも残念ながら人が多く写真を撮る余裕がありませんでした。
福を身につけたい方は是非撫でてみて下さい。
参拝を終えると丹塗りの門に戻らず、社殿の右に進みます。
その先の正面に社務所が建っています。
そこも人が並んでいました。
お守りや破魔矢、御朱印などを受け取る人達です。
社務所から左に進むと少し開けた場所があり、
3つの小さな社が建立されていました。

左から太郎坊社、福寿稲荷社、大黒天社。
それぞれ猿田彦神(天狗様)、宇迦御魂神、大國主命と事代主命
を祀っています。
道を戻って今度は社務所から右へ進みます。
そこには池があり、L字に橋が架かっていました。

池の奥には金色の小さめな鳥居の奥に小さな祠が。
弁財天社です。
金運が上がりそうですね。

橋の上から近くで拝むことができます。
さらに先に進むと弁財天の社があります。

橋を渡り切った先にはカフェがあります。
階段を上って疲れた体をここで休めてはどうでしょう?
店から右に進むと三方に分かれています。
左には坂道になっており、車が通れるようになっています。
右側は女坂。
坂といっても階段になっており、下りると出世の石段の隣に出ます。
真ん中の道は少し歩くと正面にお地蔵様が。
左手には石碑が建っています。


境内の奥に静かに佇むお地蔵様。
詳しい由緒は分かりませんでしたが、華やかな出世の石段とは対照的な、
落ち着いた空気を感じました。
石碑は「桜田烈士愛宕山遺跡碑」
安政7年3月3日(1860年3月24日)、
江戸城桜田門外にて水戸藩の浪士らを中心とした18士が
大老・井伊直弼の行列を襲撃し暗殺した事件。
桜田門外の変。
この桜田18烈士が襲撃の当日に愛宕山で待ち合わせをした後、
襲撃を決行したことにちなみ、ここに遺跡碑が建っている。
隣の石碑は「狂歌合長者園撰の石碑」
これで全て見て回れたので帰ります。
帰りはもちろん「出世の石段」を下ります。

上るのは大変だったけど、降りるのは怖かったです。
◆出世の石段を登る前に
出世したい。
ご利益を授かりたい。
その気持ちはよく分かります。
ですが、この石段は想像以上に急勾配。
私自身、上り切った頃には足が震えていました。
体力に自信がない方は、無理をせず女坂を利用するのも一つの方法です。
手すりを使いながら、自分のペースで。
安全第一で「出世の石段」を楽しんでください。
◆まとめ
今回巡った愛宕神社は、
ただ「出世の石段」で有名な神社ではありませんでした。
江戸の町を火災から守るために創建され、
幾度もの災害や戦火を乗り越え、
四百年以上にわたって人々を見守り続けてきた場所。
曲垣平九郎が馬で石段を駆け上がった伝説。
龍にも見える急な石段。
都心とは思えない静かな森。
そして、歴史の中で起きたさまざまな出来事。
境内を歩いていると、
この神社が伝えているのは、
「高く登ること」ではなく、
「恐れず、一歩を踏み出すこと」
なのではないかと感じました。
午年は、動き出す年。
新しい挑戦を始める人も、
目標へ向かって走り出す人もいるでしょう。
けれど、大切なのは勢いだけではなく、
最初の一歩を踏み出す勇気。
愛宕神社は、
「挑戦する勇気」と
「その先の成功への願い」
を静かに後押ししてくれる神社でした。
出世の石段を一段ずつ登り、
自分自身の新しい一歩を願う。
そんな時に、また訪れたくなる神社です。
◆次回予告
次回は、午年に巡ると良い神社として
矢先稲荷神社
について紹介しようと思います。
▶前回の記事はこちら
▶午年に行くと良い神社はこちら
