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【読むだけで参拝体験】猿江神社|“守られながら進む”ための神社

その昔、源頼義・義家父子による奥州遠征にて、
数々の武功を挙げた家臣がいました。

その名は――
『猿藤太(さるのとうた)』

武勇の士として名を馳せた人物でしたが、
この地の入江で力尽きたと伝えられています。

それを知った地元の漁師たちは、
猿藤太を手厚く葬り、境内に塚を築いて祀りました。

その故事から、
猿藤太の「猿」と、入江の「江」を合わせ、

「猿江」

という名になったと言われています。

東京の下町に、
千年以上もの歴史を残し続ける――

それが、猿江神社です。

▶前回の記事はこちら

◆はじめに|戦火を越えて残った神社

東京の下町に、
静かに残り続けている神社があります。

その名は、猿江神社。

その始まりは、
奥州遠征の途中で命を落とした一人の武将でした。

地元の漁師たちは、その武将を手厚く葬り、
境内に塚を築いて祀ったと伝えられています。

それが、
「猿江」という名の始まりだと言われています。

さらにこの神社は、
関東大震災で社殿を焼失しながらも再建され、
東京大空襲では周囲が焼け野原になる中、
社殿は焼失を免れました。

“守られてきた神社”

そう呼びたくなる空気が、
この場所にはあります。

◆猿江神社とはどんな神社か

猿江神社の主祭神として祀られているのは、

天照大御神(あまてらすおおみかみ)
宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)

です。

天照大御神は、日本神話における最高神として知られ、
太陽を司る神様。
人々を照らし、道を示す存在として信仰されています。

宇迦之御魂命は、いわゆる「お稲荷様」として知られる神様で、
五穀豊穣、商売繁盛、暮らしの守護を司ります。

つまり猿江神社は、

「人を導く神」と
「人の暮らしを支える神」

の両方を祀る神社なのです。

古くから下町の人々に信仰されてきた理由も、
この“生活に寄り添う神様”という性格にあるのかもしれません。

◆なぜ午年に猿江神社を巡るのか

古くから日本では、猿は馬を守る存在と考えられてきました。

馬はとても繊細な動物で、
病や怪我、突然の異変を起こしやすい存在でもあります。

そのため昔の人々は、
厩舎に猿の絵を飾ったり、
猿を馬の守り神として信仰しました。

「猿が馬を守る」

そんな考え方は全国各地に残されており、
日光東照宮の三猿も有名です。

猿江神社の「猿」という名にも、
どこか“守護”の意味を感じます。

午年は、動き出す年。

けれど、ただ勢いよく進むだけではなく、
支えや守りがあってこそ、人は安心して前へ進むことができます。

だからこそ猿江神社は、

“守られながら進む”

ということを思い出させてくれる神社なのかもしれません。

◆読む参拝|鳥居から境内へ

境内への入口は二カ所。
今回は、最寄り駅である住吉駅側から境内へ入ります。


神社の入口

住宅街の中に現れる、二対の石灯篭。
鳥居がなく一見神社の入口には見えません。

神社といえば鳥居を想像しますが、
この入口にはそれがありません。
だからこそ、下町の日常の中に、
ふっと神域が溶け込んでいるようにも見えました。

そこを進む…前に。
入口の隣に小さな社が建っています。
そこが実は猿江神社の境内社の一つ

北向稲荷神社です。


北向稲荷神社


説明書き

北向稲荷神社は御祭神が宇迦之御霊神と保食神の二柱。
保食神はすべての食物を生み出した神で、
宇迦之御霊神とも同一視されることもある神様です。

神社としては珍しく北の方角を向いていて、
塞ノ神(さえのかみ)として鬼門の災いから御本社を護ると伝承があり、
道行安泰の神としても古くより信仰されています。

話を戻しまして、今度こそ猿江神社の境内に入ります。

境内は大きく、
「住吉駅側入口」と「大鳥居側入口」を結ぶ一本道になっています。

参道を進むと左側にあるのが馬頭観音社です。


馬頭観音社


説明書き

創立不詳、霊能者の告言により境内にて掘り出されました。
刻印の上に馬の絵が彫られ馬方の絵の石と併せた大小一対の珍しい石碑で、
研究者からも注目されているそうです。

勝機向上・ペットの無病息災祈願のご利益もあり、
馬に関わる事から競走馬関係者の参拝も多いとのこと。

ペットを飼っている人にもおすすめですね。

私の家にも保護猫がいるので真剣に祈ってきました。

参道に戻って今度は右に進む本参道と合流。正面には社務所があります。
右側が社殿左に進むと大きな鳥居と神社のもう一つの出入り口。
そこが神社の正式な出入り口なのでしょう。


社殿


鳥居のある出入口

社殿側から見て鳥居のすぐ左にもう一つの境内社である
藤森神社があります。


藤森神社


由緒書き

藤森神社は江戸時代初期には幕府の、
明治時代には宮内庁の御用材蔵に祀られ、
四百年余に渡り木材作業に従事す人々の厚い信仰を享けてきた神社です。

藤の木で囲まれ毎年花の咲く時期に祭りが行われていた事から
藤乃木を祀る「藤森神社」と称され、
これらの縁起により木材作業・建築工事関係の信仰が篤いです。

平成十三年に区の有形文化財である
石水盤(貞享三年一六八六)・ 石燈篭一対(弘化五年一八五八)
と共に当社境内に遷座されました。

藤森神社の周囲は、どこか空気が静かです。
木に関わる人々の信仰を集めてきた社らしく、
“仕事を支える神様”という雰囲気を感じました。

◆御朱印

猿江神社では猿江神社の他、境内社である藤森神社、北向稲荷神社
それと馬頭観音社の御朱印も授かることができます。

また、季節限定のものもあり
御朱印を集めたい人にはたまらない神社かもしれません。


社務所の窓に貼り出してあります

◆まとめ

今回巡った猿江神社は、
ただ歴史が古いだけの神社ではありませんでした。

戦火を越え、人々の祈りによって守られ続けてきた場所。

そこには、
“人を導く神”と“暮らしを守る神”が共に祀られ、
下町の人々の生活に寄り添ってきた歴史があります。

また、猿が馬を守るという古い信仰から見ると、
午年に訪れる意味も感じられる神社でした。

勢いよく進むだけではなく、
守られ、支えられながら前へ進む。

そんな大切なことを、
この静かな境内は思い出させてくれます。

北向稲荷神社、馬頭観音社、藤森神社――。

それぞれ異なる役割を持つ境内社を巡ることで、
猿江神社が“暮らしを守る神社”であることを
より深く感じることができました。

猿江神社は、
「前へ進む勇気」だけではなく、
“安心して進むための守り”を与えてくれる神社でした。

◆次回予告

次回は、午年に巡ると良い神社として

馬橋稲荷神社

について紹介しようと思います。

▶前回の記事はこちら

▶午年に行くと良い神社の記事はこちら


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