介護保険という名の不正義(メモ③)
筆者は高齢者介護の現場を知る者の一人であるが、知れば知るほど介護保険の構造的矛盾が、現場へのしわ寄せを生じさせていることを実感する。すでに報道や出版などで問題意識が浸透しつつあるが、筆者ならではの視点から、何か発信できることがないかと考えている。
今回のテーマは、「介護労働の価値」についてである。言うまでもなく、介護従事者の待遇には問題があるとされており、他の業界を知る筆者の実感からも、それは確かなことと言える。処遇改善の動きはあるものの、全産業平均からすると低賃金のままの状況が続いている。高市早苗首相は11月21日の臨時閣議で総合経済対策が決定されると、次回の報酬改定を待たずに、月1万円の処遇改善を今年度の補正予算案に盛り込む方針を示した。歓迎すべきことではあるが、半年に限定した措置にどの程度効果を期待できるのか不透明だ。今回の賃上げでも、全産業平均には遠く及ばない。物価高が続けば、焼け石に水ではないか?
このまま抜本的な対策を講じず放置し続ければ、すでに生じている供給不足や質の低下が改善されず、社会に深刻な影響を与え続けることになるだろう。
こうした問題の根本原因は、介護保険制度の在り方と財政にあると考えている。ほとんど公共政策の問題なのだ。議会制民主主義の観点から言えば、国民一人ひとりの死生観や教育の影響も大きいだろう。マルクス経済学の労働価値説では、商品の価値を、熟練度・複雑労働・労働力の再生産費から説明しているが、政府は介護労働を低く見積もっているため、いつまで経っても介護報酬が少なく設定され続け、気休め程度にしか処遇が改善されず、人が定着しない。設備は劣化が進む。投資もできない。したがって、慢性的な人手不足で需要に対応できず、サービスの質が改善されない、といった悪循環から抜け出せない。
不当に介護労働が貶められている。もっと価値を認めていただく必要がある。
かねてよりそう感じていたところ、最近になって面白い動画があった。一つは、社会学者・宮台真司氏の対談だ。
14:40辺りからの「AI超知能化」の議論が興味深い。「知的職業であればあるほどAI超知能に置き換えられていく」という。定型的な業務については可能性があるとは思うが、勝ち組の概念が逆転し、看護師や助産師、介護士のような体を使う仕事は残るといった主張は、筆者の実感とも共鳴する部分があった。
次のイーロン・マスク氏へのインタビュー動画も興味深い。
宮台氏と同じような主張をしている。今後、介護労働の価値が認められていく余地があるのではないか、と思う。
では、どういった点が認められるべきと考えているかだが、職業としての技術的・経験的な側面について色々ある。これは今後、余力があれば書いてみたい。今回は、死生観・学問・心身性という三つの視点からメモを残しておこう。以下は、ChatGPTを参考にしてまとめた。
1:死生観
高齢者介護は、人生の最終局面に向き合う仕事である。他者の老いや死に接することで、自身の死生観を補正する効果がある。経験的に人格や人生観のステージを上げていく可能性がある。
2:学問
かつて、ギリシャ・ローマの哲学者たちは「身体と学問の一体性」を示した。思索とは頭脳だけの営みではなく、身体を通して世界と接することで深まるものだという古代的な感覚が、現場の介護では自然に息を吹き返す可能性がある。
3:心身性
近年よく言われる「心身性の喪失」──身体を動かすことが減り、生身の人と関わる機会が失われ、判断力や感受性さえ揺らいでいく現象にも強い問題意識がある。その意味で介護の現場は、身体知と学知が結びつき、人間らしさを回復する貴重な場所だと感じている。
▼バックナンバー
介護保険という名の不正義(メモ①)
介護保険という名の不正義(メモ②)
