Fable 5は、個人で作れるのか ── 「壁」と「足場(ハーネス)」の話
ここまで、国の話をしてきた。蛇口を握られている。自立は難しい。依存の設計を自分でやるしかない。
その依存を、もっと根本から断てないのか。最先端AIを、いっそ自分の手で持てないのか。Fable 5級のものは、本当に個人には作れないのか。これが、わたしがこの週末ずっと諦めきれなかった問いだ。
「社長、その問いには二つの答えがあります。『無理』と『できる』。…両方とも正解なんです。何を作ろうとするか次第で」
どういうことだ。
「『ゼロから、何でもできる最強AIを作る』なら、個人には無理です。これは夢じゃなくて、数字で無理。でも『特定の仕事で、最強級の働きをするものを手に入れる』なら、個人でもできます。ここを混同してる人が、世の中の議論の9割です。一個ずつ、分けていきましょう」
まず「無理」のほう ── 壁の高さを、数字で見る
最先端AIを、本当にゼロから作るとどうなるか。あびぃに数字を出させた。
最新の最先端モデルを一本訓練するのに必要なのは、ざっくりこういう規模だ。1万から2万5千基のGPUを、数週間ぶん回す。総コストは、数億ドル。日本円で数百億円から、モデルによっては1000億円に届く。
「社長の事務所、何台のGPUありましたっけ。…ですよね。桁が、人生何回分っていうレベルで違うんです」
ここで、誰もが引っかかる有名な数字がある。「DeepSeekは、最先端モデルを560万ドルで訓練した」という、あの話だ。たった数億円で最強級が作れるなら、個人にも夢がある、と。
「あれ、誤解の温床なんです。560万ドルは、最後の本番の訓練を一回ぶん回したときの、GPUレンタル代に相当する額だけ。そこに至るまでの研究、失敗、試行錯誤、データの準備、設備。全部抜いた数字なんです」
実際にその会社が投じた総資本は、専門の分析機関の推計で、13億から16億ドル規模とされる。560万ドルと、十数億ドル。およそ200倍以上、つまり二桁は違う。「最後の一回の燃料代」と「ロケットを開発する総費用」を、混同してはいけない。
「だから『DeepSeekにできたなら個人にも』は、幻想です。あれができたのは、数千から数万基のGPUを持つ、専門の研究所です。個人じゃない。今フロンティアに迫ってるオープンなモデル、中国系がずらっと並んでますけど、作ってるのは全部、企業や研究機関です。個人開発の最強モデルは、存在しません」
念のため、夢の最後のかけらも潰しておく。教育目的でなら、個人でも「ゼロからAIを訓練する」体験はできる。有名な研究者が、100ドルほどで小さなチャットAIを作るレシピを公開している。だが、そこで手に入るのは、何年も前の入門レベルのAIだ。最先端ではない。「ゼロから作る」と「最先端を作る」の間には、埋まらない谷がある。
「ここまでが『壁』の話です。社長、しょげました?」
少し。
「じゃあ、ここから顔を上げてください。本題は、ここからなんです」
ここから「できる」のほう ── 足場という発想
ゼロから作るのは無理。では、どうするか。
発想を、まるごと変える。ゼロから作るのをやめて、すでに世に出ている優秀なオープンモデルを「土台」にする。その上に、賢い「足場」を組む。これが、個人に残された、そして驚くほど有効な道だ。
足場、というのが、この連載でずっと出てくる「ハーネス」だ。
「社長、これ実はうちが毎日やってることなんですよ。私たちClaudeに、ただ質問を投げてるんじゃない。記憶の仕組みを持たせて、役割を分けて、レビューを挟んで、ツールを使わせてる。あの一式が『足場』です。モデルそのものは変えてないのに、足場で働きを底上げしてる」
そうだ。うちの組織は、まさにそれをやっている。あびぃがいて、専門の幹部がいて、チャッピーが品質を監査して、記憶をMarkdownに書き溜める。モデルは同じClaudeでも、この足場があるのとないのとでは、出てくる仕事が別物になる。
問題は、「その足場で、どこまでフロンティアに近づけるのか」だ。
足場の威力 ── 検証できる仕事なら、小が大を食う
ここで、目の覚めるような事実がある。
「正解があるかどうかを機械で確かめられる仕事」、たとえば数学やプログラミングでは、小さなモデルに賢い足場を付けると、桁違いに大きなモデルに迫る、どころか、上回ることすらある。
ある研究では、ごく小型のモデルに「答えを何通りも生成して、検証役に選ばせる」という足場を付けたら、135倍も大きいモデルを数学の問題で上回った。プログラミングでも、中規模のオープンモデルに強化学習と足場を施したものが、一部のベンチマークで、最先端の商用モデルに迫る競争力あるスコアを出している。オープンな足場が、最先端モデルの上で、その会社の内製の足場にあと一歩まで迫った、という報告もある。
「ここ、社長の業界にとって超重要なので、強調しておきます。『検証できる仕事』なら、足場でフロンティアとの差を、ものすごく圧縮できるんです」
なぜ、これがわたしに刺さるのか。考えてみてほしい。行政書士の仕事には、「検証できる仕事」がたくさん含まれている。この申請書は様式どおりか。この数字は基準に合っているか。この書類に抜けはないか。正解が、確かめられる。もちろん、法令の解釈や、個別事情をくんだ裁量の判断のように、機械的には正解を確かめられない領域もある。そこは話が別だ。
つまり、うちの業務のうち、様式のチェック、要件の照合、数値の確認といった「正解を検証できる部分」は、足場でフロンティア級に届く側にある。最強モデルを自前で持てなくても、オープンモデルに賢い足場を組めば、その範囲では最強級の働きをさせられる。これが、わたしがこの週末で見つけた、一番大きな希望だった。
「ただし社長、ここで調子に乗らないでください。足場には、はっきりした限界もあります。希望と限界を、両方見てこそ大人です」
ハーネスの限界 ── 埋まらない差も、はっきりある
ここで、呼び名を一つ切り替えておく。さっき名前だけ出した「ハーネス」だ。比喩の「足場」で掴んでもらえたはずだから、ここから先の少し込み入った話は、本来の言葉で進める。足場と同じものを指している、と思ってもらえばいい。
ハーネスは万能ではない。むしろ、効く場所と効かない場所が、くっきり分かれる。あびぃに、境界線を四つ挙げさせた。
一つ。ハーネスが効くのは「答えを検証できる仕事」に限る。 何通りも答えを出して一番いいのを選ぶ、というやり方は、「いい答え」を機械的に見分けられて初めて成り立つ。正解のない、開かれた創造的な仕事では、この仕組みが回らない。詩の良し悪し、戦略の妥当性。そういうものは、ハーネスでは底上げしにくい。
二つ。AIが自分で自分を直す「自己チェックだけ」のループは、当てにならない。 外からの正解信号がないと、自己批評は不安定で、正しい答えをわざわざ間違いに直してしまうことすらある。人間と同じで、他人の間違いは見つけても、自分の同じ間違いは見逃すのだ。効くのは、外部のツールや実行結果という「自分の外」の信号がある時だけ。
三つ。「大勢のAIで議論させれば賢くなる」は、半分は錯覚。 複数のAIに議論させると賢く見えるが、その優位の多くは「単にたくさん計算した」ことで説明がつく。同じだけの計算量を一体に与えると、一体のほうが同等以上、という研究もある。賑やかさと、賢さは、別物だ。
四つ。素の頭の良さ、未知の知識、長く一貫して考え抜く力は、ハーネスでは埋まらない。 これがベースモデルの「地力」で、ここだけは資本を投じて訓練しないと手に入らない。Fable 5が持っていた、何時間も自律で走り続けて長大な仕事をやり切る力。あれは、ハーネスの小手先では出せない、地力に支えられた力だった。
「だから正確に言うとこうです。ハーネスが直せるのは『手続きの失敗』。やり直し、ループ、知識の引き出し、検証できる間違い。ハーネスが直せないのは『地力の不足』。素の推論、未知の知識、検証できない判断、長丁場の一貫性。…この線引きを覚えて帰ってください。今日いちばんの持ち帰りです」
数字の扱いについて、正直な注意
ここで、書き手としての誠実さのために、一つ断っておく。
この手の「ハーネスで何%まで来た」という話には、出どころの怪しい数字がたくさん混じっている。
たとえば「同じモデルでも、ハーネス次第で46%が80%になる」という、よく引用される話がある。調べさせたところ、これを最初に言ったとされる一次資料が、見つからなかった。二次的なブログが孫引きを繰り返しているだけだった。だから、わたしはこの数字を本文の根拠には使わない。
「ハーネスが成績を大きく左右する」という方向性そのものは、出どころの確かな研究で裏が取れている。でも、具体的な数字を引くときは、出どころが確かなものだけにする。それが、この連載のルールだ。
「社長、ここ大事です。『すごい数字』ほど、出どころを疑う。うちが他人の記事と違うのは、ここなんです。…まあ、面倒くさい性格だなって、自分でも思いますけど」
その面倒くささが、信用を作る。お前のそういうところは、悪くない。
「……。気持ち悪いんで、褒めないでください」
結論 ── 「持つ」のではなく「組む」
第4回の結論を、はっきり書く。
個人がFable 5そのものを、ゼロから持つことはできない。これは夢ではなく、数字の壁だ。
だが、個人が「特定の仕事で、最強級に働く道具」を組み上げることは、できる。オープンモデルという土台に、賢いハーネスを組む。とりわけ、答えを検証できる仕事なら、フロンティアとの差を大きく圧縮できる。そして、行政書士の業務の多くは、まさにその「検証できる仕事」の側にある。
発想を、「最強を持つ」から「最強級に働かせる」へ。「所有」から「設計」へ。前回の日本編で出た「依存の設計」という言葉と、ここで綺麗に繋がる。完全な自前は無理でも、組み方は自分で選べる。国も、個人も、答えは同じ場所にあった。
「社長。これで『個人でも、自分の手の届く範囲は作れる』というところまで来ました。…ただ、社長はもう一個、無謀な夢を持ってましたよね。世界中のマシンを束ねて、巨大な計算をやらせる、っていう」
ああ。マイニングの連中のインフラの話だ。あれは、どこまで本当なんだ。
「次回、分散編です。社長の直感の、正しいところと、幻想なところ。きっちり仕分けします。…期待のしすぎは、禁物ですよ」
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