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ホーキング博士とガリレオ・ガリレイ

ホーキング博士は、若い頃によく「自分はガリレイの死後ちょうど300年の日に生まれた」と語っていた。その口調には、物理学が発展してきた300年という歴史以上に、彼個人に関わる何かを含んでいるようなニュアンスがあり、どこかさらに意味深な印象を与えていた。

その心のどこかで、自分がガリレイの生まれ変わり、あるいは深い関係にあると感じていたのかもしれない。そして、その思いが、体の障害を乗り越えて、彼の精神を強く支える力となっていたのかもしれない。

輪廻転生という思想は、人の生き方に大きな影響を与えるものである。ホーキング博士自身が深い仏教思想を持っていたという話は、聞いたことがない。しかし仮に「自分の前世はガリレイだ」と強く信じていたとしても、それは他者にとっては些細なことだ。しかし、それが彼の人生を導き、支えたのであれば、彼自身にとっては極めて大きな意味を持つことだったのだろう。

「前前前世」という曲があるが、それを聴くと、役行者(えんのぎょうじゃ)の伝説を思い出す。吉野で手にした冊子に載っていたこの伝説は、印象深かった。役行者は、山中での修行中に洞窟内で古い修行者の骸を見つけた。その骸は、右手に利剣、左手に独鈷杵(とっこしょ)を握りしめていた。そして役行者は霊告を受ける。「この骸は、この山で修行をした過去六回の生のうち、三回目の自分自身のものだ」と。

役行者が経を唱えると、その骸の手から利剣と独鈷杵がぽとりと落ちた。彼はそれを拾い、前世、さらに前前世、前前前世、そしてそのさらに前の世と同じように、再び山を駆けながら修行を続けていく。この伝説は人の生が時を超えて繋がる物語を示している。

仏教にはこの輪廻転生という思想があり、前世や来世を信じる。個人的には、これは言葉で完全に説明するのが難しい「自他一体感」の感性だと思っている。役行者がその修行者の骸を見たとき、それを「自分自身」だと感じたことが、その典型例だろう。共感が時空を超えて繋がる瞬間。それが輪廻転生の本質ではないかと思う。

また、同時代に生きる複数の人々が、「自分たちの過去世がある時代の同じ人物だった」と直感的に感じることもあるだろう。そして今の自分の生が、未来の同じ時代に生きる複数の人々に「それは私たちの過去世だ」と思わせることもあるかもしれない。「魂」というものは、1つの時代の1人にだけ伝わるものでは、必ずしもないのだろう。そういう感性の下にあるのが、「魂」であり、「生」ではないか。

そしてこうした人々の感性こそが、人の命が時代を超えて活き活きと伝わり、未来へと受け継がれる、その機序の下にあるはずである。それを感じることで、人生はより豊かになる。私はそう考えている。

学問の「文字」、すなわち書籍もまた、時代を超えて未来へと受け継がれていく。ある古い書籍との出会いを通じて、深い感銘を受け、人生が一変する人もいる。数百年前の学者たちの想いが、今もなお脈々と生き、響き続けて、受け継がれる様子は、生命における一種の「輪廻転生」と言えるかもしれない。そして、そのような未来を紡ぐためにこそ、学者たちは今日も自らの命を懸けて学問に向き合っている。


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