堅実のパラドクス(5)光さす 方を望めば あずまやと 木々の動脈 燃える紅葉(もみじ)や
第4章 光さす 方を望めば あずまやと 木々の動脈 燃える紅葉や
土曜日。約束通り、高尾と才木はデートに出かけた。
向かったのは、5月のツツジと11月の紅葉で名高い山寺である。100キロほど離れた場所だが、高速インターからのアクセスが良いため、道程に特段の不便はない。
季節はまさに紅葉の盛りで、寺院の敷地内は大変な人出だった。
しかし、真に美しいのは入園料を払って足を踏み入れる奥の庭園である。手入れの行き届いた遊歩道、むき出しの土の匂い、風情ある東屋に、瓦葺きの小屋や茅葺きの庫裏。そこに傾きかけた西日が差し込むと、逆光に透ける楓の葉が息を呑むほど艶やかに燃え上がっていた。


道中や園内での二人の会話は、ここで逐一書き起こすまでもないだろう。諍いを起こす理由などあろうはずもなく、端から見ればどこにでもいる仲睦まじいカップルそのものだった。
その寺院からさらに山奥へと車を走らせると、ひっそりとした温泉街が姿を現す。
「その温泉街ってさ、不倫カップル御用達なんだよ」と高尾が口火を切る。
「え? どうして晴仁、そんなこと知ってるの?」
「・・・・・・あとで調べたら、そうだって分かった。・・・・・・いつだったかな。以前、朝の気まぐれでふらっとここに来たことがあってさ」
「気まぐれで100キロ先まで来るの? 意外とロックだね。堅実なだけじゃないんだ」
「堅実なだけじゃ、息が詰まって死んじゃうからね」
「それはそうかも。……あ、それで? その話の続きは?」
「さっきの庭園で夢中になって写真撮りまくってさ、あっち行ったりこっち行ったり、見たい景色を何度も見に行って……」
「何をそんなに燃えてたのよ。よっぽど紅葉が綺麗だったんだね」
「で、完全に燃え尽きて灰になって、帰るのが面倒くさくなったんだ」
「そのまま行ったの? 一人で?」
「若気の至りってやつ」
「ほえ〜、あはははは! で、どうなったの?」
「泊まった。そして、見事にボラれた」
「え? 泊まった? 一人でなんて泊まれないでしょ。そんな不倫宿に男一人って、設定がおかしいよ。本当は二人だったんじゃないの? それともネタ?」
「いやいや、マジだって。『連れが来なくてフラれそうな可哀想な男』を装って、涙目で何軒かの旅館にアタックしたの。3軒目か4軒目でようやくヒットしたんだよ」
「何よその『涙目男子』って! だから設定がおかしいってば。よくそんなの思いついたね」
「・・・・・・1軒目でさ、『おひとりさまはお泊めしておりません』って冷たく言われて。ロビーの雰囲気がなんか異様だったんだよね。宿泊料もバグってたし。なんとなく雰囲気で察するところがあった・・・・・・」
「いくらだったの?」
「一人、10万円」
「……完全にそういう用途の宿だね」
「初手にガチの和風旅館を選んだのが間違いだった。そこで閃いたんだよ、涙目男子設定を」
「どんだけ必死なのよ。泊まってどうするの? 周りは不倫カップルだらけで、当てつけみたいになるじゃん。バグり散らかしてるよ」
「・・・・・・いざ『泊まる』って決めたらさ、あきらめたら負けみたいに感じちゃって。2軒目はその設定で行ったんだけど、本当に部屋が空いてなかったんだ」
「丁重に断られただけだよ。絶対に断られてるって」
「そうかなあ」
「設定がおかしいから!」
「そいで、温泉街にたった一つだけあったビジネスホテル風の宿に行ったら、キャンセルが出たらしくて泊まれたんだよ」
「設定、使った?」
「目薬で涙流したら、ホテルマンが察してくれた。笑いを堪えてたけど、あれは絶対にバレてたな」
「いや、そこは設定の面白さに免じて納得してくれたんだと思うよ」
「なんだとぉ? で、一泊2万円、食事別で朝夕6千円」
「高いね〜。二人分取られてない? ……で、今日はどうするの?」
「15時半までに出れば、余裕で17時には街に戻れるよ。帰ろっか」
「いや……泊まっていこうよ」
「温泉街に? 健全なカップルにも、あの温泉はけっこう人気だよ。空いてるかな」
「……ネットで見たけど、空いてないね」
「ご両親は、水曜日に言ってた通り? 気兼ねすんなって」
「私は大人だよ」
「じゃあ、あの温泉街、雰囲気だけでも味わいに連れて行くよ」
二人は温泉街へ向かった。観光客用の駐車場に車を停め、高級そうな和風旅館を何軒か冷やかしで覗いてみる。
「うわ……この宿、ガチだわ。ガチのガチ。ロビーの空気がなんとも言えない。なんか、みんなコソコソしてる」
「ロビーで自分の奥さんと鉢合わせたら、その瞬間に詰むからね」
「そういう時って、どうするんだろう。スルー?」
「スルー一択でしょ。それは」
「だよね。それにしても宿泊料……うわ、一泊15万円だって。離れ、専用温泉、部屋食。完全に隔離されてる」
「会社の経費で落とすか、やましい事情がある層向けだね」
「泊まってみたーい! でもたっかーい! さすがに手が出ない!」
「あと15年、しっかり積み立ててから出直しだね」
「……ん? 15年後? なんでそんなに先なのよ」
「ここ、なんか湿気高いね。秋も終わるっていうのに。……俺、『懲役刑』の服役中だから」
「あはは、まだ気にしてたんだ。……じゃあ、今夜はどこに泊まるの? 晴仁」
「そうだね。ラブホだけは反対。どうもあの安っぽい装飾と、浮ついたイメージが苦手なんだ」
「何そのこだわり。おかしい。安いのはいいことじゃない」
「いや、チープな演出に金を払うのが嫌なんだよ。一泊5000円のビジネスホテルなら、機能美として愛せるんだけど」
「ダブルスタンダード! でも、その『無駄を削ぎ落とした潔さ』が好きっていう感覚、なんとなく分かるかも」
「ほら、夕焼けで顔がピンクだか紫色になってるよ。頃合いだね、みちる。この辺のビジネスホテル探して。俺が運転してる間に、シングル二つ押さえて」
「はいはいはい。予算は?」
「素泊まり一泊7000円以下。もちろん、各自負担で」
ここから後のことは、特に書く必要はないだろう。二人は自由だ。制約は何もない。気持ちが合うなら、それでよい。至ってシンプル。シンプルだからこそ、当然のように二人は結ばれた。
そしてその後も、二人の関係は至って円滑に進んだ。やがて結婚することになるが、それはロマンチックな「結婚」というより、資産の共同経営者、あるいは親密な関係を伴う同居人といった趣で、あまりウェットな情緒はなかった。
……実のところ、この結婚はみちるの方からの圧が強かったのだが。
