盗賊の末裔/宮崎市定先生を慕って―「雍正帝 中国の独裁君主」(1)
参考文献 引用する場合のみ典拠を記す。
(1)宮崎市定著「雍正帝 中国の独裁君主」(中公文庫)1996年
(2)宮崎市定責任編集「中国文明の歴史 9巻」(中公文庫)2000年
(3)宮崎市定著・礪波護編「中国史の名君と宰相」(中公文庫)2011年
(4)宮崎市定著「中国史(下)」(岩波文庫)2015年
他、山川出版社の「詳説 日本史研究」2017年および「詳説 世界史研究」2017年他多数。ネット情報も含めれば枚挙に暇なし。
次回以降も、特に断らない限り、以上による。
ただし、以下の話というか語りというか、それらはすべて、作者の脳内フィルターを通しているので、必ずしも歴史的事実と同じとは限らない。正確性については最善を尽くすが、作者の能力的に完璧であることは期しがたい。
あらかじめお断りする次第である。
第1話 由緒あるお仕事について
かつて少年だったころ、夢中になって読んでいた漫画の中に、次のようなセリフがあった。
「正義の定義など時代によって変わるもの。過去では正義であっても、今は悪とされる者あり。逆も然り。今は悪でも、やがては正義とされることもある。それは歴史が証明している」
少年だった頃はこう思った。
「正義は不変だ」と。
歳をとった今はこう思う。
「現代の知見や正義感で過去を裁こうとしない、謙虚で納得できるセリフだ」と。
初めから持論を展開させていただいた。 もっとも、全くの空論・暴論というわけではない。
――税金とは略奪の言い換え?……ならば、国家の正体は何だろうか?――
高島俊男は、その著書『中国の大盗賊・完全版』(講談社現代新書)において、次のように述べている。
「……王朝のうち、強くて長続きしたのが正史……にのせられ、弱くてすぐほろんだのは賊のあつかいになるのであるから、要するに簡単に言えば、『勝てば官軍、負ければ賊軍』ということなのである。」(Kindle版、p.41)
また、高野秀行と清水克行の対談集『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』(集英社インターナショナル)では、国家の本質について興味深いやり取りがなされている。
高野:「……僕がまず思ったのは、とにかく国家というのはろくでもないものだったということですね(笑)。一部の支配者層が戦争をやって強引に労働力を集めてきて、水田を開発して、水稲をつくらせていた。……」
清水:「収奪に都合のいい作物だったということでしょ。」
高野:「収穫高が計算できるし、もう完全に搾取用の作物だったということなってきますよね。」(Kindle版、p.18)
――日本の戦国時代以降の「検地」を想起して欲しい。特に、「太閤検地」以降の検地を。
……というわけで、日本史でも同様のことが言えそうではないだろうか。それも古代から……。
教科書には「大化の改新によって国家の姿が現れた」などと書かれているが、これも実に怪しいものである。
格調高い言葉で飾っただけの、施政方針が語られただけのことではないか。実態は盗賊の親玉の名において示された、みかじめ料のメニューといったところではないだろうか。
「公地公民」という言葉からして、最初から誰のものでもないはずの土地を、勝手に自分達のものにしているではないか。
大和の勢力が「中国の王朝から日本列島の支配権を認められた」と称し、他の集団を脅迫していたに過ぎないのではないだろうか。
桃崎有一郎「武士の起源を解きあかす」(ちくま新書)は、日本の古代について次のとおり述べる。
「墾田永年私財法」以降、地方は「院宮王臣家(いんぐうおうしんけ)」と呼ばれる皇族・貴族の末裔たちによる略奪の場と化した。
当初の国司などは、彼らの前では無力な存在でしかなかった。
後の世に、有力な国司が登場してくるのは、彼らが院宮王臣家と結託したから――すなわち、特権階級の末裔自らが国司に収まったからである。略奪だけではやがて先細りになるため、農地開拓を進める原動力ともなったという言い方もある。
つまり、効率的に略奪するために、洗練されたということだろう。当時の知識階級の大寺社も開発に加わってきた。
当時の地方は一種の無政府状態にあり、中央貴族がその手先を使って各地を荒らし回っていた。
その「上がり」によって、華やかな中央文化は運営されていたのである。
――目を西に転じる。ローマ帝国でもそうだった。
3世紀の危機のなか登場した中央機動軍や四分統治(テトラルキア)など、言葉は格好付けているが、内実は皇帝周囲の軍団は実のところ略奪者の群れだったと考えている。
教科書にも「都市に重税をかけた」とあるが、これは容赦なく取り立てて(=略奪)していたということだろう。
流賊(=中央機動軍)が、定期的・定額的な略奪に変わった(=ディオクレティアヌスの改革)ということだ。
――由緒正しいお仕事――
誤解を恐れずに言うならば、「国家は巨大な集金マシーン」に他ならないのだ。
つまり、暴力組織と税金徴収システムが、全世界、もっとも由緒ある国家――行政の正当な先祖なのだ。
この観点に立つと、政治が腐敗しているか否か、なんてそういう論は、はじめから成り立たない。
誰がもっともマシな盗賊かということに過ぎない。
このような考え方は、政治学者チャールズ・ティリーの「組織犯罪としての国家形成」という理論にも合致しており、あながち間違いというわけではないだろうと思われる。
現代も由緒正しい盗賊の末裔が、税務署、警察や自治体で働いている。
清の雍正帝(在位1722年~1735年)は、高校世界史の教科書にも載っている。しかし、その記述は「軍機処の設置」や「キリスト教布教の禁止」といった、制度上の記号に終始しがちだ。
だが、宮崎市定先生が描き出した雍正帝の真の姿は、そんな平板なものではない。 彼は、いわば「盗賊の親玉」として、その略奪システムを究極まで洗練・効率化させた、中国史上稀に見る「冷徹な実務家」であった。
いささか大層なことを書きすぎたと後悔している。
筆を走らせるうちに、どうやら私の能力をはるかに超える課題が眼前に壁のように立ち上がってきた。
税金は略奪の言い換えとか、国家は盗賊であるとか……。
――それはそうかも知れないが、だから何なの?その定義に意味はあるの?――
――シニカルなインテリ気取りの文章のようだ。活字で空虚を埋めているだけではないか?――
――盗賊だろうが何だろうが、秩序が保たれていれば、上等ではないだろうか?――
――集金マシーンをどのように活かすのか。そちらがもっと重要な論点では?――
参考文献を行ったり来たり、ちっとも筆が進まなくなった。
だから、原点に戻る。
自分にできそうなことは、宮崎市定著「雍正帝 中国の独裁君主」(中公文庫)を課題図書として、読書感想文を書く程度である。
同著の目次は以下のとおり。
はしがき
一 懊悩する老帝
二 犬になれ豚になれ
三 キリストへの誓い
四 天命の自覚
五 総督三羽烏
六 忠義は民族を超越する
七 独裁政治の限界
雍正硃批諭旨解題 その史料的価値
一 緒言 二 雍正という時代
三 奏摺政治の出現 四 奏摺と硃批
五 題本と奏摺 六 硃批諭旨の価値
七 奏摺政治と軍機処
解説 礪波護
一から七までの読書感想文として濃縮還元し、お届けします。
「雍正硃批諭旨解題 その史料的価値」以降は一から七までの内容と重複する部分が多いので、まぜこぜにさせてもらいます。
本文を締めるにあたり、「はしがき」から自分の印象に残った文章を引用し、あるいは要約し、以下に示させて欲しい。
「もし近世の中国で代表的な独裁君主は誰かと問われたら、私はためらうことなく清朝の雍正帝だと答える。父の康熙帝、子の乾隆帝の名は知っていても、雍正帝の名は覚えがないという人が多いかも知れない。それならばこそ、ますます私はこの帝王の独裁政治ぶりを紹介しなければならない義務を感ずる。」
清朝は現在の中国東北部から興ったものであって、満洲族の王朝である。建国から二代(太祖ヌルハチと太宗ホンタイジ)を満洲ですごし、三代目(順治帝)が西暦1644年に北京に入り中国を支配し、四代目が康熙帝であり、その子が雍正帝である。雍正帝は最初から数えると五代目、北京入りから数えると三代目にあたる。
「王朝が栄えるか衰えるかは大体三代目ごろに定まるから、雍正帝は清朝での最も大事な境目に立っていたことになる。」
雍正帝の即位は1722年、ロシアのピョートル一世に少し遅れ、プロイセンのフリードリヒ二世に少し先んじ、我が国の徳川吉宗の中期に相当する。そして彼はこれら名君と優に比肩する治績を挙げた。
「恐らく数千年の伝統を有する中国の独裁政治の最後の完成者であり、また実行者であったといって過言でない。」
次回は、「一 懊悩する老帝」を取り上げる。
老帝とは、すなわち康煕帝――中国史上最高の名君と謳われる皇帝である。
