行政が本気でマッチングアプリ作ってみた|第2話 判決文
正式名称:家族形成機会保障プラットフォーム。
ある役所の政策企画担当が立ち上げたそのアプリの原案は、組織によってブラッシュアップされ、最高幹部会議を通過した。
検討過程において唯一、超法規的に追加されたのは「健康診断データベースへのアクセス権付与」である。遺伝子レベルでの絶対的な最適マッチングを果たすためだ。他にもいくつかの国家機密データへのパイプが接続されたが、ここにいちいち記す必要はない。
一方で、最高幹部会議に諮る前、早々に削除された項目もある。
理由は単純だった。「公序良俗に反し、国家賠償請求訴訟で敗訴するリスクが極めて高いから」というものだ。
利用者が虚偽の申告を行った場合、即座にブラックリストへ掲載し、その後の動向を随時監視する。次の違反行為を覚知した段階で直ちにアプリの機能を停止。同時に、当該個人のマイナンバーカードに紐付く全行政・民間サービスにロックをかける。
→これによりキャッシュレス決済等が全面的に不可能となり、市民生活に致命的な支障が出る。
ロック解除の手続きには、本人が役所の有人窓口へ自ら出頭し、屈辱的な釈明の上で誓約書を提出させ、担当職員が解除の可否を個別判断するものとする。
こちらも削除された。理由は「高魅力度者の判断基準を定義できない」「仮に定義すれば『法の下の平等』に反する」「実際の行動のログ採取で足りる」とされたためだ。
7.高魅力度者(美男美女等)に関する特殊仕様
8.高魅力度者にマッチングされた平均的利用者
あとは、「『各人の性的自己決定権は最大限尊重する』として、個々人の行動の一つ一つについては秘密を守るが、蓄積されたログ解析によって、交際関係・婚姻関係を破壊する行為(浮気・不倫等)が既遂になった蓋然性が極めて高いと判断されたとき(浮気・不倫の当事者が密室に一定時間滞在した場合等)は、関係者に一斉通知する」ということが改めて確認された。
AIは過去の膨大な離婚訴訟のデータの蓄積を、「喰わされて」ディープラーニングさせられている。その裏付けを踏まえた「裏切りのログの蓄積」の一切が、容赦なく叩きつけられる。そのログにはもちろん、単なるメッセージのやりとりだけではなく、通話記録、「性交の音声」「性交の動画」も含まれている。
行政のサーバーを圧迫しないように、データを受け手がダウンロードすれば、1週間後に自動削除される。……
「裏切り」のときの関係者一斉通知は、利用規約にさりげなく紛れ込ませ、インストール時に何度も警告させ、ボタンを長押しさせる等して、徹底した「自己責任論」に持ち込み、退路を断つ設計である。
もちろん、このアプリを利用するか否かは、個人の判断に委ねられており、行政は一切の強制をしない。
インストールしなくても、市民生活にはまったく影響しない。
ーーただし、マッチングされないだけである。自動的に自由恋愛を選ばされるということだ。
これらは、後に「行政マッチングアプリ」、さらに縮めて「AMA(Administration Matching Application)」――最終的には畏怖を込めて「アマ」と呼ばれるようになるシステムの、誕生前夜の記録である。
アマの本格運用が始まってから五年。
とある深刻な家庭内争議――いや、そんな生ぬるいものではない。一家庭の完全なる「精神的破壊」が起こり、当事者が行政(本件においては国)を相手取って国家賠償請求訴訟を提起した。
まずは前提として、この国家システムの構造を記しておく。
システムは国、都道府県、市町村による共同プロジェクトであり、表看板には「独立行政法人 家族形成推進機構」という無機質な名が掲げられている。
【国(デジタル庁・厚生労働省等)の役割】
システムの構築、基本仕様の作成、および国家健康診断データベースとの連携。利用者デバイスへの通信の最上流。
〈裁判における国の主張〉
「国は単に、効率的なシステム基盤という『箱』を提供したに過ぎません。個別の運用や、それによって生じた個人の不利益処分(アカウントの凍結等)には一切関与しておりません。
また、アプリのインストール時には、利用規約の重要部分をポップアップで何度も繰り返し明示しております。
『配偶者、親子あるいは要介護者等に対し、本人の承諾なしにシステムが情報を自動開示する場合があります。情報開示によって利用者に生じたあらゆる不利益(離婚、解雇、民事訴訟の提起等)について、サービス提供者は一切の責任を負いません。これを承諾の上で同意ボタンを押してください』
原告はこれを自らの意思で理解し、同意した上で行政サービスを利用している以上、国に民事上の不法行為責任は存在しません。また本件は、行政が法律に基づき国民の権利義務を一方的に制限する『行政処分(医師免許取り消し等の不利益処分)』にも該当しません。あくまで本人の自由意思による、任意の合意形成に基づき運用されています。
なお、アマは現在、全国民の77%がインストールしており、利用者の満足度は95%水準を維持。昨年度の我が国の合計特殊出生率は、奇跡的とも言える『3.0』を突破いたしました。今後も精度を高め、利用率90%、満足度100%を目標に鋭意努力する所存です」
【都道府県の役割】
アカウントの管理(ステータス改定、不誠実ユーザーの『グレー表示』、アカウントバン)等。利用者への通信の中継。
〈裁判における都道府県の想定弁論〉
「都道府県は、市区町村から上がってきた客観的な行動ログデータに基づき、規約に則って機械的にステータスを適用しただけです。そのログ(証拠)を生成したのは、他ならぬ原告本人です。
現在、技術革新により県内のどこにいても高度なリモートワークが可能となりました。さらに、大学レベルの高等教育を県民専用デバイスで随時無償受講できるため、家計の教育費は劇的に削減され、地方からの人口流出は完全に歯止めがかかりました。地域に若者の活気ある声が蘇り、閉校されていた高等学校が十年後の再開校を目指し、今、力強く準備を進めております」
【市区町村の役割】
対人窓口業務、利用者デバイスへの通知名義人、実務全般。そして、アマの「副作用」によって一瞬で崩壊した家庭の子供たちを回収する児童保護業務。
〈裁判における市町村の想定弁論〉
「自治体は、システムの自動通知フローに従って実務(児童保護等)を処理しているに過ぎず、仕組みそのものを決定する権限は有していません。
しかし、リモートワークの普及で遠隔地への通勤義務が薄れ、義務教育期間に配布された個人デバイスを通じて学習塾の最高峰の授業を受けられる環境が整った結果、かつての人口減少に悩まされていた時代とは隔世の感がございます。各地区に子供たちの元気な声が戻り、閉鎖されていた小学校と中学校を再開する運びにまでなりました。目頭が熱くなるのを禁じ得ません。児童が大量に入学する四年後に向け、実務の歩みをさらに強めてまいります」
◇
最高裁判所。
一人の女性判事が、デスクに投げ出された粗末な訴状を冷淡な目で見下ろしていた。
当然のことながら、司法の現場も深刻な人手不足である。彼女は今、自らのモノローグを業務用高精度リーガルAIに音声認識させ、判決文の形に整形させる作業を行っていた。画面に出力される無機質な法理に対し、口頭で修正命令を繰り返して仕上げていく。
刑事の裁判官との立ち話では、検察の起訴状も全く同じプロセスで作られているらしい。
「弁護士だって、音声入力のAIで訴状を自動生成しているんですもの。どこもかしこも人手不足で多忙なのよね……」
彼女がマイクに向かって紡いだ、初稿段階の判決文は以下のようなものだった。
【主文】 本件上告を却下する。 上告費用は上告人の負担とする。
【理由】 控訴審判決に原告の主張するような誤りはなく、最高裁判所もそれを全面的に支持する。
……そもそも、この上告人Xの主張は最初から最後までお笑い草だ。
Xは、国が提供する家族形成支援アプリの「情報通知機能」によって、自らの不倫動画が配偶者に強制送信されたことを捉え、憲法第13条の『プライバシーの権利(幸福追求権)』および第21条の『通信の秘密』という、お決まりの大文字の権利を国家に侵害されたと大真面目に喚き散らしている。
さらには、それによって実子の養育を拒絶された結果、民法第752条が定める『夫婦の同居・協力・扶助の義務』を国によって物理的に破壊された、などと市販のリーガルAIのコピペで無理やり法律論に仕立て上げている。
だが、事案の核心はそこではない。 本件は、上告人Xが自らの意思で同意した利用規約に基づくデータ開示の結果であり、行政処分にも該当せず、民事上の不法行為要件も満たさない。
自分がスマホで撮った行為動画を、規約通りにシステムが処理しただけだ。
したがって、本件訴えは訴訟要件を欠く不適法なものであり、民事訴訟の不服申立ての対象とはなり得ない。
……なお、事実の経過は以下の通りである。
上告人Xは、配偶者Aおよび二人の未成年の子がある身でありながら、既婚女性Yと不貞関係に及んだ。XはYとの性交の最中、自らのスマートフォンのカメラを用い、その行為を20分間にわたり動画撮影していた。 本アプリの監視システムがこれを検知し、規約に基づき、当該動画データを配偶者Aの端末へ直ちに送信した。
配偶者Aは、通知された動画の冒頭5秒時点で再生を停止した。
画面には聞き慣れた夫の声と、見知らぬ全裸の女の嬌声が飛び交っていた。無駄に高性能なスマホのカメラで撮影された動画には、Aの精神を完璧に破壊するほどの「アリサマ」が、残酷なまでの8K画質で記録されていた。
現在、配偶者Aは当該5秒間の映像および音声により、深刻な心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症している。Aは日常生活において「Xを連想させるすべての事象」に対して激しい拒絶反応(パニック発作および解離症状)を起こす状態にあり、その結果として、Xとの間に設けた実子二人(長男5歳、長女3歳)の養育を完全に拒絶している。
一方、アマがAのスマホやYの夫に情報を送信する際、誤送信を回避するために行政保有情報を複数回、総当たりで照合した。その結果、X、A、二人の子の血縁関係に、特大の亀裂が見つかった。
長子とXに、血縁関係が存在しなかったのだ。
真の父親が直ちに特定され、本人とその配偶者に通知が送られたことは言うまでもない。
Xの家庭は砂の城のように崩壊した。
Xの不倫、そしてAの過去の不義。それらがアマによって白日の下に晒されたことで、Yの家庭はもちろん、周囲の関係各所で「不義のドミノ倒し」が連鎖的に発生した。
……以下、高等裁判所の事実認定が動画の凄惨な内容を含め延々と続くが、あまりにもグロテスクであるため、これ以上の描写は差し控えたい。
判事は老眼鏡を外し、深い溜息をついた。
そもそも、これは高等裁判所で決着がついたもの。それを無理矢理に上告しようとして、都合よく憲法をねじ曲げて解釈しているわ。
まともな訴訟の体を成していない。当然、高名な弁護士がつくはずもなく、原告のXが市販のリーガルAIを使って無理やり書き上げた形跡があった。
だが、あまりにも文章が破綻している。AIがこれほど支離滅裂な訴状を自発的に出力するはずがない。
AIの側からは「判例に照らし合わせて負け確定です」「訴訟を起こす意味はありません」と、何十回も警告画面を出されたはずだ。それをすべて無視して、男が自分の足りない脳みそを必死に絞り、AIのテキストを滅茶苦茶に切り貼りして書いたのだろう。本当にお笑い草だ。
それにしても、なぜ最高裁の事務官はこんなゴミ同然の書類を受理したのか。
「こんなものは窓口で弾きなさい」と言ってやりたいが、「国民の裁判を受ける権利」という大文字のお題目がある以上、形式さえ整っていれば受け付けるしかなかったのだろう。おかげで、私のところに馬鹿げた仕事がまた一つ増えてしまった。
とにかく、もう私たちは無力なのだ。
司法の精緻なロジックなど、この巨大な「時代のうねり」の前には、何の防波堤にもなりゃしない。
先週、耳にタコができるほど流れていたニュースが脳裏をよぎる。
『今年、我が国の合計特殊出生率が、前人未到の「3.3」を超えました』
少子化大国からの奇跡の復活劇に、国を挙げての大万歳三唱。だけどその数字の裏で、かつてなら暗闇に埋もれていただろう不倫や裏切りがすべて冷徹に可視化され、毎日どこかで凄惨な家庭内悲劇が生まれている。
それでも、数字には勝てない。
国が生き残るか滅びるかの瀬戸際において、どれだけ個人の家庭が血を流そうが、そんなものは単なる「必要経費」として処理されるだけだ。このアプリを「違法」などと、今の世の中で一体誰が断罪できるというのか。
……まあ、偉そうなことを考えている私だって、このシステムの「恩恵」に預かった身なのだけれど。
自由恋愛の市場からはじかれ、このまま生涯独りで朽ち果てるはずだった私に、定年間際になって驚くほど誠実で優しい良人が現れた。ノイズとしか思っていなかった「男」という存在が、これほどまでに甘美なものだなんて。面白半分でインストールしたアプリだったが、人生の後半でまさかこんな大どんでん返しが起こるなんて思いもしなかった。
まったく、アプリ様々ね。
彼女は再びマイクに向かい、デバイスに表示された判決文に修正を指示していった。
完全に感情を排した、氷のような声で。
これほどまでにデジタル監視網が整備されているというのに、相変わらず不倫に走る男女は絶えない。どれほどSNSで晒し者になり、全身にデジタルタトゥーを刻まれ、地獄に落ちて大衆のオモチャにされても、自ら破滅へ向かう者たちが後を絶たない。
アナログに逃げようとしたところで、今や「不倫当事者二人のスマホが、それぞれ自宅に固定されている」「二人のスマホが両方とも、2時間以上前に、同時に電源が切られた」というログそのものが、不貞の動かぬ証拠になりつつある。その状態を検知すると、システムから「安否確認情報」として配偶者へ自動的に通知が飛ぶのだ。
……スマホを持たなければいいってもんじゃないのよ。
今時のホテルのチェックインには、マイナカード連携の顔認証が義務付けられている。
……そう、結局マイナカードを手放したら、それこそ「廃屋」か「屋外」で逢瀬を楽しむしかない。とどのつまり、誰かに目撃されるリスクが跳ね上がるわけ。
それはそれで、彼らにとっては燃えるシチュエーションでしょうけどね。
本当にお笑いぐさなのは、マイナカードそのものが「GPS連動の生体識別チップ」に変貌していて、常に微細な電波を放ち続けているってこと。
……電源?
カードの表面に組み込まれた、超高効率の光発電に決まっているでしょう。
(なお、2026年の日本の技術水準を以てすれば、政治的判断と行政機関の事務レベル協議さえ整えば、アマは十分に実装可能である――らしい)
――暗転。
