人間卒業への旅立ち(笑)/宮崎市定先生を慕って―連作「科挙 中国の試験地獄」(3)
第三話 衆議院議員選挙+国家公務員採用総合職試験+更なる鬼畜筆記試験
このパートもエッセイ風に書いていきます。
えーっと、ここからいよいよ具体的な話に入っていきますが、宮崎先生の著書から引用する場合、「○歳」というときは全部数え年です!
筆者の能力不足で、数え年を満年齢にいちいち変換できないから、初めにごめんなさいをさせていただきます。
宮崎先生の著書の二十一頁にこうありました。
「五つぐらい(中略)中国では年をいうには数え年であるから(中略)やっと満三歳余り」と。
というわけで、数え年からは一歳か二歳引けば、だいたい満年齢になります!
!!警告!!
この先は早期英才教育(笑)を、ディスっているように受け取る方も、居られるかも知れません。ディスっているつもりはないですよ。
でも、競争率がエグ過ぎて、そんなに差が出るのだろうか?と思うだけです。
宮崎先生の著書の十九頁に次の言葉があります。
「科挙のための競争は、少し大げさに言えば子供が生まれる前からもう始まっている。」
妊娠したら「胎教」開始。妻には特別に身持ちを正しくしないといけないんだって(笑)。
座るなら席を整え、敷物の上に端座して、横になるときは肱枕禁止、不愉快な表情も禁止、ひまがあれば詩経を読んでもらうんだってさ(笑)。
そうすれば「才気の人並みすぐれた子」が生まれるんだって!
初めて聞いた(棒読み)。
ねえねえ、そこのお母さん、これできますか?
お母さんならもちろん、詩経暗誦できるでしょ?
子供に早期英才教育(笑)を押し付けるなら、お母さんもしないと不公平ってもんじゃないの?
再び宮崎先生の著書の二十一頁に、次のように記載されています。
「学問はなるべく早く始めた方がよいとされる。ただし、学問といっても、それは古典の勉強がほとんどすべてである。」
自然科学、技術や数学は下等なことなんだってさ(笑)。
士大夫が学ぶことはそういうことではないらしい。
「(前略)学ばねばならぬことは古代の聖人の教えを書きとめた『四書』『五経』などの儒教の経典。(中略)詩や文章をつくることが大切であり、科挙の試験問題も要するにこの範囲を出ない。」
で、五つぐらい(満三歳)になると、そろそろ家庭教育が始まります。
誰が教えるか、だって?
母親に決まっているでしょう(笑)。母親でなければ、手の空いた誰か。
つまり、この時点で、もう「親ガチャ」が炸裂しているのだ。
家族全員の教養が高いから、子守のときに、まずは画数の小さな字から教えるんだとさ。
意味などは教えず、とりあえず、字の書き方と筆の持ち方を覚えさせるそうです。
二十五字から始まって、千字文に進んでいく。全部丸暗記(笑)。
ときに凄い子が居て、どんどん覚えていき、どえらい天才扱いされた挙げ句、皇帝が「童科」をして、及第すると童子出身って肩書きをあたえることもあったそうです。
童子出身者について、宮崎先生の著書の二十三頁より引用。
「(前略)いたずらに早熟なだけ(中略)大成した者がない。結局大人のおもちゃにされたのが落ちということらしい。童科は(中略)その弊害に気づいてだんだんと廃れて行われなくなった。」
数え年八歳で初等教育が始まりますが、もちろん費用がかかるので、貧乏人は弾かれます。
中流以上は寺子屋に頼み込んで入れてもらうけど、そこに居る先生は失業官吏か「何べん科挙を受けても失敗していつのまにか年とってしまった老学究」だとさ(笑)。
では寺子屋で何をするのか?丸暗記だけです(笑)。
上級国民は大邸宅を持っているから、その一室をあけて、家庭教師を雇って、つきっきりで教えてもらう。
何を教わるのか?しつこいようですけど、マジで丸暗記「だけ」ですからね?(笑)。
大切なことは、子供が苦しくなるかならないかを、ギリギリを攻めることです!
八歳から十五歳まででひと通りの教育を終わりますが、ここで先に出した例の数字が出てきます。
そう、四十三万一千二百八十六字!!(笑)。毎日二百字覚えても六年程度かかる。
しかもこれを暗誦しなければならないそうです。
そして、これに数倍する注釈を読み込むこと必須(笑)。
もちろんこれで済むはずがなく、理解を深めるために、他の経典、歴史の本、文章の本も読まないといけません。
読んだだけでは不十分ですよ。自分で詩や文章を作る練習が必要になります。
生徒は嫌になって当たり前ですよ。
今の小学校から中学校までの時期で、遊びたい盛りの年頃の生徒を、終日教室に閉じ込めて軟禁状態にするのだから、生徒には苦痛極まりないでしょう。
そこで今でも使われる常套句が炸裂します。
「若いうちに勉強しておけば、先に行ってからよいことがある」と言い聞かせるという訳です。
ここで皇帝御製のポエムの出番ですよ(笑)。
――金持ちになりたい?お屋敷に住みたい?お供が欲しい?嫁が欲しい?
男たるもの、大人物になりたければ、刻苦勉励し、経書を読め(笑)――
いくらなんでもあんまりだと、非難の的にされた歌だそうです。
正直にやっていると負担が大きいから、頻出問題とその対策のような参考書が当然のように作られ、売られていました。
山が当たれば、労せずして高得点をとれるが、外すと悲惨なことになります。
政府はこういう模範答案集を出版するなと、厳しい禁止令を出すのだけれども、切実な需要があるし、何せ売れるから、アングラにしてでも売っていました。
禁止令はいつの間にか骨抜きになる、ということが繰り返されたそうです。
現代日本とどう違うのでしょうか?同じじゃないの?
本質的には全然進歩していないと感じるのは、私だけでしょうか。
中国の試験制度は六世紀末に誕生して、二十世紀初めまで存続しました。
変遷を繰り返してきたので、最初の方と最後の方では相当に違っています。
だから、宮崎先生の著作では、形式上もっとも完備した清朝末期、つまり十九世紀後半の状態を基準として、話が進められていきます。
第一話でも触れましたけど、科挙はとにかく試験の連続です。
この話の最後に、試験の一覧を書き出し、若干の説明を加えます。
学校試:①県試、②府試、③院試、④歳試
科挙試:①科試、②郷試、③挙人覆試、④会試、⑤会試覆試、⑥殿試
科挙試の続き:朝考
「学校試」について。
これは大学入試みたいなものです。といっても、今の日本みたいに「全入時代w」なんて甘いものじゃありません。
毎年あるいは二年おきに実施されますが、この「学校試(県試・府試・院試)」を全てパスして、ようやく「生員(せいいん)」っていうステータスをゲットできます。
これに受かってもまだ、スタートラインに立っただけの大学生扱い。
いわば「科挙へのエントリーシートを書く権利をかけた、命がけの予備選」みたいなもんかな?
これだけでも既に、合格率は数%以下の鬼畜仕様。
凡人はここで一生を終えます(笑)。
「科挙試」について
一、郷試(地方予選):三年に一度の本番
これがマジでエグいのですよ。
三年に一回、秋に行われるから「秋闈(しゅうき)」って呼ばれますが、これに落ちたら次は三年後。
「三年間の努力が数日の試験でパー」っていうプレッシャー、想像してください。
二十歳で落ちたら次は二十三歳、その次は二十六歳……。
「三年という重み」……失敗したら、病みますよね。
二、会試(全国大会)と殿試(ラスボス)
郷試に受かったラッキーな人(挙人)だけが、翌年の春に首都で行われる「会試」に進めます。
これを春闈(しゅんき)って言われます。
会試: 春にある全国大会。
殿試: そのすぐ後、皇帝の前でやる最終面接。
つまり、一年目で生員になって、二年目に地方予選に受かって、三年目に全国大会と皇帝面接をセットでクリアするのが、理論上の最短ルート!
……とまあ、これは絵空事です(笑)。
現実ははるかにシビアですよ。十年で合格できれば、超天才の幸運児です。
……これって現代日本の衆議院議員選挙と国家公務員採用総合職試験を合わせたものに、鬼畜な筆記試験を加えたものじゃないですか?
これをいったい何年間やるのですか?もはや人間を卒業していませんかね~(笑)。
