弟だから粛清する。/宮崎市定先生を慕って―「雍正帝 中国の独裁君主」(3)
第3話 「犬になれ豚になれ」
先に結論を言わせて欲しい。
この話に出てくる雍正帝はこういう人だと、私は勝手に思っている。
――君臣のけじめをつけられない弟には、容赦なく苛烈に虐待を加えるが、自分を立ててしっかり勤めを果たした弟には、厚く報いる。必要ならば悪魔にだって、鬼にだってなってみせ、嫌われ、憎まれることを辞さず、決して逃げない覚悟。一方でちょっとしたスキにかいま見える情……、血を分けた兄弟と仲良くしたかった、愛したかった、そして愛されたかったという渇き。――
愛新覚羅胤禛が即位したことにより、先代康熙帝の皇子たちの名前に共通していた「胤」(いん)の文字は、すべて「允」(いん)に改名させられた。皇帝の名前を言ったり、書いたりすることは不敬だからだ。
ここで原著引用。
中国流の独裁皇帝には兄弟がない。観念的にはあるかもしれないが、現実には存在しないものなのだ。何となれば皇帝の前へ出た瞬間、兄弟でもみんな臣下に化けてしまう。だから存在するものはすべてが臣下で、臣下以外のものはあり得ないのだ。天子になるとならぬとでは、同じ兄弟でもこれだけの開きができて来るのであるから、康熙帝の皇子たちが必死になって皇太子の地位を覘わねばならなかった理由も了解されるであろう。
康熙帝の後継者指名を実際に聴いたのは、ロンコドという大臣ただ一人だった。
第四皇子が指名されたのは、意外なことだと受け取られたらしい。
当然のように陰謀論が流れた。
真の後継者は十四皇子だった。先帝は紙に書いて示したが、ロンコドが十の字を指でかくして皇子たちに示した、とか、十の字をロンコドが舐めて消したとか、十の字に画をつけ足して意味を変えたとか……。
これほどに、雍正帝を侮った風説はないだろう。そして、こんなことに騙されたのならば、皇子たちは全員アホだったに違いない。
しかし、陰謀論、風説やデマが乱れ飛び、なかなか消えない。雍正帝の元には、方々の密偵から様々な情報が集められていた。
雍正帝はこの放送の出所として、元の第八皇子を疑った。今では爵位が進んで「廉親王」となっている。
対話式で進めてみよう。
廉親王 え?…、めでたい?……いやいや、とんでもない。明日、首をはねられるんじゃないかと怖いっす。
雍正帝 (スパイから報告あり)……無礼者め。もう赦さん。しかし、時期尚早。尻尾をつかむまで待つか。
雍正帝 先帝の山稜造営工事を監督せよ。
廉親王 (兄は倹約家だから、工費を切り詰めよう)
雍正帝 先帝の山稜工事を粗末にすんな。俺に親不孝の悪名を着せる気か?
雍正帝 御料牧場を管理せよ。
廉親王 役立たずの馬は減らしましょう。
雍正帝 先帝が贅沢だって言いたいの?……有事のとき、馬はいくらあってもあまりはしない。
雍正帝 宮内庁の人員整理をせよ。
廉親王 これでどうっすか。
雍正帝 甘過ぎ!
廉親王 (クソが!……もうヤケクソだ!……どうとでもなれ。大鉈振るってやんよ)
雍正帝 (スパイから報告あり)暴動一歩手前になっただと~?……俺に対する嫌がらせだな。いや、ヤツが煽ったんじゃね?
雍正帝 お前、扇動しただろ。
廉親王 はいはい。どうせ俺がやりましたよ。
雍正帝 (スパイから『扇動はなかった』と報告あり)……ほお、ってことはさ、お前、他人の罪をかぶって人気取りしてんの?……じゃあさ、お前の家に押しかけてきたヤツらのボスを教えろ。
廉親王 (5人の名を書いて提出)
雍正帝 (スパイから『その5人は無関係です』と報告あり)……お前さ、そんなに俺の足引っ張りたいの?……この5人を処刑しようもんなら、俺が悪いってことになるんだけど。あ?……もうお前、親王の爵位剥奪!
雍正帝 お前さ、先帝からガチ説教された手紙もらったよな。俺に見せろ。
八皇子 天地神明に誓って嘘は言いません。そんなもんはありません。ミクロレベルでも嘘があれば、一家あげて天罰モンですよ。
雍正帝 一家だと~?……お前と俺も一家全員が清朝なんだが。お前、王朝滅べってマジで言ってんの?……皇族から除籍してやんよ!
八平民 クソ兄め、監禁しやがった。でも、食欲不振気味だったから、これですっきりした。食えるだけ食って、身体に気をつけて、殺されるまでは全力で生きてやるぜ!
雍正帝 (スパイから報告あり)……あいつはもう皇族じゃないから。皇族と間違われないように、改名させろ。本人に希望を訊け。
八平民 (使者に向かい)……「アキナ(満州語で『犬』)」www。
雍正帝 (報告を聴いて)……「アキナ」と登録せよ。(弟すら統御出来ないものが、皇帝として天下に君臨できようか。できるはずがないではないか)
スパイ 陛下、次のような流言があります。――陰険な第四皇子が陰謀で帝位を盗み、仏のように慈悲深い第八皇子が囚人になった。軍民ともに立て!暴君を打倒せよ。――
雍正帝 (心中穏やかではないが、冷然と)アキナのような兇暴、狡猾で陰険至極な仏がこの世にあるか。世論調査してこい。
諸大臣 審議の結果、アキナの罪は40ありましたので、弾劾します。
雍正帝 アキナの悪業は朕に対する挑発である。朕に悪名を着せようとしているだけ。よって、従来のまま監禁継続。
アキナには親しい皇子が居た。最も親しかったのは、第九皇子。
当然、彼も只で済むはずがなかった。
彼は辺境に体よく追い払われ、そこの司令官から監視され、囚人並みの待遇を受けた。
九皇子 もう野心とかないからさ、出家させてくれ。俗世を捨てる。
雍正帝 出家すれば兄弟ではなくなる。君臣でもなくなる。兄弟でも君臣でもないものになりたいって、どういう意味?
九皇子 チャンスをなくしたら、後悔してもどうにもならんな。(第十皇子に送った手紙が途中でおさえられ雍正帝が読んだ)
雍正帝 陰謀でも企んでるのか?
九皇子 (手紙を暗号文にして、見つからないよう偽装したが見つかって、これも雍正帝のもとへ)
雍正帝 親族との手紙のやりとりなんて禁じてないし。偽装するのがマジで怪しすぎ。企みを暴け。資金の流れも押さえろ。それとコイツは皇族から除籍。名前を変えさせろ。本人の希望を訊いてこい。
九皇子 (何か希望を言ったらしい)
雍正帝 気に食わねwww。アイツ太ってるから、「サスヘ(満州語で豚』)」でwww。
サスヘもアキナと同時に審議されていた。審議の結果、アキナは40の罪状を列挙されたが、サスヘも28の罪状で弾劾された。
サスヘが当初、辺境に飛ばされるとき、「遠い方が好都合www。」とほざいていたことが雍正帝の耳に入った。
というわけで、サスヘは都の近くの独房に監禁された。
そのうちサスヘは下痢で死んだ。雍正帝は医者を派遣して治療させようとしたが、間に合わなかった。
雍正帝 ご先祖様がバチをあてたんだろwww。
つづいてアキナも死んじゃった。疑惑が残った。たぶん、担当係官が適当な処置をしたんだろ的なことになった。
そして、先帝から嘱望されていたという話だった第十四皇子も、雍正帝の迫害を免れなかった。同じ母親から生まれたのにね。
この二人はもともと仲が悪かった。
先帝崩御の時、十四皇子は辺境に遠征していた。
十四皇子 遠征は勝利したぜ。都入りで凱旋式やるんでwww。そう決まってるからwww。
雍正帝 勝手に決めんな。それに先帝崩御したばかりなんだけど?
十四皇子 おう、兄ちゃん!……ただいま帰ってきたよ。……うわ、なにする、止めろ。俺に触るんじゃねえ!……むりやり床に土下座させんな!……兄ちゃん、なんだよこれ!……兄弟だろ?……臣下じゃねえよ。こんな扱いすんなよ。(皇帝の侍従が、無理矢理に額を床につけさせる)……これが凱旋将軍に報いることかよ!
雍正帝 天子に対する礼儀を教えてやるよwww。お前には、先帝の終身墓守を命じる。
雍正帝、真性のドSである。弟たちを冷酷に追い詰めていき、相手をヤケクソにさせたり、不審行動を誘発させたり、度を失わせたりしていく。
康熙帝の生前、他の兄弟たちが皇太子をめぐって、暗闘していたことを冷たく見ていたためかも知れない。
しかし、さすがに彼もこんな思いは子供たちにはさせたくなかったようだ。だから、「太子密建」ということを思いついた。
要は、皇帝に万が一の事態があった場合、所定の場所に安置してある小箱を開ければ、そこに次代皇帝が指名されているって仕組みである。
皇帝が「コイツを指名してたけど、ダメ人間になったから、変えておくか」といつでも変更できる。
皇子は余計な政治運動などせず、ひたすら研鑽を積めというメッセージでもあったのかも。
この方法のおかげで、清王朝には暴虐な君主や、極端な暗君が居ないと評価されているのだとか。
しかし、これって皇帝は自分の子供たちすら、臣下扱いしていることかも知れない。絶えず、父の気にいるようにしておけということですよね。
さて、「雍正帝は弟イジメばかりしていた」ととられたなら、フェアではないので、第十三皇子(怡親王(いしんのう))のことを述べて、この話を締めようと思う。
統治に責任を持つ皇帝としては、自分を制限しようとするものは、徹底排除しなければいけないのである。
それを許すことは人民に対し、公平ではないからだ。
だから、子供の頃からの親しい間柄なのだから、あまり肩肘張らずに、気軽に皇帝と付き合いたいという態度を示した方にも、落ち度があるのではないだろうか。
雍正帝に共鳴し、率先してことに当たって尽力した弟には、感謝しない訳にはいかなかった。
怡親王との間は対話調が成り立たない。彼が黙って職務に、謹直かつ忠実に精励しているからだ。
雍正帝 怡親王が大蔵大臣になってから、伏魔殿と呼ばれた大蔵省は、完全に綱紀粛正された。汚職官僚は一人も居ない。誰でもいいから贈賄を試してみろ。
雍正帝 大臣たちよ。諸君らを信頼すればこそ、朕は重用している。しかし、百人でも千人でも、怡親王とは比較対象ですらない。
怡親王は雍正8年に亡くなった。帝は落胆のあまり食欲不振になり、夜も眠れないほどだったという。
雍正帝 怡親王は8年間、ずっと朕に忠実に仕えてくれた。これほどの賢王は歴史上、誰も居なかった。怡親王も「胤」の字を改め、「允」としていたが、元の名に直して祭れ。
原著引用。
帝は式部官にこう命じて祭文には胤祥(いんしょう)という字を書き込ませた。これは臣下から昇格して再び肉親の兄弟に立ち戻ったことを意味する。独裁君主だといってもやはりよい兄弟は持ちたいのである。ただし、それは怡親王のように八年一日の如く、不平もいわず不満ももらさず、臣下以上に骨を折ってくれる兄弟のことである。臣下になりきった兄弟であって始めて独裁君主から兄弟扱いにされる。兄弟は生れてなるものではなく、天子が与える位地である。そこに独裁政治下の独特な家族生活があるのである。
ふと、思った。
「兄弟は生れてなるものではなく、天子が与える位地」という一文に、感銘を受けた。
――兄だからというだけの理由で、弟を理不尽に扱い続ければ、いずれどうなるか、火を見るより明らかじゃないかな――
「父になるのはこれほどらくなものはないが、父であることは至ってむつかしい」を、こう言い換えてみる。
「兄になるのはこれほどらくなものはないが、兄であることは至ってむつかしい」
次回、「キリストへの誓い」。
