「五十年前の二十三歳」の妻か、それとも娘か。/宮崎市定先生を慕って―連作「科挙 中国の試験地獄」番外1
宮崎市定『科挙――中国の試験地獄』(中公文庫)の、百六十九頁から百七十頁にかけての記述から、こういう話を思いつきました。
「五十年前の二十三歳」……。 それは、七十三歳でようやく合格の栄誉を手にした老進士へ贈られた、洒落のめした祝辞だった。
「ああ、お主は今、五十年前の二十三歳の若返った気分であろうな!」
周囲の喝采。老翁の涙。その感動的な光景に、上機嫌な皇帝が余計な「慈悲」を口にした。
「これほどの苦労人だ。独り身では不憫である。……良き妻を娶らせてやろう」
差し出されたのは、宮中で美しく、そして若く咲き誇る宮女。
皇帝にとっては、庭の枝を一房折って与えるような、軽い施しに過ぎなかった。
老翁の背は丸く、肌は枯れ木のように乾いている。
対する宮女の肌は、触れれば露がこぼれんばかりに瑞々しい。
人々は「これぞ金榜及第(合格)と洞房花燭(婚礼)の同時達成だ!」と囃し立てるが、その狂乱の中で、彼女の瞳から光が消えたことに誰も気づかない。
彼女に下されたのは、婚礼という名の介護であり、若さの空費を強いる「勅命」(皇帝の命令)であった。
――もし、あの日。太和殿に「実務(リアル)」を知る士大夫がいたならば。
「陛下、畏れながら申し上げます」
一人の官吏が、冷え切った空気をつんざいて進み出る。周囲は凍り付く。
皇帝の慈悲に水を差すのは、死を意味しかねない。だが、彼は続けた。
――陛下。この老進士に「鴛鴦の契り(夫婦の営み)」を求めるは、枯れ木に花を咲かせよと命じるに等しき難題にございます。
また、この宮女にいたっては悦びを知らぬまま、老いた夫を看取るためだけに若さを費やすことになります。
さらに、老夫亡き後、若すぎる寡婦となり、人倫の道を踏み外すやも知れませぬ。
これは慈悲というより、世間への晒し者にするがごときものではござりませぬか。――
皇帝の眉がピクリと動く。
「ならば、どうせよと言うのか」
――彼を「夫」ではなく「父」となさるのです。
宮女を老進士の養女とし、家督を継ぐべき一族の若く逞しい青年を婿に迎えさせては如何でしょうか。
さすれば翁は、才色兼備の娘と、頼もしい婿に囲まれ、安らぎの中で余生を過ごせましょう。
宮女もまた、若き夫と睦み合い、子をなし、一族を繁栄させる悦びを得られます。
これこそが、翁の長年の苦労に報い、新たな命を慈しむ、「聖天子の慈悲」というものでございましょう!――
沈黙が流れる。
皇帝は、足元で震える老翁と、石像のように固まった宮女を見比べた。
そして、ふっと、これまで一度も見たことのない、実務的な「統治者の顔」で頷いた。
「……面白い。その『現実(リアル)』、採用しよう」
――数ヶ月後。
老翁の屋敷には、笑い声が響いていた。
養父として敬われ、若夫婦の仲睦まじい姿を肴に、温かい茶を啜る日々。
そこには、老いらくの恋に喘ぐ醜悪さも、若さを吸い取られる女の怨嗟もない。
歴史は往々にして、権力者の「気まぐれな善意」によって、弱者を地獄へ突き落とす。
それを救えるのは、いつの時代も、形式美に囚われない「事当務実」の魂を持った、一人の偏屈なリアリストだけなのかもしれない。
