気管切開後も続いた唾液の誤嚥|私が声門閉鎖術を選んだ理由【第3話】
食事再開から、次の手術を望むまで
こんにちは。
よりそいさん|すれ違い翻訳室 です。
2023年9月26日、私は気管切開術を受けました。
何年も決断から逃げてきた私が、
多くの方に支えてもらいながら選んだ手術でした。
前回の記事では、気管切開の決断を支えてくれた先生や看護師さん、
家族、友人たちのことを書きました。
▶︎【第2話】気管切開の決断を支えたもの|ALS当事者が受け取った厳しさと
優しさ
シリーズを初めて読む方は、
気管切開を決断するまでの経緯を書いた第1話からお読みいただけます。
▶︎【第1話】ALS当事者が気管切開を選んだ理由|何年も逃げた私の決断
気管切開術を受けた後、私の状態は少しずつ落ち着いていきました。
しかし、気管切開をすれば、
すべての危険から解放されるわけではありません。
食事を再開できた喜び。
その後に起きた誤嚥性肺炎。
転院先で、深夜から朝方に何度も経験した窒息。
今回は、気管切開後から、
私が自分の意思で次の手術を希望するまでのことを振り返ります。
気管切開後に始まった離脱訓練
2023年10月上旬。
手術後の状態が落ち着き、
3〜12時間ほど呼吸器を外して過ごす離脱訓練が始まりました。
ゼリーを使った嚥下訓練も行いました。
その後、ムース食で食事を再開しました。
再び口から食べられるようになったのです。

しかし、その時間は長く続きませんでした。
2023年10月中旬、発熱しました。
呼吸の苦しさもありました。
CT検査を受けると、肺炎の所見が確認されました。
私は誤嚥性肺炎を起こしていました。
それ以降、口からの食事は中止となり、経管栄養になりました。
食べ物だけではありません。
唾液も気管へ流れ込んでいました。
そのため、口の中にチューブを入れ、唾液を持続的に吸引していました。
気管切開術を受けても、
誤嚥の危険がなくなったわけではありませんでした。
2023年10月30日、療養型の病院へ
肺炎の治療が終わり、状態が安定した2023年10月30日。
私は、療養型の病院へ転院しました。
転院先では、
その病院が使用しているメーカーの呼吸器に変更する必要がありました。
同じ呼吸器でも、メーカーが変われば使用したときの感覚も変わります。
新しい呼吸器に慣れるまでは大変でした。
呼吸器は、私が生きていくために欠かせないものです。
だからこそ、わずかな違いでも、私にとっては大きな変化でした。
私がALSと診断されてからの経過や、現在の生活については、
自己紹介の記事にまとめています。
▶︎よりそいさん|すれ違い翻訳室の自己紹介
深夜から朝方に繰り返した窒息
転院後、深夜から朝方にかけて、痰が硬くなることがありました。
硬くなった痰が一気に動き、気管を塞いでしまうのです。
私は何度も窒息しました。
息ができない。
吸引が間に合わなければ、命に関わる。
意識を失いかけたことも、数回ありました。
窒息したときは、呼吸ができない状態でナースコールを何度も押しました。
看護師さんが駆けつけてくれるまでの3〜5分間、取り乱さないよう、
必死で平静を保っていました。
ナースコールがアクシデントで鳴らないこともありました。
そのときは、呼吸ができない中で口を鳴らし、
誰かに気づいてもらおうとしました。
声を出して助けを呼ぶことが難しい私にとって、
ナースコールが鳴らない状況は大きな恐怖でした。
それでも、誰かが気づいてくれるまで、
自分にできる方法で知らせ続けました。

危険性が病院のスタッフ間で共有されてからは、
深夜から朝方にかけて2時間に1回の吸引をお願いしていました。
それでも、
「また痰が詰まるかもしれない」
「今度は吸引が間に合わないかもしれない」
という不安がありました。
在宅復帰を考える前に、
このままでは自分の命が危ないと感じるようになりました。
在宅生活へ戻るためにも、何とかしたかった
私が考えていたのは、自分の命の危険だけではありませんでした。
この状態のまま在宅生活へ戻れば、
深夜から朝方に何度も対応する家族の負担も大きくなります。
家族が、痰の詰まりや呼吸器のアラームを気にしながら、
夜を過ごすことになるかもしれない。
安心して在宅生活へ戻るためにも、
できる限り危険を減らしておきたいと考えました。
声門閉鎖術の主な目的は、硬い痰が詰まることを防ぐことではありません。
私が先生に手術を希望した一番の理由は、
唾液が気管へ流れ込むことを防ぎ、誤嚥の危険を減らすことでした。
自分の命を守ること。
そして、その先にある在宅生活で、
家族が背負う夜間の不安や負担を少しでも減らすこと。
その両方が、私が次の手術を望んだ理由でした。
誤嚥と繰り返す窒息が、次の決断につながった
最初の気管切開術では、決断するまで何年も逃げました。
手術を受けることに、強い絶望感と恐怖を抱いていました。
しかし、気管切開後も唾液が気管へ流れ込み、
私は誤嚥性肺炎を起こしました。
転院後には、硬くなった痰が気管を塞ぎ、何度も窒息しました。
痰による窒息と、唾液の誤嚥は別の問題です。
それでも、どちらの経験も、
自分の命が危険な状態にあることを強く意識するきっかけになりました。
私が声門閉鎖術を希望した一番の理由は、唾液の誤嚥を防ぐことでした。

声を出せなくなることは分かっていました。
それでも当時の私は、
口から再び食べることよりも、
まず命の危険を減らすことを優先しました。
私は先生に、自分から声門閉鎖術を希望しました。
最初の手術では、
あれほど決断できなかった私が、
今度は自分から手術を希望したのです。
誤嚥性肺炎と、繰り返す窒息を経験したことで、
何を最優先に守りたいのかが明確になったのだと思います。
守りたかったのは、自分の命でした。
次回は、声門閉鎖術について振り返ります
私は2024年7月11日に声門閉鎖術を受けました。
唾液の誤嚥から命を守るため、私は声門閉鎖術を希望しました。
しかし、その手術は、自分の声を失う選択でもありました。
第4話では、私がその変化をどう受け止めたのか、手術後の過ごし方と、現在取り戻した楽しみについて振り返ります。
▶︎【第4話】声門閉鎖術後の変化|声を失い、取り戻した食べる楽しみ
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
また続きを読みに来ていただけるとうれしいです。
よりそいさん|すれ違い翻訳室

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