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「それ、本当に必要ですか?」と言える人がいなくなると、会社は静かに息絶える

正直に言う。

若い頃、私は、会議で食い下がる人が、苦手だった。

「その手続き、本当に要りますか」
「このルール、誰のためですか」

決まったことに、いちいち嚙みつく。
場の空気を、読まない。
正直、面倒な人だと思っていた。

二十年、組織の中にいた。

そして、五十を過ぎた今、考えが変わった。

あの「面倒な人たち」が、組織を、ぎりぎりのところで救っていたのかもしれない、と。

あなたの職場にも、いるはずだ。
やたらと「それ、必要ですか」と言う人が。

あるいは、あなた自身が、それを言いたくて、飲み込んでいるのかもしれない。

なぜ、人は、決まりごとに嚙みつくのか。
そして、それは、悪いことなのか。

今日は、その構造の話をしたい。


反抗の正体は、反抗ではない

少し、遠回りをする。

若い頃、ロックという音楽を、私は「反抗」だと思っていた。

大人への反抗。
社会への反抗。
決まりごとへの反抗。

何かを壊したい、若さの暴走だと思っていた。

五十を過ぎて、聴き直して、気づいた。

彼らが壊したかったのは、社会そのものではなかった。

ここで切り分けが要る。

結論ではなく、切り分けを。

人が嚙みつく対象には、二種類がある。

ひとつは、ルールそのものへの反発だ。
ただ、縛られるのが嫌だ。
何でもいいから、壊したい。

もうひとつは、息苦しさへの反発だ。
ルールが嫌なのではない。
そのルールが、人を苦しめていることが、許せない。

この二つは、まったく違う。

前者は、ただのわがままだ。
後者は、人間らしさの防衛反応だ。

そして、本物の反抗は、たいてい後者だ。

彼らは、決まりごとを否定したかったのではない。

人を苦しめる決まりごとに向かって、「それ、おかしくないか」と問うていた。

反抗の正体は、破壊ではない。
人間らしさを、取り戻そうとする運動である。


ルールは、増える方向にしか進まない

ここで、組織の話に戻る。

組織は、放っておくと、必ずルールが増える。

なぜか。

何か問題が起きるたびに、再発防止策が追加されるからだ。

トラブルが起きる。
原因を調べる。
「次は、こうしないように」と、チェックを足す。
承認を、一段増やす。
報告書を、一枚足す。

ひとつひとつは、正しい。
善意から来ている。

だが、これには方向性がある。

ルールは、足される一方で、めったに引かれない。

足すのは、簡単だ。
「念のため、確認しましょう」で済む。

引くのは、難しい。
「このチェック、もう要りません」と言うには、勇気がいる。
万が一、それで問題が起きたら、引いた人の責任になるからだ。

だから、誰も引かない。

結果、ルールは、時間とともに、一方向に積み上がっていく。

これは、システムの世界でも起きる。

長く使われたシステムには、過去の対策の名残が、無数に残っている。
「あの時の障害対策」
「あの案件のための特別処理」

ひとつひとつには理由があった。
だが、誰も消せないまま積み重なり、やがて、全体の動きを重くする。

組織のルールも、同じだ。

問題は、個々のルールが悪いことではない。

引く仕組みがないまま、足し続けることだ。

ルールが増えるのは、誰かが悪意を持ったからではない。
善意のチェックを、誰も引けない構造のせいである。


目的と手段が、逆転する瞬間

ルールが積み上がると、ある瞬間に、おかしなことが起きる。

目的と手段が、逆転するのだ。

そもそも、ルールは、人を守るためにある。
ミスを防ぐ。
事故を防ぐ。
弱い立場の人を、守る。

これが、本来の目的だ。

ところが、ルールが増えすぎると、いつの間にか、こうなる。

ルールを守ること自体が、目的になる。

会議のための、会議。
報告のための、報告。
承認をもらうための、書類づくり。

誰も、何のためにやっているか、思い出せない。
ただ、決まっているから、やっている。

ここで、最初の「面倒な人」が登場する。

「それ、本当に必要ですか」

この問いは、ルールへの反抗ではない。

逆転した目的と手段を、もう一度ひっくり返そうとする、修正の問いだ。

ルールが人間を幸せにするためにあるのか。
人間がルールのために存在しているのか。

この順番が逆転した時、誰かが必ず、違和感を覚える。

その違和感を、口に出す人。
それが、組織における「面倒な人」の正体だ。

彼らは、秩序を壊したいのではない。

人を苦しめるために回り始めた秩序に、ブレーキをかけているのだ。

「それ、必要ですか」は、反抗ではない。
目的を見失ったシステムへの、再起動の合図である。


二種類のルールを、見分ける

ここで、二重否定を置く。

「面倒な人」を、ただの厄介者として、切り捨ててはいけない。
彼らの違和感は、組織の異常を知らせるセンサーだ。

だが同時に、すべての「それ、必要ですか」を、正しいと過信してもいけない。

ルールに嚙みつく人が、すべて正義とは限らない。

ただ、縛られるのが嫌なだけの人もいる。
責任を負いたくないだけの人もいる。
自分が楽をしたいだけの人もいる。

だから、嚙みつかれたルールは、ひとつずつ、見分ける必要がある。

判断の基準は、ひとつだ。

そのルールは、誰かを守っているか。
それとも、誰かを苦しめるためだけに、回っているか。

人を守るルールは、残す。
人を苦しめるだけのルールは、引く。

この見分けは、嚙みついた人の態度では、決まらない。
ルールの中身で、決まる。

正論をぶつける人が、いつも正しいわけではない。
正論は、ぶつけるものではなく、滲ませるものだ。

そして、ルールを守る側も、ルールに嚙みつく側も、本当は同じものを目指している。

より良く、回ること。

対立しているように見えて、目的は同じだ。
ただ、見ている時間軸が、違うだけだ。


構造として、組織を運用する

二十年、組織を見てきて、思うことがある。

新しい時代をつくるのは、いつも、少し面倒な人たちだった。

決まったことに、嚙みつく人。
空気を、あえて読まない人。
「それ、本当に必要ですか」と、繰り返し問う人。

彼らは、嫌われる。
扱いにくい、と言われる。

だが、彼らがいない組織は、ルールが積み上がる一方で、誰も引けないまま、静かに息苦しくなっていく。

組織にも、人生にも、ルールは必要だ。
秩序がなければ、何も回らない。

だが、ルールは、人を幸せにするための、手段にすぎない。

手段が目的になり、人を苦しめ始めた時。
誰かが、「それ、おかしくないか」と問わなければならない。

その問いは、破壊ではない。
人間を、システムの中心に戻すための、修正だ。

気合や根性ではなく、構造として、組織を運用する。

人を責めるより、構造を見る。

「面倒な人」を責めるより、なぜその人が嚙みつくのか、その構造を見る。

たいてい、その奥には、放置されたままの、誰かの息苦しさがある。

そして、これは、組織だけの話ではない。

自分自身の人生にも、いつの間にか積み上がった、たくさんの「やらねばならない」がある。

それ、本当に必要ですか。
誰のために、やっているのですか。

時々、自分のルールにも、嚙みついてみる。

人を縛るためのルールと、人を守るためのルール。
その二つを、見分け続けること。

それが、息苦しくならないための、設計だ。

本当に壊すべきなのは、常識そのものではない。
人間を、苦しくするためだけに残っている常識である。

そして、それを壊すのは、たぶん、いつだって、ほんの少し面倒な人なのだ。

私も、五十を過ぎて、ようやく、その面倒な人の側に、立てるようになってきた。

少し、遅すぎたかもしれないが。


このシリーズは、いずれ一冊にまとめたいと考えている。
「人間を、構造で読む」ための、実践ノートとして。

気合や根性ではなく構造として自分を運用する。
人を責めるより、構造を見る。
自分を責めるより、構造を見る。
優しいまま、壊れないこと。
誰かに勝つ輝きではなく、自分を壊さず誰かを少し安心させられる光。
短期評価ではなく長期残存価値である。

次回は、「面倒な人」が、なぜ組織から静かに消えていくのかを書きたい。
息苦しさに気づける人ほど、息苦しい場所に、長くいられないという逆説について。

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©shiraco|PMPおじさんの実践ノート @NoteCcm42090

構造学。──人を責めず、構造を見る。
問題は、人ではない。構造が、人をそう動かしている。

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