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経験している人ほど、成長していない——20年PMが気づいた「記録の地層化」

この記事はこんな人へ

  • 経験年数だけは誰にも負けないのに、なぜか自信が育っていない人

  • 「あの時こうすればよかった」を何度も繰り返している人

  • 若手に「さすが経験豊富ですね」と言われるたび、少し居心地が悪い人

  • 忙しさにかまけて、記録もメモも「今度でいいや」と後回しにしてきた人


正直に言う。

僕は二十年以上、プロジェクトマネジメントとコンサルティングの現場に立ってきた。名刺の経歴欄だけ見れば、それなりに堂々としたものが書ける。だが、正直に打ち明けると、僕はその二十年のうちの体感八割を、ほとんど覚えていない。

覚えていないというのは、忘れっぽいという意味ではない。その場では確かに見ていたし、感じていた。顧客の表情が一瞬こわばった瞬間。ベンダーの担当者が、言葉を選びながら黙り込んだ数秒。優秀な後輩が、なぜかあの案件だけ急に自信をなくしていった過程。全部、見ていた。見ていたのに、今それを聞かれても、輪郭がぼんやりとしか出てこない。

写真は撮った。でも、アルバムには残さなかった。

そういう二十年だったのだと思う。

まだ、答えは出ていなかった。


一 あの日、僕は同じ轍を二度踏んだ

これは僕自身の失敗の話である。

数年前、あるプロジェクトが炎上しかけていた。原因は技術的なものではなく、顧客側の窓口担当者が、社内で孤立していたことだった。彼は上司にも部下にも板挟みで、こちらへの要求だけが日に日に硬くなっていった。僕はある日、雑談の中で彼がぽつりと漏らした「板挟みなんですよ、うちも」という一言を聞いた。ああ、これが構造か、と思った。要求の強さの裏にあるのは、彼自身の社内での立場の弱さだったのだ。その視点でアプローチを変えたら、驚くほどうまく回り始めた。

うまくいったので、僕は満足して、そのプロジェクトを終えた。

そして二年後、別の会社で、ほとんど同じ構造の炎上に出くわした。窓口担当者の要求が、日を追うごとに硬くなっていく。僕は最初の三週間、技術的な対応で乗り切ろうとして、まったくうまくいかなかった。二年前とまったく同じパターンだったのに、である。

思い出したのは、四週目に入ってからだった。「あ、これ、あの時と同じだ」と。

二年分、遠回りをした。

写真としては、確かに撮っていた。あの担当者の一言も、あの時の解決策も、記憶のどこかにはあった。でも、次に必要になったとき、それを引っ張り出せる場所に置いていなかった。ただ撮って、ただ仕舞い込んでいただけだった。珍しくない話だと思う。


二 ある人から聞いた、日誌を三十年書き続けたベテランPMの話

これは、ある大手企業で長くPMを務めてきた方から聞いた話である。

その方は、新人時代から日誌をつけていたという。特別な形式ではない。手帳の隅に、その日気になったことを二、三行書くだけ。何十年もそれを続けていた。

あるとき、大きな案件が崩壊寸前まで追い込まれた。役員も巻き込んだ緊急会議で、誰もが「今までにない異常事態だ」と言っていたそうだ。しかしその方だけは違った。会議の途中で古い手帳を取り出し、「これ、二十三年前にほぼ同じことが起きています」と言ったという。

手帳には、当時の状況、誰がどう動いたか、何が効いて何が効かなかったかが、簡潔に残されていた。会議の空気は一変し、対応方針はその古いメモをベースに数分で決まったという。

その方はこう言っていたそうだ。「あの日の自分がメモを残してくれたおかげで、今日の自分が助かった。経験は、未来の自分への手紙みたいなものですよ」。

写真ではなく、地層。その日その日の小さな堆積が、二十三年後に地面ごと支えてくれる。

これも、珍しい話ではない。ただ、こういう人は、圧倒的に少数派だというだけである。


三 それでも、あなたは思うだろう

ここまで読んで、あなたはこう思っているかもしれない。

「炎上案件の話と、日誌をつけていたベテランの話。全部バラバラじゃないか」と。

その通りである。僕も長いあいだ、これらを別々の話だと思っていた。自分の失敗談、他人の成功譚、そして冒頭で語った「経験を覚えていない」という違和感。それぞれ無関係なエピソードだと思っていた。

でも、違った。


四 多くの人は、こう考える。でもそれは違う

多くの人は、経験を積めば積むほど、自動的に実力がついていくと考える。経験値が上がれば、レベルが上がる。ロールプレイングゲームのような直線的な成長曲線をイメージしている。

でもそれは違う。

経験は、積むだけでは実力に変換されない。経験には二つの状態があって、多くの人が意識せずに片方の状態でしか経験を扱っていない。だから、どれだけ経験を積んでも、実感としての成長が伴わないという現象が起きる。

でも、まだ全部は言わない。


五 そういうことだったのか

ここまで隠していた答えを、ここで言う。

経験には、「写真」としての経験と、「地層」としての経験がある。

写真としての経験は、瞬間を鮮明に切り取る。その場では感動もするし、学びもある。しかし写真は、時間が経つほど色褪せる。そしてなにより、写真は「見返さなければ、存在しないのと同じ」という性質を持つ。アルバムの奥にしまい込まれた写真は、どれだけ枚数があっても、今のあなたを助けてはくれない。

地層としての経験は、違う。一つひとつの出来事は、その瞬間には何の絵にもならない。ただの砂粒、ただの泥でしかない。しかし時間をかけて積み重なり、圧縮され、やがて地面そのものになる。地層は、見返さなくても、あなたの足元を支えている。意識しなくても、その上に立っているだけで、判断の土台になっている。

僕が二十年やってきたのは、圧倒的に「写真」としての経験の蓄積だった。枚数だけは膨大にあった。しかし、それを地層に変える作業——つまり、記録し、構造化し、後から引き出せる場所に置くという作業——を、ほとんどしてこなかった。

だから、同じ炎上に二度も足を取られた。

あなたが、経験を積んでいるのに成長を実感できないのは、能力が足りないからではない。経験の量が足りないからでもない。あなたが撮ってきた大量の写真を、まだ地層に変えていないだけなのだ。

そして、いちばん大事なことを言う。

写真がたくさんあるということは、それ自体が悪いことではない。むしろ、あなたはちゃんと見て、ちゃんと感じてきた証拠である。足りなかったのは観察力ではなく、その観察を地層に変えるための、ほんの小さな作業だけだった。今からでも、遅くはない。地層は、今日の一枚から積もり始める。


六 構造は、仕事にも、AIにも、人生にも、一つだった

仕事において

PMという仕事の本質は、判断することである。そして判断の質を決めるのは、才能ではなく、参照できる過去の量と質である。足し算より引き算という発想で言えば、すべての経験を写真として抱え込む必要はない。抱え込むのではなく、構造として残し、必要なときだけ引き出せる形にしておく。それだけで、同じ轍を踏む回数は劇的に減る。

AIにおいて

AIは、写真を地層に変える作業を、劇的に手伝ってくれる存在になり得る。断片的なメモを渡せば、構造として整理してくれる。ただし、AIが構造化できるのは、あなたが写真を撮って渡したときだけである。何も撮っていなければ、AIにも地層は作れない。半径五メートル、つまり自分が実際に関わった出来事の記録だけは、自分の手で残す必要がある。

人生において

これは仕事だけの話ではない。子育てでも、友人関係でも、僕たちは日々、無数の写真を撮っている。あの日の会話、あの時の表情、あの瞬間の判断。それをただの思い出として仕舞い込むか、自分という人間の地層として積もらせるかで、十年後の自分の厚みがまったく変わってくる。長期残存価値とは、結局のところ、この地層の厚みのことを指すのかもしれない。何を大切にしているかで決まるというのは、どの写真を地層に変えるかを選ぶ、その選び方そのものの話でもある。

構造は、一つだった。

経験は、撮るだけでは価値にならない。積もらせて、初めて足場になる。


七 じゃあ、あなたはどうする?

ここまで読んで、あなたはうなずいてくれたかもしれない。

でも、ここで難しいことがある。

「今日から地層を作りましょう」と言われても、何をどう記録すればいいのか、どんな粒度で残せばいいのか、誰にも教わったことがない人がほとんどだろう。僕自身、最初の十数年は我流で、ほとんど機能しない記録を量産していた。フォーマットのない記録は、結局また写真に逆戻りしてしまう。

その最後のピースだけ、ここに残しておく。


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