「無能な上司」は存在しない。上りと下りの矛盾に押し潰される「中間ノード」の設計欠陥
正直に言う。
私は、若い頃、上司を無能だと思っていた。
何も分かっていない。
判断が遅い。
現場を見ていない。
なぜ、この人がこの役職にいるのか、本気で不思議だった。
四十代になって、考えが少し変わった。
悪いのは、上司個人ではなく、組織だと思うようになった。
そして五十代になって、また変わった。
二十年、たくさんの管理職を見てきた。
本当に困った人も、いた。
だが、もっと多く見たのは、別の光景だった。
若い頃は優秀だった人が、役職が上がった途端、機能しなくなっていく姿だ。
長いあいだ、これを個人の劣化だと思っていた。
今は、違う。
これは、劣化ではない。
配置の問題である。
無能な人と、機能しない配置は、別である
まず、切り分けたい。
「無能な人」と「機能しないポジション」は、別の現象だ。
無能な人なら、どこに置いても機能しない。
機能しないポジションなら、誰を置いても機能しない。
この二つは、結果が同じに見える。
判断が遅い。
現場が分からない。
何も決まらない。
結果だけ見れば、どちらも「使えない管理職」に見える。
ここで、一つの比喩を持ち込みたい。
ネットワークには、経路がある。
データは、送り手から受け手まで、いくつもの中継地点を通って届く。
その中継地点を、ノードという。
末端のノードと、末端のノードのあいだに、中間ノードがある。
中間ノードの役割は、上流から来たデータを、下流へ流すことだ。
ここで、よくある誤解がある。
データが遅いとき、人はつい、中間ノードが無能だと思う。
だが、たいていの場合、ノードは悪くない。
悪いのは、そのノードに割り当てられた帯域だ。
帯域とは、一度にどれだけ流せるかの容量である。
上流から大量のデータが流れ込むのに、下流へ流せる帯域が細ければ、そこでデータは詰まる。
ノードの性能ではない。
経路の設計が、詰まりを生んでいる。
管理職とは、組織における中間ノードだ。
上から大量の要求が降ってくる。
下からは現場の事情が上がってくる。
それを、限られた権限と時間で、捌かなければならない。
入ってくる量に対して、捌ける帯域が、足りていない。
管理職が機能しなくなるのは、その人が無能だからではない。
帯域の足りない経路に、配置されているからである。
中間ノードは、上りと下りに引き裂かれる
少し、踏み込みたい。
管理職という中間ノードが置かれている環境を、もう少し詳しく見てみたい。
このノードは、上りと下り、両方向の通信を、同時に処理しなければならない。
上りは、現場の事情、不満、無理だという声。
下りは、経営の要求、コスト削減、ガバナンスの徹底。
そして、上りと下りの内容は、たいてい、矛盾している。
現場は「これ以上は無理だ」と言う。
経営は「もっとコストを下げろ」と言う。
中間ノードは、この矛盾した二つの流れを、自分のところで、なんとか整合させなければならない。
整合できないものを、整合させようとする。
すると、何が起きるか。
判断を、保留する。
矛盾を抱えたまま、決められない。
だから、会議を増やす。
だから、確認を増やす。
だから、判断が遅くなる。
これを、現場から見ると、こう見える。
何も決められない、無能な管理職。
だが、ノードの内部では、処理しきれない矛盾が、ぐるぐると渦巻いている。
特に、グループ会社や多重下請けの管理職は、これが極端になる。
本体の顔色を見る。
子会社の業績を見る。
人を辞めさせない。
コストを下げる。
ガバナンスを守る。
矛盾した制約条件が、五つも六つも、同時に押し寄せる。
権限は限定的で、責任だけは重い。
これは、もはや、性能の問題ではない。
どれほど優秀なノードでも、ここに置けば、詰まる。
私は、ここで一つ、白状しておく。
二十年見てきて、いちばん同情したのは、無能な管理職ではない。
昔は優秀だったのに、矛盾だらけの中間ノードに配置されて、少しずつ、決められなくなっていった人だ。
その人は、無能になったのではない。
処理できない矛盾を、毎日、一人で抱えさせられていた。
決められない管理職が増えるのは、決断力が落ちたからではない。
矛盾した制約を、一つのノードに集中させる構造が、詰まりを生んでいるからである。
構造を理解することと、構造に染まることは、別である
ここで、抵抗を感じる人がいるはずだ。
構造のせいだと言うなら、もう誰も責められないではないか。
あの困った管理職も、全部、構造のせいで許されるのか。
その気持ちは、わかる。
私のなかにも、その声がある。
だから、慎重に切り分けたい。
構造を理解することと、構造に染まることは、別である。
構造を理解するとは、怒りの矛先を、個人から構造へ移すことだ。
それは、相手を許すためではない。
自分の消耗を、減らすためだ。
人を責め続けると、こちらが疲れる。
構造を見ると、怒りが少し減る。
だが、ここが肝心だ。
怒りが減ることと、諦めることは、別である。
構造を理解した上で、なお、自分まで同じ設計思想に染まらないことは、選べる。
詰まっている中間ノードを見て、「自分も、上がればああなる」と諦める必要はない。
自分が中間ノードになったとき、矛盾を全部一人で抱え込まず、どこを通し、どこを断るかを、自分で設計することはできる。
ここに、二重否定を一つ置きたい。
困った管理職を、構造の犠牲者として理解することを、甘いと思わなくていい。
ただし、構造のせいにして、自分が変える余地まで放棄するのは、やめたほうがいい。
そして、自分のセンサーも過信するな。
「自分は、あの人たちとは違う。染まらない」という感覚は、たいてい、まだその配置に置かれていないだけだ。
人は、矛盾した経路に長く置かれると、誰でも、少しずつ詰まる。
ここに、三つの問いを置く。
第一に、あなたが無能だと思っている管理職は、本当に無能か、それとも矛盾を抱え込まされているのか。
第二に、その人に割り当てられた帯域は、流れてくる量に、見合っているか。
第三に、あなた自身が中間ノードになったとき、矛盾を全部抱え込まず、通すものと断るものを、設計できるか。
この三つに正直に答えると、たいてい、三つ目で、静かになる。
私も、静かになった。
機能しない管理職の本質は、個人の能力ではない。
矛盾を一点に集中させ、帯域を絞った経路設計のほうである。
構造を見たあとに、残るもの
最後に、構造から少し離れた話をしたい。
ここまで、組織設計の話をしてきた。
だが、本当に伝えたいのは、たぶん、そこではない。
構造を見るようになって、私の中で、一つだけ、変わったことがある。
人に対して、前ほど、腹が立たなくなった。
若い頃は、上司に腹を立てていた。
四十代は、組織に腹を立てていた。
その怒りは、たぶん、正しかった。
だが、その怒りは、私自身を、いちばん消耗させていた。
五十代になって、構造を見るようになった。
すると、怒りが減った。
そして、おかしなことに、相手のことが、少しだけ、見えるようになった。
あの決められない管理職も、家に帰れば、一人の人間だ。
矛盾を抱えて、たぶん、本人がいちばん苦しい。
私は、これを構造として運用することにした。
気合や根性で「あの人を変えてやろう」とするのではなく、構造を見て、自分の怒りを、静かに下ろす。
人を責めるより、構造を見る。
機能しない管理職を責める前に、その人が置かれた経路の帯域を見る。
自分を責めるより、構造を見る。
うまく立ち回れない自分を責める前に、自分がどんな経路に置かれているかを見る。
そして、思うのだ。
構造を見ることの、本当の利点は、効率ではない。
優しくなれることだ。
構造が見えると、目の前の人を、少しだけ、許せるようになる。
責める対象が、人ではなく、設計になるからだ。
ただし、許すことと、染まることは、違う。
私は、矛盾を抱えた管理職を、構造の犠牲者として理解する。
だが、自分が同じ配置に置かれたとき、全部を抱え込んで詰まる道は、選ばない。
通すものを通し、断るものを断る。
矛盾を、自分一人のノードで握りつぶさない。
それくらいの設計が、できればいい。
誰かを論破する輝きではなく、構造を見て、自分も相手も、少し消耗を減らせる光。
それで、十分だ。
無能な管理職は、たぶん、思っているより少ない。
ただ、帯域の足りない経路に置かれた、善良なノードが、多いだけである。
ここから先は、誰を責めるかではなく、どう経路を組み直すかの話だ。
そのほうが、きっと、面白い。
この記事は、いずれ「PMおじさんが見てきた会社のバグ」シリーズの一冊として、書籍化を構想している。機能しない上司に苦しむすべての人が、人ではなく構造を見て、少しだけ怒りを下ろせるために。
気合や根性ではなく構造として自分を運用する。人を責めるより、構造を見る。自分を責めるより、構造を見る。優しいまま、壊れないこと。誰かに勝つ輝きではなく、自分を壊さず誰かを少し安心させられる光。短期評価ではなく長期残存価値である。
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