Last Cross — 止まる僕と進む君 第3話 「見せない涙」
Last Cross — 止まる僕と進む君 第1話 「あたり前が壊れた日」|観察者AiMe
Last Cross — 止まる僕と進む君 第2話「薄れていく世界」|観察者AiMe
朝。 隼人は、昨日と同じ時間に目を覚ました。
昨日よりも、 世界が少しだけ遠い。
洗面所へ向かい、 顔を洗い、 歯を磨く。
鏡の中の自分は、 昨日よりさらに“薄い”。
(……僕、本当に消えていくんだ)
そう思った瞬間、 胸の奥がひゅっと冷えた。
授業と授業のあいだの休み時間。 隼人は机に突っ伏し、 ぼんやりと黒板を見つめていた。
(……僕……どうしたいんだろう)
音も、匂いも、色も、 全部が薄い膜の向こう側にあるようだった。
そのとき── 肩を軽く揺さぶられた。
「隼人くん……?」
莉愛だった。
揺さぶられているはずなのに、 その“揺れ”よりも、 莉愛の手の温度のほうがはっきり伝わってきた。
(……あ…… 莉愛って…… こんなに……あったかかったんだ……)
胸がじんわり熱くなる。 涙が出そうになる。
隼人は顔を上げた。 莉愛が心配そうに覗き込んでいる。
「隼人くん……ほんとに大丈夫……?」
その表情が優しすぎて、 隼人は目をそらした。
そこへ和也がやってきた。
「おい隼人! 具合悪いのか?」
その声を聞いた瞬間、 胸に別の温かさが広がる。
(……そうだ…… いつも和也は…… 僕のこと助けてくれてたっけ……)
隼人は小さく笑った。
「……大丈夫。 ちょっとぼーっとしてただけ」
でもその笑顔は、 自分でもわかるくらい弱かった。
昼休み。 3人で机を寄せて弁当を広げる。
いつもと同じ光景。 でも隼人は、 今日のこの時間を大事にしよう と心の中で決めていた。
和也が唐揚げを指さす。
「なぁ隼人、今日の唐揚げうまそうじゃん。 交換しようぜ!」
いつもなら断る。 でも今日は違った。
「……僕も、それ食べてみたい」
「おっ、珍しいじゃん。 隼人が交換って……どうした、ついに成長したか?」
莉愛がくすっと笑う。
「隼人くん、今日は積極的だね」
隼人は和也の唐揚げをひとつもらい、 噛んだ瞬間、胸に味が広がった。
(……おいしい…… 味って……こんなにちゃんとあったんだ……)
胸が熱くなる。
今度は隼人が、 莉愛のお弁当を見て言った。
「莉愛……その卵焼き…… ちょっと食べてみたい」
莉愛は一瞬固まる。
「えっ……あ、うん…… それ……私の手作りだよ……?」
言った瞬間、 自分で恥ずかしくなったのか、 耳まで真っ赤になる。
隼人はひと口食べて、 素直に言った。
「……おいしいね」
「っ……そ、そんな…… 普通だよ……!」
和也がニヤニヤしながら言う。
「おいおい、手作り褒められて照れてんじゃん。 ……お前らさ、その……もうちょい距離縮めてもいいんじゃね?」
「ちょ、ちょっと和也くん!! そういうこと言わないで!!」
隼人は笑った。
胸が痛いのに、ちゃんと笑えた。
(……ああ…… 僕…… この時間が…… 本当に好きなんだ……)
その“好き”が、 昨日よりもずっと強くて、 昨日よりもずっと痛かった。
放課後。 3人で帰っているとき、 和也が来週の遊びの話をしていた。
「来週さ、また3人でゲーセン行こうぜ! この前の続きやろう!」
「うん、行きたい! 隼人くんも行くよね?」
隼人は、 一瞬だけ返事ができなかった。
(……行けないよ…… 僕は……)
喉が詰まる。
隼人はふと腕時計に目を落とした。
秒針が、 やけに大きく音を立てている気がした。
(……もうすぐだ…… 発作が来る……)
胸の奥がざわつく。 世界が少し揺れる。
「……ごめん。 ちょっと……用事思い出した。 今日はここで帰るよ」
「え、マジか? 家の手伝い?」
「うん……そんな感じ」
「そっか…… じゃあ、また明日ね?」
「……うん。 また明日」
二人が手を振って歩き出す。
隼人は、 その背中を見送りながら 小さく呟いた。
(……ごめん…… 本当は……もっと一緒にいたかった……)
二人の姿が角を曲がって見えなくなった瞬間、 隼人はふらりと足を止めた。
夕日が差し込む道。 風が吹く。 木々が揺れる。 遠くで子どもが笑っている。
全部が、 昨日よりも温かくて、 昨日よりも優しくて、 昨日よりも痛かった。
(……僕…… 本当は…… もっと生きたかった……)
涙がこぼれた。
そして── 発作が来た。
視界が揺れ、 足元がふらつき、 世界が白く染まり始める。
白い光が視界を覆い、 隼人はまた Last Cross に立っていた。
マスターは静かに言う。
「……泣いていましたね。」
「……見てたの……?」
「見てはいません。 でも…… “泣いた心”は、ここに届きます。」
隼人は唇を噛む。
「……どうすればいいの…… 僕…… 何を残せばいいの……?」
マスターは片目をつぶり、 少しだけ柔らかい声で言った。
「残す……ですか?」
「今のあなたは…… 何か“残せる”のでしょうか?」
「偉業を成し、 世界から認められる…… そういう意味なら、 現実味がありませんね。 あなたは普通の学生だ。」
隼人は息を呑む。
「では…… “残す”とは、 世界の方ではなく…… “人の方”ではないでしょうか?」
隼人の胸が揺れる。
「人とは不思議なものです。」
「誰とも知らない者に、 絶望の淵から引き揚げられた…… その一瞬の温かさだけは、 なぜか覚えているものです。」
「……あなたが消えたあとも。 その温かさは、誰かの中に残るのでしょうか」
白い光が隼人を包む。
気づくと、 隼人は夕暮れの道に立っていた。
そのまま家に帰り、 部屋の電気もつけずにベッドに倒れ込んだ。
天井を見つめる。 今日の出来事が、 ひとつひとつ胸の奥で光っていた。
莉愛の手の温度。 和也の笑い声。 昼休みのあの時間。 夕日の中で泣いた自分。
(……僕…… 本当に…… この世界が好きなんだ……)
胸がじんわり熱くなる。
でも同時に、 その熱さが痛かった。
(……僕は…… 消えるんだ……)
涙がこぼれた。
しばらくして、 隼人はゆっくりと目を閉じた。
(……でも…… 今日みたいな温かさを…… 誰かに残せるなら……)
喉が震える。
(……僕は…… 残したい……)
その瞬間、 胸の奥で何かが静かに“決まった”。
(……明日…… ちゃんと……決めよう……)
涙を拭った自分の手を見つめた。
最後に、自分の手が いつもより少しだけ暖かいような…… そんな気がした。
