土曜の夜の軽バン野郎
Vol.2『犬にワインを見せたら「ワイ~ン」と鳴いた』
役に立つかは貴方次第!
他力本願。
しかし未来志向のワインコラム
この文章は、ワインバーを営む著者が手術をきっかけに**中古の軽バン**を購入し、副業や趣味に活用する中で得た**人生観**を綴ったコラムです。不便でアナログなマニュアル車を操る感覚が、手間暇をかけて造られる**ワインや釣りの醍醐味**に通じていると著者は考察しています。効率性が重視される現代において、あえて**身体的な手間**をかける体験こそが、心を揺さぶる「ワクワク」や生きている実感を生み出すのだと説いています。若者の車やワイン離れという社会背景に触れつつ、**理屈を超えた情熱**を分かち合う大切さを提唱する内容です。
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土曜の夜の軽バン野郎
私は副業で軽貨物の仕事をしている。
相棒は一台の軽バンだ。なぜこの車と出会い、今こうしてハンドルを握っているのか。その少し奇妙な経緯をお話ししたい。

人生という航海の途中で、予期せぬ嵐に見舞われることがある。
私にとって、それは「手術」という名の嵐だった。
静かな病室のベッドで横たわり、自らの生き方を見つめ直していた時、なぜか……本当に、自分でも説明がつかないほどの衝動に突き動かされ、私は一台の軽バンを購入してしまったのだ。
人は時に、理屈を超えた行動に出ることがある。
背景には、以前から抱いていたアウトドアへの憧憬があった。特に、私が趣味の「釣り」だ。泥のついた長靴も、活きのいい魚たちも、汚れを気にせず放り込めるタフな相棒。そんなセカンドカーが欲しかった。
なぜか……家族が車に魚を乗せるな(臭いから)と抗議する。これが大きい。
手に入れたのは、走行距離12万キロの中古車。価格は30万円。
決め手は「人」だった。かつてホテルマン時代に共に汗を流した仲間が、今は整備工場を営んでおり、彼から購入することにしたのだ。しかも、その車は新車当時から彼がずっと整備を続けてきた個体だという。これほど信頼できる話はない。私は即決した。
届いたのは、5速ミッションの商用車。
お世辞にも快適とは言えない。重いクラッチを踏み込むたびにエンジンの振動がダイレクトに体に伝わり、驚くことにタコメーターすらついていない。サイドミラーの視界は狭く、極めつけはエアコンフィルターが(商用車ゆえに)公式には存在しないという、徹底したアナログっぷりだ。
ところが、この運転がたまらなく楽しいのだ。
体全体を使って不器用な機械を操る感覚。それは、今の時代に忘れかけられている「生きている」という実感そのものだった。
このアナログな感覚への偏愛は、どこかワインにも通じるところがある。
ワインは自然の恵みを人の手で紡ぐ芸術だ。どれだけ技術が進歩しても、土を耕し、ブドウを育て、発酵を待つという根幹は、泥臭いほどにアナログな営みである。作り手の情熱が、液体のなかに魂として宿っている。
釣行も同じだ。魚の気配を読み、仕掛けを工夫し、ただ静かにその時を待つ。
デジタルに囲まれた現代だからこそ、こうした根源的な体験が、私たちの心に深い喜びを与えてくれるのではないだろうか。
ふと周りを見渡せば、「若者の車離れ」が叫ばれて久しい。
それだけではない。私が愛するワインも、釣りも、静かに若い世代から遠ざかっているように感じる。
経済的な余裕がないという現実もあるだろう。所得が伸び悩むなかで、車やワインといった嗜好品に手を出しにくいのは無理もない。
けれど、それだけが理由だろうか。
私は思うのだ。根底にあるのは「ワクワク」の欠如ではないかと。
ハンドルを握る瞬間の高揚感、グラスから立ち上がる芳醇な香り、魚が針にかかった瞬間のあの鼓動。
私たちは、こうした体験に宿る「心の震え」を、まだ十分に伝えきれていないのではないか。
アナログな体験の中にこそある、自然との一体感や生きる喜び。そんな、理屈抜きに心を揺さぶる「ワクワク」を、もっと情熱的に語り、分かち合っていく必要があるのではないか。
土曜の夜、私は今日も不器用な軽バンを走らせながら、そんなことを考えている。
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不器用な機械は、人間に考える時間をくれる。
重いクラッチ。狭いミラー。タコメーターもない軽バン。
それでも、ハンドルを握ると胸が少し高鳴る。
グラスの中でも同じだ。
長い時間をかけて人の手で仕込まれた泡が、
静かに立ち上がる。
シャンパーニュ。
人は時々、
理屈ではなく
ワクワクで生きている。
