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「自分を特別だと思うな」という言葉に息苦しさを感じる人へ。



「自分を特別だと思うな」と強く言える人がいるなら、
その人は自分のことを特別だと思っています。



「自分を特別だと思うな」

それは罵倒のようで、近年は他人の目線に振り回されて苦しむ人たちを救うために使われる言葉でもあるようです。

しかし強い印象があるだけに、配慮のない文脈でも使われるようになり、
逆にこの言葉に違和感を覚える人たちも、少しずつ出てきているようです。

「自分を特別だと思うな」という言葉が苦しい人は、
その言葉を聞いた瞬間、元の場所へと打ち返されるような感覚があるのではないかと思います。

いままでの自分が居た、周りの空気を優先する場所へ。
要求に応えなければならない場所へ。
自分を押さえつけ、我慢に慣れてしまった場所へ。

苦しみから逃れ、自分と向き合うことの大切さに気づき、
やっと自分を受容する気持ちを、得られるところだったのに。
「周りとは違う=少し特別な自分」を、生かして生きる勇気を持とうとしていたのに。

「自分を特別だと思ってはいけない」となると、
残るのは「今までいた道」しかない。

「やっぱりこんな自分がありのまま生きるなんて、
してはいけないことなんだ…」

そう思ってしまうのは、めちゃくちゃ苦しいことだと思います。

そして、本当は思わなくてもいいことなんです。


そんな人たちの場合、
”特別感”みたいなものによって守りたいのはおそらく、くだらないプライドとか選民意識みたいなものではなく、
もっと切実で、健全な心の維持に必要ものなんだと思います。

というか、そもそも「自分は特別だ」だなんて、思っていなかったと思います。

「自分を特別だと思うな」という強い言葉が、その時頭を占めていた不安に反応してしまっただけで。

つまりは、
「本当に自分を受け入れてもいいのかな?」
「本当に自分を守ってもいいんだっけ?」
「本当に自分を信じていいのかな?」
そんな風に、まだ自信がないだけなんだと思います。

受け入れていいんです。
守っていいんです。
信じていいんです。

「自分のことを大事にする」は、ある意味文化となっている側面があると思います。
ここ数年でHSPなどの言葉が流行り、自分と向き合う人が増え、”ご自愛”の大切さが叫ばれる中、
「少し過剰なくらいの表現がウケる」という大衆に対する認識は、確かにあります。

そしてそうした認識による表現が、誤解を生むこともあります。

そこに「痛い」「自意識過剰」というラベルが貼られることもあります。

でもそれって、あなたの心の問題とは何も関係ないと思うんです。

彼らにそこを侵略する力はありません。


さらにこの国の文化では、集団に自然に働く「均(なら)す力」もあります。
簡単にいうと、「出る杭は打たれる」ってやつですね。

あなたが“元の役割”に戻る方が都合がいい世界がある、ってこともあります。

それに従う必要はありません。

そしてなにより、

自分を特別に思うことは、そんなに特別なことではありません。

どういうことか。

私たちはそもそも、自分自身が周りと同じ人間のうちの一人だと認識できる、社会的な生き物です。

だから、人の痛みもわかりますし、
人が送る人生について、想像し共感することができますよね。

では、私たちは実際に他の人の人生を、生きられるでしょうか?
他の人の身体を、生きられるでしょうか?

そんなこと、ないですよね。

この世界を、自分の身体なしで、あるがままに”世界”として受け止められるでしょうか?

いくら「客観視」「メタ認知」を頑張ろうと、それはできないですよね。

世界は、”私”という身体を通してしか感じられない。
私たちはどう足掻いても、主観からは抜けられないわけです。

命が終わってしまったら、世界も消えてしまう。

そして自分や、自分の大切な人の命の重みは、
他の人の命とは違うのです。
たとえ頭で「そうでない」と考えても、本能的にはそうなっています。

だから私たち自身の存在というのは、そもそも「特別」で当たり前なんです。

「自分を特別だと思うなよ」と息を吸うように言えるなら、
それは無意識で自分の特別さを当たり前に認識でき、境界線を引けている安心感があるからなんです。

逆に違和感や苦しさを感じる場合、
その境界線が、脆くなっているからかもしれません。

でも、安心してください。

あなたが今、自分に少し特別感のある意識を向けようとするのは、
「他人を下げて自分だけが」という意味ではないと思います。

それは自分を正しくみれているということだし、

自分の特性に気づいて、それを伸ばそうとすることは、誰のことも下げません。

そしてその特性を伸ばすために、今まで無理していたことを降りるのは、なんの迷惑でもありません。

それに、あなたはだんだん、わかってきていると思います。
自分を特別だと思おうとする時、
「他者の特別さ」も見えてくる。

自分を尊重すると
他の人のことも、今まで以上に尊重できる。

「私が奉仕しなければいけない相手」から
「適度に放って、任せられる相手」へという変化を伴って。

そう思うとこの世界はもう少し、
「一人一人が特別であること」を、寛容してもいいんじゃないかな、と思いますよね。


そういうわけで、あなたは「元いた場所に戻る」必要はないんです。
今まで通り、自分を特別に、大切に扱う実験を続けて大丈夫です。
それはあなたにとって、必要な時間。

だから絶対に、自分のことを雑には扱わないでください。


……そしてもしすでに、「なりたい自分」に向かう途中で「まだなれていない自分」を責めてしまう感覚があるなら。
その状態から抜ける方法を、こちらに書いています。

「理想の自分」と、戦わずに仲直りしていく方法です。

自分と向き合うことには、長い時間がかかると思いますし、辛いこともあると思います。
私のnoteでは、そんな時に役に立てたらと思って、どんなことも徹底的に記録しています。
よかったら、フォローしておいてもらえると嬉しいです。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました🍓


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今回の記事は、以前書いた記事を今の言葉でより今の自分らしく書いたものです。






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