【連載】C-POPの歴史 第14回 「Ms. Hong Kong City Voice」サンディ・ラム(林憶蓮)の軌跡
中国、香港、台湾などで主に制作される中国語(広東語等含む)のポップスをC-POPと呼んでいて(要するにJ-POP、K-POPに対するC-POPです)、その歴史を、1920年代から最新の音楽まで100年の歴史を時代別に紹介する当連載。前回は香港を代表するスーパースター、フェイ・ウォンの魅力を余すことなく紹介させていただきました。
今回は、前回に続いて、個人のシンガーにスポットを当てた回です。今回の主役はサンディ・ラムです。
「醜八怪」が香港のシティガールになるまで
林憶蓮(Sandy Lam/サンディ・ラム)という歌手をご存知ですか。私としては、フェイ・ウォンと並んで香港最高峰の歌手として推したいです。サンディ・ラムに関しては、日本での知名度の面でも、フェイ・ウォンには遠く及ばないと思います。香港国内や中華圏ではそこそこ大物なんですけどね。でも、今回この連載を書くにあたって、C-POP全般を時代に関係なく様々なものを聴きましたが、そういう知名度とか無視して、今の視点からフラットにC-POPを眺めた際に、サンディ・ラムが表現したかったことって、C-POPのここまでの歴史を俯瞰するような、すごいものだったんじゃないのかな、と思います。おそらくほとんどの人はサンディ・ラムのことなんか知らないと思われるので、駆け足でキャリアを紹介しつつ、その魅力を語りますね。
サンディ・ラムは1966年に香港で生まれます。北角(north point)の明園西街という香港のありふれた住宅街で育った彼女。偉大なアーティストは、なんらかの符号・偶然・神の采配を持って生まれることが多いのですが、彼女もそうです。彼女の出身は香港ですが、先祖のルーツは上海近郊にあります。つまり、上海と香港という、C-POPのルーツである場所が、彼女のルーツでもあったわけです。
中学の同級生は第12回で紹介したプリシラ・チャン。プリシラは美貌に溢れた人ですが、一方の彼女は身長が159cm、目は一重で小さく、両親から「醜八怪」というあだ名をつけられてしまいます。まあ、翻訳しなくても大体わかりますかね。のちに香港のファッションリーダーになるんですけどね。。人生はわからないものです。
1982年、ラジオパーソナリティとしてデビューした彼女は、翌1983年にCBSソニーと専属歌手を結びます。歌がとてもうまかった彼女。でもすぐに歌手デビューすることは叶わず、2年経った1985年にアルバム「林憶蓮」でデビューします。
愛情 I Don't Know/林憶蓮(Sandy Lam)(1985年)
松田聖子「天使のウインク」のカバー。すでに彼女の歌唱力は花開いてるようにも感じますが、この頃はまだ個性らしい個性は出ていません。レコードの売り上げも専門家の評価も芳しくなかったようで、真面目な彼女は大変落ち込み、大きな挫折を味わいました。「作品について聞かれてもなんて答えればいいかわからない」「私は醜い」「私は歌手に向いてないから辞めたい」とレコード会社に告げましたが、レコード会社の幹部は、「判断するにはまだ早い。別のアルバムを出そう」と告げたそうです。フェイ・ウォンの初期からブレイクまでの順風満帆なキャリアと比べ、彼女のスタートは順風満帆とはいきませんでした。
19歳の彼女にとって、自分の能力(容姿含む)と真っ直ぐに向き合うのはかなり辛い状況だと思いますが、彼女はこのことをきっかけに、選曲や制作に関して、積極的に意見を出すようになりました。その努力の結晶であったアルバム2枚目「放縱」(1986年)は、プラチナレコードを獲得します。正直にいえばその後のアルバムに比べたらたいした出来ではないのですが、とにかく彼女に必要だったのは成功体験だったのかもしれません。真価は3枚目、「憶蓮」(1987年)で発揮されます。
激情/林憶蓮(Sandy Lam)(1987年)
この曲はベルリン(Berlin)の「Take My Breath Away」という曲のカバー。この曲を歌ったときは21歳なのですが、すでに歌い方に哀愁のようなものを少し感じるから恐ろしいです。フェイ・ウォンが天空の声なら、サンディ・ラムはネオン街の路地裏のバーから漏れてくる極上の声のようです。
この曲を気に入ったウォン・カーウァイは、この曲を「いますぐ抱きしめたい」(1987年)という映画の主題歌として起用します。
アダルト・コンテンポラリー・ミュージックという当時はやっていた音楽スタイル(まあ要するに大人向けの落ち着いたポップス)に活路を見出した彼女。 この路線で4枚目「灰色」(1987年)を発表します。
灰色/林憶蓮(Sandy Lam)(1987年)
香港には主に4つの放送局があり、それぞれが音楽のチャートを発表していますが、この曲はそのうち2局で1位を獲得します。こうして、専属契約から4年かけて、ようやくサンディ・ラムは名実ともに香港の売れっ子歌手となりました。これは当時の香港芸能界を考えるとかなり遅いと思います。遅咲きのスター。
ところで、彼女のイメージはこの曲あたりで、都会の女というイメージを纏います。中華圏一の大都会香港。人々が行き交い、様々な思惑が溢れています。そんな場所で、たくましく生きる女。それが香港人が彼女に抱いたイメージです。この時点で、前回紹介した、どこか現実離れした存在であるフェイ・ウォンと、まったく別のイメージが出来上がってきてますよね。
5枚目「Ready」(1988年)はより自分の音楽性に向き合います。そして6枚目「都市觸覺 Part I City Rhythm」(1988年)で、都会で生きるしたたかな女というイメージと、彼女のアダルトコンテンポラリー路線が重なります。
三更夜半/林憶蓮(Sandy Lam)(1989年)
シティ・リズムというそのままズバリ都市の音楽を志向した楽曲。「真夜中」「都市の孤独」「ワンナイトラブ」などがテーマになっていて、大人の曲だなと思います。この曲は、作詞=周禮茂、作曲・編曲=倫永亮という100%香港人によって制作された、1989年においてはまだ珍しい楽曲だということも付け加える必要があります。
この「City Rythm」路線は好調で、7枚目「都市觸覺 Part II 逃離鋼筋森林」(1989年)も、同じ路線でさらにクオリティがアップした印象です。「都市」シリーズ集大成の8枚目「都市觸覺 Part III Faces And Places」(1990年)は、彼女のキャリアの集大成のような出来でした。そして、私が思うにサンディ・ラムの最高傑作と言えるのが、9枚目、「夢了、瘋了、倦了」(日本語訳すると、「夢見て、イカれて、疲れた」ってところでしょうか。)(1990年)。1語に豊かな意味を持つ中国語を活かした実に美しいタイトル。昔の古いフィルム映画のようなアルバムジャケット、もちろん楽曲、あらゆる面でこれまでのCity Rythmシリーズよりもさらに一段クオリティがあがってるように感じます。聴いてみましょう。
心野夜 (Mercy)/林憶蓮(Sandy Lam) Feat. Dick Lee(1990年)
ここでは、中国系シンガポール人、ディック・リーのラップ(というよりもポエトリーっぽい、言い捨てるようなラップがなかなかかっこいい)をフィーチャーした楽曲を歌ってます。
これは1990年の香港の楽曲ですが、どこか遠い星で作られた異国の音楽という趣があります。Marcyとは、「慈悲」と翻訳されることが多いですが、Marcy meとくると、「自分を許す」みたいなニュアンスだと多います。歌詞を解読すると、過去におかした過ちを、ただ許してはもらえないかと懇願する内容です。
あなたは、自分で自分が許せない瞬間はありますか? あるいは、いつもは自分自身に満足してるけど、ある時ある瞬間、自分の行動や言動を後悔するような。きっとありますよね。サンディ・ラムはそんな夜のお供にちょうどいいです。どうか自分を許してあげてください。
哈囉感覺/林憶蓮(Sandy Lam)(1990年)
この頃のサンディ・ラムは無敵とも言える雑食性を発揮して、様々なジャンルの曲を飲み込んでいきます。この曲は、ジャズっぽいというか、ほぼジャズと言えるかもしれません。歌詞はコンサートに来てくれてありがとうという個人的なメッセージからはじまり(最初からライブ用に作られた曲なのかな?)。「からっぽな気持ちを抱きしめて」と歌う彼女。
香港の、100万ドルの夜景が見える綺麗なジャズクラブで、ドレスアップしたサンディ・ラムの歌唱で、呆然と聴いていたい。そんな気分になる楽曲です。
この連載では、基本的に、中国本土、香港、台湾、3地域の音楽を順番に紹介しています。これは私の個人的な印象ですが、香港のポップスが最も大人向けだと思います。そして、大人向けのC-POPである香港ポップスの中でも、「心野夜(Marcy)」、「哈囉感覺」などが入った「夢了、瘋了、倦了」は、最も洗練された大人向けのポップスだと思います。
さて、並の歌手であればここで大団円、「醜八怪」だった彼女は香港のシティガールとなり、都会の夜が似合う一流歌手となって末長く暮らしました、ちゃんちゃん。で終わるところですが、なんと彼女には第2章があります。予想できた? この展開。
自身のルーツである時代曲を現代風に甦らせるミューズ
新しい試みは、「傾斜都市燒燒燒」(1990年)という、これまでの「都市」シリーズの楽曲をリミックスしたり、アレンジしたりするアルバムの中で、ひっそりと新曲として公開されました。これがいい曲なんです。
情人的眼淚(Lover's Tears)/林憶蓮(Sandy Lam)(1990年)
この曲は1968年の「姚蘇蓉」というアーティストの同名曲です。当連載の第2回で紹介した、とても古い曲のカバーです。カバーと言いつつ、60年代の古い曲が鮮やかに、でもエキゾチックさを失わずに蘇ってます。
この曲も編曲でディック・リーがクレジットされてますが、ディック・リーやサンディ・ラムがやりたかったことは、古い時代曲の中に中国人としてのアイデンティティを見出し、それを現代風にリメイクして発表するという路線です。そしてその目論みは、この「情人的眼淚」で成功しているように思います。
香港を代表するミュージシャンとなったサンディ・ラムは、もう一つのルーツである上海、それも古い時代、黄金の時代の上海を現代に甦らせようとすべく、新しい山を登り始めました。
薔薇之戀/林憶蓮(Sandy Lam)(1991年)
翌1991年のアルバム「野花」より。これも名アルバムだと思います。「薔薇之戀」のオリジナルは、1969年に尹芳玲(Wan Fong-Ling)というアーティストが歌った曲です(原曲)。特にこの曲で印象的なのは、リズムを刻む金属的な打楽器(トライアングル? 何か金属製の打楽器音をサンプリングしてると思われます)。そして間奏で奏でられる雄大な二胡です。
二胡は中国を代表する楽器で、ここからは中国の偉大な悠久の大地が思い浮かべられます。一方の鉄琴?は、香港や上海のような、人が集まり建設物が作られる都市のイメージを私は思い浮かべました。
夜來香/林憶蓮(Sandy Lam)(1991年)
さらにこのアルバムでは、中国の名曲、夜來香(イェライシャン)をリメイクします。第1回で取り上げた1944年の名曲を1991年に甦らせました。
これなんか、私的には夢から響いてくるような曲です。ちょっとわざとらしいぐらいウイスパー(ささやき)ボイスかもしれませんが、そのおぼろげなヴォーカルとゆらぎのあるインストゥルメンタル(楽器全般)が、どこか過去にあった夢の場所(1940年代の、大日本帝国が統治する前の、時代曲が流れる上海租界地)の幻を見ているような感覚に陥ります。いやちょっと、立ち止まって聴いてくださいよ。そもそも元の曲が名曲だから。
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こうしてサンディ・ラムは、「醜八怪」から時間をかけて「都市で生きるしたたかな女」、さらに「都市の孤独な夜を癒すアダルトな歌声」というイメージを手に入れてから、今度は「過去の名曲をリバイバルして甦らせる歌姫」というイメージをまといます。これらのイメージが好きか嫌いかで、サンディ・ラムの好き嫌いは大きく別れると思いますが、私は大好きです。あえて連載1回分を使ってサンディ・ラムの楽曲を紹介しました。それは彼女が、それまでのC-POPの、特に第1回で取り上げたような古い楽曲を再解釈して世紀の終わりに提示したこと。20世紀の、ここまでのC-POP全体を俯瞰した音楽になってる気がして、連載1回分を使って記事にさせていただきました。
その後のサンディ・ラムは、普通話(中国語)のアルバム「愛上一個不回家的人」(1990年)を200万枚売るなど目覚ましい活躍を見せ、1991年には東京でのコンサートも成功させます。1994年あたりは、活動の拠点を日本にも作ったのですが、残念ながら大きな成果を挙げられませんでした。それは当時の日本人が彼女の実力を正確に判断し、適切な楽曲を与えることができなかったんだと私は考えています。
ただ、現在も香港はもちろん、中華圏地域でも彼女は大スターです。たとえば2014年には社会で弱い立場に置かれている女性を救うプロジェクト「project WAO(We are oneの略)」として、中華圏を代表する4人の歌手でチャリティコンサートを行い、4人の新曲「We Are One」も発表します。その4人とは、サンディ・ラム(香港)、A-mei(アーメイ、台湾、第10回参考)、蔡健雅(タニア・チュア、シンガポール)、那英(ナー・イン、中国本土→台湾、第10回参考)という4人です。サンディ・ラムが世代や国籍を超えて愛されている証拠だと思います。
サンディ・ラムは、前回紹介したフェイ・ウォンとは、あらゆる意味で対照的なミュージシャンだと思います。フェイ・ウォンは昼間の赤い太陽のように輝いていれば、サンディ・ラムは夜の路上を照らす月のようです。皆さんは、どちらがお好みですか?
さて、3回分を費やした香港の90年代、そして実に6回分を費やしたC-POPの90年代も終わり。次回は世紀が変わって2000年代の中国を紹介します。いよいよ21世紀。新世紀の音楽に注目です。あなたが知ってる曲も1曲はあるはず!
