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【連載】C-POPの歴史 第24回 マレーシアとシンガポールのC-POP・前編 (20世紀編)

中国、香港、台湾などで主に制作される中国語(広東語等含む)のポップスをC-POPと呼んでいて(要するにJ-POP、K-POPに対するC-POPです)、その歴史を、1920年代から最新の音楽まで100年の歴史を時代別に紹介する当連載。久々の復活。前回の23回までで、中国(本土)、台湾、香港各地域の2000年代までのC-POPを紹介し終わりました。

今回は、これまで紹介しなかった、中華圏に分類されることも多いマレーシア、シンガポールのC-POPを紹介したいと思います。今回は20世紀編として、おおむね1960年〜2000年の間にマレーシア、シンガポールを中心とした東南アジアで生まれたC-POPを取り上げます


「中国」は世界中に存在する

C-POPとは中国語を使用し、主に中国(本土)・台湾・香港のポップスを指します。ですが、中国語を母語とする人たち、あるいはもっと範囲を広げて、両親・先祖が中国と何らかの関係のある人たちを含めると、世界中に範囲は広がります。Wikipediaによると、中国の主要民族である漢民族は世界に17億人いるようで、これは地球最大の民族です。特に人口が多いのは2つのカテゴリに分かれると思います。一つ目はアメリカ・カナダ・オーストラリアなど多くの移民を受け入れる国家に移民しているケース、そして二つ目が東南アジア。

アメリカなど英語圏に移住した中国系の人々が音楽活動をするとすれば、1.世界中に話者のいる英語を使ってポップスをする、2.台湾や中国・香港に進出して中国語で音楽活動をする。の2択になると思います。1.の例では、現代ではGinger RootFar East Movementなどが挙げられます。2.の例では過去に紹介した王力宏(ワン・リーホン、ニューヨーク州生まれで台湾で活躍、当連載では22回に登場)、L.A.BOYZ(LA出身の台湾系アメリカ人で結成。台湾でデビュー、当連載では10回に初登場)などがいます。1.はC-POPとは言えないし、2.は活動拠点が台湾や中国などなのですでに紹介済みです。特殊なケースとしては、1.のちに2.というアーティストが存在して、これが18回で紹介したMC Jinです。彼は、ABC(American Born Chinese)を代表するアーティストです。

さて、アメリカなどよりも人口が多いのが東南アジアに暮らす華人です。距離的に中国に近い東南アジアには、多くの中国系の人々が暮らしていています。特にシンガポールやマレーシアでは、国民全体に対する中国系の人数が多かったことにより、現在も中国語話者が多く暮らしています。シンガポールは人口の75%(4人に3人)、マレーシアは人口の25%(4人に1人)が中華系と言われています。この地域からはどのようなC-POPの才能が出てきたのでしょうか。

1960〜70年代シンガポール サクラとリタ

住民の75%が中華系、事実上の中華圏と言えるシンガポールは、1963年にマレーシア(マラヤ連邦)から独立して誕生した都市国家。独立当初から中継貿易の港町、アジアの金融都市として発展し、豊富な経済力はポップス制作を後押しします。実は中華圏では香港と同様に、早くからポップスが生産されてきた場所でした。

なかでも抜群の人気を誇ったのが、樱花(Sakura Teng)と、凌雲(Rita Chao)の2人です。時はビートルズに代表されるマージー・ビート全盛期。その雰囲気を多分に含んだ楽曲が作られ、人気を博しました。

Huan Le Jin Xiao(欢乐今宵)/樱花(Sakura Teng)(1967年)

曲を聴いてるとつい腰を振りたくなってしまう、懐かしくも今聴いても十分素晴らしいサウンドですよね。1960年代のシンガポールにタイムスリップして酒場で聴いてみたいです。ライブはめちゃくちゃ盛り上がってそう。

ただ、樱花(Sakura Teng)もかなりいいですが、私は凌雲(Rita Chao)派です。

How to Catch a Girl/凌雲(Rita Chao)(1967年)

ね、いいでしょ、リタ。ファズの効いたギター、ガレージサウンドのような荒削りかつ攻撃的な演奏に絡む、少し舌足らずな雰囲気もあるリタの歌声がたまりません。

リタからもう一曲。中国語ではないのですが、ハンキーパンキーのカバーなんか最高なんですよ!

Hanky Panky/凌雲(Rita Chao)(1967年)

ハンキー・パンキーは、Tommy James and the Shondells によって1964年に歌われて66年ごろにスマッシュヒットした曲なのですが、わずか1年後の1967年にはシンガポールのリタによってカバーされています。さすが国際都市シンガポール。すぐに新曲をカバーして、アンテナが高いですね。原曲と違い女性ヴォーカルヴァージョンもいいでしょ? この曲は彼女に合ってると思います。

樱花(Sakura Teng)と凌雲(Rita Chao)の人気は凄まじく、1967年には香港、台北、東京を回るツアーを行っています。彼女らの人気を支えたのは、演奏家のThe Quests。今改めて聴くと、ヴォーカルよりも演奏家の腕に驚かされるはずです。彼らは1960年代シンガポールで最も成功したバンドと言われています。

他にも歌謡曲を歌うC-POP歌手はシンガポールやマレーシアにちらほらおりますが、サクラとリタほど成功する歌手は他にいませんでした。

またこの段階では、シンガポールやマレーシアのC-POPアーティストは、他の中華圏との交流はそこまで多くなかったようです。

【寄り道1】中国人ではない人が作った世界一有名なC-POP?

せっかくいつもの中国・台湾・香港という区分を離れて世界に視野を広げたので、少し寄り道しましょう。区分としてはC-POPにはカテゴライズできませんが、ある意味で世界中で最も有名なチャイニーズソングを一つ紹介しましょう。きっと皆さんも聞いたことがあるはずです。

Kung Fu Fighting/Carl Douglas(1974年)

♪エビバディワズカンフーファイティーンァ・・・。いやー、最高な曲ですよね。カール・ダグラスのカンフー・ファイティングは、おそらく世界中で最も有名な中国の曲、だと思われているイギリスの曲です。このエキゾチックな曲は今からおよそ50年前の1974年に発売され、ジャマイカ系イギリス人のカール・ダグラスによって歌われました。なお、作詞はダグラス本人、作曲はインド系イギリス人のビドゥによって行われました。

この曲は英語であるし、製作陣にも中国の人はいません。ただ、1970年代という時代に、中国的な意匠を曲に取り入れ、世界中でヒットし、中国というイメージを広めたということで、例外的に取り上げる意味があると考えます。この曲は1100万人に売れ、50年経過した今も愛され、執筆時(2026年2月)もSpotifyで3億回再生されています(聴かれすぎ)。この曲は、中国人ではない人たちが中国的なるものをイメージしてできたフェイクのC-POPなのですが、やがて当の中国人にすら愛されるようになり、ある意味中国、中国的なるものを象徴する曲になります。

Kung Fu Fighting/CeeLo Green(2008年)

世紀をまたいだ2008年には、アメリカのアニメーション映画「カンフーパンダ」の主題歌としてリメイクされて蘇ります。こちらのカバーバージョンも聴いて改めて、この曲が持ってる底力、なぜこの曲が世紀をまたいで愛されているのかわかる気がします。つい口ずさみたくなる曲ランキングならかなり上位の曲でしょう。

1980〜90年代シンガポール カレッジフォーク

さあ、本編に戻りましょう。時代は一気に飛んで1980年代。この時代になると、にわかにこの地域にも音楽産業の萌芽が芽生えてきました。私が大好きな曲を一曲紹介しましょう。

美丽的女郞/Chen Qiong Mei(陳琼美)(1980年)

いやー、いい曲でしょう。私が自分に縁のない地域の音楽を紹介できるのも、インターネットの発達、特にYouTubeやSpotifyなどのおかげですが、そういう時代背景で、一度世の中から忘れ去られていた音源が呼び起こされたタイプがこの曲です。近年のシティポップや80年代ディスコファンクの再評価で一部の好事家の間で人気となっています。

Chen Qiong Mei(陳琼美)は、台湾の歌手ですが、この素敵な曲が含まれたアルバム、嘉露(Oh! Carlo)はシンガポールのTony東尼機構というレーベルから発売されていて、Discogsというサイトの情報によると、東尼大樂隊(Tony Big Band)というバンドが演奏を行っているそうです。ということは、この音源はシンガポールで録音された可能性が高いです。

「可能性が高い」と書いたのは、結局のところ広大なネットの海に落ちている頼りない情報を信じて、レコードの画像を目視したりして出てきた情報を総合するとこのように推測されるだけで、本当のところはよくわかりません。彼女は台湾の歌手なので台湾で制作されたのかもしれません。でも、そいういわからなさも、今となってはなんかロマンがあっていいじゃないですか。

なおこの曲は、どこかで聞き覚えがあるなと思ったら、日本の幻のシティポップアーティスト、福島邦子の「スローダンサー」のカバーだと思います。

こういういい曲が埋もれていたなんて。インターネットには、今や世界のほぼすべてがありますが、そうやって考えると、まだネットにない素晴らしいものもあるんじゃいか? そう思わせてくれる音源でした。

1970後半〜80年代は、台湾や香港などでカレッジフォークが流行する時代です。代表的なアーティストとしては台湾の羅大佑などがいます(第7回参考)。この流れは台湾ほど大きなものではなかったのですが、シンガポールでも同時に起こっていました。そういうアーティストたちは新謡(Xinyao)と呼ばれ、シンガポールでムーブメントを生み出しました。代表的なアーティストに、Dawn Gan(颜黎明)がいます。

我们这一班/Dawn Gan(颜黎明)(1987年)

正直、いま聴き直すともっさり感もありますが、このムーブメントは学生が自分たちの言葉で歌うという流れを作ったのは大きいと思います。

说走就走/Li Feihui(黎沸挥)(1994年)

新謡(Xinyao)からもう1人、リー・フェイフイはシンガポールの当時の若者の気持ちを代弁するシンガーソングライターの1人でした。失恋の悲しみを歌ったこの曲は、彼の代表曲の一つです。

90年代中頃といえば空前のカラオケブームでしょうから、さぞかしこの曲もシンガポールのカラオケで歌われたことでしょう。

1980〜90年代マレーシア 最初の台湾進出

さて、ここまでシンガポールの話題ばかりでしたが、ついにここでマレーシアからアーティストが登場します。マレーシア出身で最初に中華圏全域で支持を集めたのはEric Moo(巫啓賢)です。

太傻/Eric Moo(巫啟賢)(1994年)

ここまでのシンガポールのアーティストと違い、エリックはマレーシアの成功もそこそこに、台湾に進出して中華圏全体のスターになりました。もちろん、自国ではとどまりきれない彼の才能もありますが、海外に出ないといけなかったエリックの事情もあると思います。マレーシアには中国人が多く住んでいますが、最初に紹介した通り、マレーシア全体のなかで中国人の人口は4人に1人に過ぎず、また90年代であればマレーシアの経済力も今ほど発展していないはずで、音楽で食べていく上では非常に厳しい環境と言えるでしょう。そこで彼は、地元での活躍を提げて台湾や香港に進出しました。

以降、市場規模の小さいマレーシア、シンガポールでは台湾や香港に進出して活躍するケースが増えますが、エリックはそんな進出組のパイオニア的な存在だと思います。

1989年 当時のアジアで最も重要なアルバム「マッド・チャイナマン」について

さてここで、別格とも言えるアーティスト、ディック・リー(Dick Lee)に登場してもらいましょう。彼はほとんどの楽曲を英語で歌っているので、狭義の意味でC-POPとはいえません。ただ、彼の存在は、中国系シンガポール人というアイデンティティを誰よりも雄弁に語っているのでここで紹介させてください。

ディック・リーは1956年にプラナカン・チャイニーズ(マレー系と中華系の先祖を持つ)の父と、中国系の母の間に生まれます。まあ、簡単に言ってしまえば4分の3ぐらいは中国人です(奇しくも、シンガポールの中華系の人口=4分の3と同率)。彼はファッションデザイナーを志し、学生の頃にイギリスに留学しますが、その頃から音楽活動に興味を持つようになります。また、留学経験は、彼のアイデンティティを深く考える機会になりました。海外に出たら、自分が日本人であることに意識的になりますよね。

帰国後1974年にシンガポールでレコードデビューし、当初は英語の、こう言ってはなんですが当たり障りのないポップ・ロックソングアルバムを何枚か出していました。そんな彼が、1989年、突如それまでの洋風ポップ・ロックソングを捨てて、中華系という自身のアイデンティティに向き合ったスタイルのアルバムが「マッド・チャイナマン」です。彼は中国系ですが、中国語が堪能ではありません。シンガポールの事実上の第一言語である英語以外は、片言の中国語しか話せない。そんな自分の存在を自虐的に捉えたとも言えるアルバム「マッド・チャイナマン」より一曲聴いてください。

Let's All Speak Mandarin/Dick Lee(1989年)

アルバム「マッド・チャイナマン」は、中国、アジア、シンガポールという自らのアイデンティティをテーマにしたコンセプトアルバムですが、ほぼすべて英語で歌われています。彼は中国語が堪能ではありません。この曲は唯一中国語のコーラス(というより寸劇)が含まれていて、タイトルはLet's All Speak Mandarin(みんなで中国語を話しましょう)です。

この曲は大体こんなようなことを歌っています。

ショッピングモールで美女を見つけたディック。思わず微笑みかけますが彼女は無視。めげずに話しかけていると、美女はこういうのです「中国語で話しましょう」と。しかしながら、ディック・リーはなんと声をかけていいのかわかりません。こうしてナンパは失敗しましたとさ。

見た目は明らかな中華系なのに中国語が苦手な自身を皮肉ったこの曲は、「マッド・チャイナマン」というアルバムコンセプトの核となる曲だと思います。

このアルバムは、ワーナー・レコード・シンガポールから発売されますが、ネットもない時代に瞬く間にアジア中で評判を呼び、確認できるだけでも日本、台湾、韓国、インドネシアなどで発売され、香港、日本では音楽賞を受賞します。日本を含むアジア中で共通して有名になったミュージシャンとしては、テレサ・テン以来の快挙です。すっごい人なんですよ、ディック・リー。

ところで、自分が何人で、どこからきた何者なのか正直分からない、という感覚は、日本人にも理解できるところはありませんか? 発売当時(1989年)バブルの真っ只中だった日本は海外旅行に大量に出かけるようになり、そこで新しい文化的な軋轢を受けます。お金持ちで、義務教育でたっぷり勉強しているのに英語が理解できず、カメラと買い物が大好き、話しかけても微笑むばかり。日本人は、見た目はアジア人、だけど中身は白人みたいだというところからバナナという蔑称で呼ばれることもありました。中国系なのに中国語がうまく話せないディック・リーのアイデンティティ問題は、どこかちぐはぐとも言える日本人にも深く理解できるところもあったのでしょう。ディック・リーは特にアジアの中でも日本で評価されたアーティストです。

The Centre of Asia/Dick Lee(1989年)

同じアルバムより「セントラル・オブ・エイジア」は、そんなマッド(=気の狂った)チャイナマンである彼が、むしろ開き直って、ここがアジアの中心である、とシンガポールを讃える歌です。

確かに、中国人とマレー人とインド人の国で、アジア中の貿易船が停泊するシンガポールは、アジアの中心と呼ぶにふさわしい立地であります。

ディック・リーは現在まで19枚のアルバムを出し、現在も配信シングルを定期的に発表していますが、彼のアルバムのうち「マッド・チャイナマン」(1989年)と、続く「アジア・メジャー」(1990年)は、C-POPというジャンルを超えて、アジアが生み出した名作だと思います。この2枚だけでも、ぜひ試聴してみてください。アジアの様々な地域の曲にインスパイアされた楽曲たちは、全曲素晴らしい出来です。日本のミュージシャンも一部参加しています。歴史は破られていくもので、現在ではK-POPアーティストが全アジアどころか全世界で売れていますが、彼のコンセプトは、シンガポールポップスやC-POPという枠を越えて、アジアに共通のヒット曲、アジアンポップスのようなジャンルができる可能性を示唆したと思います。また発売から36年経った彼の音楽がいまだに「味がする」のは、誰しもがインターネットで写真や文章を公開するようになった現代人に共通する問い「私はいったい誰なの?」という問題に向き合ったアジアのアーティストだからだと思っています。

偉大すぎるディック・リーについてはまだ語り足りないので、期をあらためて紹介しますね。

【寄り道2】タイにC-POPはあるか? 中国娃娃

さて、ここでマレーシア・シンガポールから少し寄り道して、タイの中華系についても考えてみたいと思います。タイにも中華系が多く暮らしていますが、残念ながらタイにはC-POP市場はありません。タイの公用語はタイ語と定められていて、タイで暮らす中国系の人たちの大多数はタイ語を使用して暮らしていています。ただ、例外として、China Dolls(中国娃娃)という中国系タイ人によって構成された二人組のユニットがあるので紹介しましょう。

หมวยนี่คะ (Muay Nee Kah) /China Dolls(中国娃娃)(1999年)

1999年という時期、カジュアルファッションの女性二人組ということから、おそらく日本のPUFFYあたりをプロデューサーはイメージしていたのではないでしょうか。ダンスのキレはパフィより上手です。この曲はタイで発売されていて、歌詞も半分以上はタイ語です。ですが半分近くは中国語で歌われています。また、2人の女性もいかにも中国的なオリエンタルなイメージ(黒髪パッツン的な)をまとっています。なお、彼女らが所属するGMMエンターテイメントはタイのエンタメ業界を牛耳る会社で、タイポップに詳しいDJ 817さんいわく、GMMはジャニーズとAKBグループと吉本興業が一緒になったような会社、とのことです。どんだけ強い会社なんだ。

H.N.Y. /China Dolls(中国娃娃)(2000年)

H.N.Y.(Happy New Year)は2000年の曲。この曲もほぼタイ語で歌われていますが(曲の出だしのシャウトはサワディカー(タイ語でこんにちは))、ところどころ中国語も含まれています。

これらの曲はC-POPなのか、かなり判定の難しい境界線上にある曲です。確かに中国語もいくつか使われているとは思いますが、この曲を楽しむ人は主にタイ人であり、中国系タイ人の彼女たちがある意味で自分たちの個性として、ルーツである中国系の意匠や言葉、音階を駆使して個性を出した、と位置付けたほうがわかりやすいと思います。つまり、私の判定ではこれはギリギリC-POPではなくタイ-POPだと思います。ただ、タイ人が中国的なるものを娯楽として楽しんでいるという現象は面白く、これは日本との共通点とも言えます。例えば日本人もチャイナタウンを観光地化したり、漫画・アニメ「ドラゴンボール」「らんま1/2」などに代表されるように、中国的なるものをエンタメ的に愛でてきた、消費してきた文化のある国です。

Handkerchief/Triumphs Kingdom (ไทรอัมพ์ส คิงดอม)(2000年)

タイでは他にTriumphs Kingdomというアイドルが、Handkerchief(ハンカチーフ)というタイトルで夜来香(第1回参考)を大いにアレンジしてカバーしています。

今から26年前のバンコクのチャイナタウンで撮られたMVにも注目。考えてみれば、日本もテレサ・テン、アグネス・チャン、ヴィヴィアン・スーなど、古くから中国系のアーティストを日本でデビューさせてきた国。日本とタイが、中国人・あるいは中国という地域について、自分たちに少し近いけどどこか違うオリエンタルなムードのある国、と同じぐらいの距離感で捉えていたという事実は面白いと思います。

真打登場 許美靜(Mavis Hee)

中国娃娃やカンフー・ファイティングなど、ある意味で中国ではない中国なども紹介し、寄り道しながらやってきましたが、ここで20世紀で最も重要なシンガポール・マレーシア地域のC-POPアーティストを紹介しましょう。

彼女の名前は許美靜(Mavis Hee)。1974年シンガポール生まれ。1994年にシンガポールでデビューします。彼女の歌声を聞いたC-POP界の大物プロデューサー、ジョナサン・リーは彼女に台湾デビューのラブコールを送りますが、シンガポールでの活動にこだわったメイヴィスは、その後もシンガポールで活動を続けます。そして1995年、彼女はこんな曲を発表しました。

城裡的月光/許美靜(Mavis Hee)(1995年)

1995年、同じくシンガポールの陳佳明(Tan Kah Beng)によって作られた「城裡的月光」は、シンガポールが生み出したC-POP屈指の名曲でしょう。この曲の存在によって、メイヴィスは、「シンガポールのテレサ・テン」と呼んでも差し支えないような国民的歌手のイメージを手にしたと思います。奇しくも、テレサ・テンの代表曲も月に関する曲でしたよね(第5回参考)。

遺憾/許美靜(Mavis Hee)(1995年)

同じアルバムから、同じく陳佳明作の「遺憾」。この曲もとてもいいですよね。

この2曲が含まれたアルバム「遺憾」(この曲と同じタイトル)は台湾でも60万枚、アジア全体では250万枚を超えるヒットとなりました。その後は当時より大きな市場を持っていた香港市場に乗り込むために広東語の楽曲も録音します。

明知故犯/許美靜(Mavis Hee)(1997年)

この曲の香港での成功によって、彼女は「リトル・フェイ・ウォン」(フェイ・ウォンについては13回参考)と呼ばれるようにもなります。

しかしながら、以降の彼女の運命は、フェイ・ウォンやその他C-POPのレジェンド級の存在となったアーティストとは異なります。人気絶頂中の2000年、突然芸能界から姿を消しました。以降は精神的な問題を抱え、何度も芸能界に復帰しては再び潜伏するという状況を繰り広げます。結局のところ、彼女が何に悩み、何に幸せを感じて、何を考えて生きているのか、異国の私には想像ができません。インターネットで調べても好奇のネットニュースが出てくるだけでしょうから、特に調べる気にもなりません。ただ、その後の彼女がどうあろうと、彼女は正真正銘の、シンガポールを代表するアーティストの1人であり、のちに与えた影響は計り知れない、とだけ申し上げておきます。(※冒頭のイラストは、「城裡的月光」を熱唱するメイヴィスです(AI制作))

【予告】21世紀に向けて

さて、メイヴィスの登場から数年、世紀の入れ替わりに、突如としてシンガポール・マレーシアのアーティストはC-POPの中心地、台湾に続々とやってきます。マレーシアから光良(マイケル・ウォン)、品冠(ヴィクター・ウォン)、梁静茹(フィッシュ・リョン)、シンガポールからJJ Lin(林俊傑)、孫燕姿(スン・イェンツー)、蔡健雅(タニア・チュア)などなど。2000年以降については、次回あらためて紹介したいと思います。

バックナンバー

1927年の曲から、C-POP100年の歴史を振り返る連載。過去24回分は、様々な角度からC-POPの魅力を取り上げてます。気になる回からぜひ読んでみてください!




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