闘病記3:肺炎の影、救急病院の若きドクターと謎の高熱
強くてニューゲーム(ハードモード)Quest.3
「難病発覚に至るまで──落ち着いた今、気づいたこと」
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非常勤医師と、進まない治療
担当医師になったのは、常勤ではない先生。
普段は別の病院がメインで、この病院には水曜日だけ来るという。
話し方は柔らかく感じも良かったが、診てもらえるのはその日しかなかった。
──何かあっても電話で確認できないのでは?
その不安は、後に現実となる。
次の診察までの一週間、治療は進まず、解熱剤だけで過ごす日々。左の肺が痛いせいで、いつもは左を下にして寝るのに、それができない。
仕方なく仰向けで寝るが、落ち着かず、息苦しさがまとわりついていた。
「肺炎確定」と体重の減少
そして迎えた次の診察日。
前回のCT 結果と新しいレントゲンを確認して、ついに診断は「肺炎確定」となった。ただし原因は分からないままだった。診察では「雑菌が入ったのかもしれない」「お風呂など生活の中で菌が入ったのでは」と、いろいろ推測されたが、結局はっきりした理由は見つからなかった。
食欲もほとんどなく、口にできるのはうどんかおかゆくらい。
この頃から体重は落ち始め、「50キロは切りたくないな」と思っていたのに、あっさり下回ってしまった。(※元気な頃は55キロくらい)
それ以来、現在まで一度も50キロを超えてはいない。
療養中の発疹と、連絡のつかない病院
──あとから思えば、
膠原病や免疫の問題から来ていた可能性が高いのだろうと思う。だが当時は、そこまでの結論にはたどり着いていなかった。
療養生活の最初の1か月ほどは、抗生剤の効果もあってか回復を感じる日が多かった。
熱も落ち着き、少し穏やかに過ごせていたのだが、ふいに体のあちこちにかゆみを覚える。一日でそれが蕁麻疹であることが分かった。
コロナ禍の9月。スケジュールが変更になった ”ル・マン24時間レース” があった週末のことだ。
蕁麻疹がひどくなったのは土曜の夕方。すでに病院の外来は終わっていた。
病院窓口に電話はつながったものの、担当の先生に連絡する手段はなく、「薬剤師のいる薬局へ行ってください」と言われた。
レース中継を捨てるほどの、悪化する蕁麻疹
そして日曜日。
ル・マン24時間レースは中盤に差し掛かった頃だった。
普段の僕なら、レース中継の最中に場を離れるなんてありえない。
しかし、かゆみと発疹の熱に耐えられず、体を引きずるようにして薬局へ向かった。
薬剤師さんにお薬手帳を見せて相談し、勧められた市販薬を買って帰った。僕を知る人なら、この行動だけで「かなり具合が悪かった」とわかってくれると思う。
次の診察日までに蕁麻疹は少しずつ落ち着いてきたが、
「抗生剤にアレルギーがあるのでは…」という話になり、薬は変更された。これがさらなる悲劇となった。
抗生剤変更による高熱の再発
新しい抗生剤はまったく合っていなかったらしい。蕁麻疹は出なくなった代わりに、高熱が再発した。「これはまずい」と思ったが、またも土日で病院は休み。
タクシーで行ける距離の救急病院へ向かった。ネットの評判は悪かったが、行けそうな病院がここしかなかった。
若きドクターの診察と、迷走する帰り道
受付のおじさんや看護師さんは親切だった。まず行われたのは、すっかり慣れてしまった PCR 検査。そのあとに 採血、採尿、CT 検査を受けた。
待合室はガラガラだったが、結果が出るまでには1時間ほど待たされた。
やっと呼ばれて診察室へ。そこにいたのは、若くてスマートな医師だった。
しかしその医師は「早く終わらせたい」空気を隠さず、PCモニタを見たまま、こちらの顔をほとんど見ようともしない。
「問題なし。帰っていいですよ」
──って、おい!
食い下がると「肺炎はもう治っているから様子を見て」とのこと。
1万円近くかかって、高熱の原因は解決せず、疲労とストレスだけが残った。帰り道。タクシーがどこかで捕まるかなと思って歩いていたが、まったく見当たらない。

途中、バスが通ったのを覚えている。ただ行き先は最寄り駅ではなく、家の方角とも違う路線だったので「意味がない」と思い、やり過ごした。
けれど今振り返れば、駅にさえ出ればタクシーでも電車でもどうにでもなったのだ。高熱で思考が回らず、そんな判断すらできなかった。
彷徨の末の牛丼と、予期せぬ解熱
スマホの地図で現在地を確かめながら歩いたが、慣れない操作に戸惑い、結局は彷徨うように進むしかなかった。
タクシー会社を調べる発想すら浮かばず、たまたま見つけたタクシーも予約済み。結局、ふらふらと1時間以上歩き続けた。
持っていたエネルギーゼリーを飲むと、少し体が楽になった。
家の近くのすき家まで戻ったところで、
「そうだ、カロリーの高いものを食べよう」と思い立ち、牛丼の並盛をテイクアウトした。
バタバタした一日だったが、帰宅する頃にはなぜか熱が下がっていた。
「あれ? なんで?」と首をかしげる。結局その日は抗生剤を飲まなかった。そのせいかもしれないと推測した。
薬をやめる決断と、ひとまずの回復
牛丼は一度では食べきれず、何回かに分けてようやく完食した。
救急病院でも「肺炎はほぼ治っている」と確認されていたため、担当医の説明を根拠に抗生剤をやめる決断をした。 すると2日ほどで熱は落ち着き、食欲も少しずつ戻ってきた。
こうして肺炎の一件は、ひとまず幕を閉じた。
──ただ、その後も「雑菌の可能性」を指摘され、掃除や生活の細かい部分に神経を使うようになった。免疫が弱い以上、ささいなことでも油断はできない。 それ以降も、微妙な不調が出たり落ち着いたりを繰り返すことになる。
……指定難病 全身性エリテマトーデス(SLE)だとわかるのは、まだ少し先の話。
(つづく)
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