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53日目:自分の在り方を目指して-私が会社を辞めた理由

今の自分の生活と、昔思い描いていた生活と、今の理想的な生活と。
どれだけのギャップがあり、どのような人生にするために仕事をしていますか?

今回も記事を開いていただきありがとうございます。

先日私の人生を振り返るいい機会をいただきました。

そこで思い出したことや感じたことを、忘れないためのアウトプットを兼ねて記事にまとめました。

思い描いていた社会人

皆さんは、社会に出る前にどのような社会人になることを思い描いていたでしょうか。

当時の私ははっきりとは描いていませんでした。

今になって思い返すと、技術を極めて、仲間に尊敬されて稼げてる姿を求めていたように思います。

そのために選んだ仕事、そうなれると感じた仕事が、SEでした

インターンから仕事をいただくようになるまで

私は専門学校で2年間、その後大学で2年間学びました。

専門学校の1年目の最後にインターンの提案を学校側から頂き、インターンに参加しました。

会社は規模が小さく、確か総勢20名も居ないようなベンチャー企業でした。

インターンと言いつつ、新人研修を一緒にさせて頂く感じでしたが、当時の私にとっては実際に働いている社会人の話を直に聞ける、貴重な機会でした。

そこで2週間インターン(研修)を受けた最終日に、取締役の方に声をけていただき、2ヶ月ほどしてからバイトとして仕事をいただけることになりました。

バイトでのシステム開発

バイトの学生ながらに実力を買っていただけ、入社したばかりの新人に交じり、始めは受託の社内システム開発をさせていただきました。

少しすると、大学や個人の趣味で学んでいた画像処理の技術をふるわせていただけることになり、それを活かした仕事をさせていただけることになりました。

まだAIが一般的でない時代。必要な処理を自身で組んで、それを要件に合うように調整する。

社内に私しか画像処理をできる人間がいなかったので、プレッシャーがすごかったですw

さらに、定期的に入ってくる新人の研修の、質問係も任せていただき、会社の組織作りの基盤となる部分に携わらせていただきました。

入社してから会社員としての黄金期

入社してからは、画像処理に加えて機械学習も身に着け、技術者として実力を伸ばしていました。

私の技術ありきの案件をいくつも用意していただき、中核メンバーだったり、独立した独り部隊だったり、色々な角度から様々な案件に携わりました。

研修担当も引き続き任せていただき、カリキュラム決めをして、講師も任せていただきました。

最終的には40~50名ほどを輩出して、自信をもって私が創った研修だと、私が育てたメンバーだと、言い切れるほどになりました。

何かがおかしくなり始めたコロナ明け

さて、ここからです。

会社が某会社の傘下にくだり、新し取り組みよりSESに力を入れ、受託等をしていたSE部隊でなく営業部隊が売り上げのほとんどをたたき出し、社長は無茶な目標設定を立て怒鳴るようになり。。。

何より私目線だと、会社を辞める前の2年間、一切給料が上がりませんでした。

理由を聞いてみたら、会社の給料テーブルに当てはめたときに、私の業務内容での上限に到達した、と返事がありました。

・・・いや私他の人と同じ仕事ほぼしてないんですけど!?

なんなら会社辞めてから、普通の開発経験の少なさ響いて少し苦労したくらいには普通の仕事してなかったですよ?
それは給料あがりませんわ。

まあ、他の人と同じ画一の評価をするのが、会社の方針ということはわかりました。

直接交渉もしはしましたが、ならもっと給料がいいポジションになっていいと、研修の部署を作って自分のチームを持っていいと言っていただきました。

うん、嬉しいけどそうじゃないw

研修に画像処理に、2年間色々やっていたことは評価されないんだなと。

技術者として現場にこだわりたいと伝えても、今の環境で給料を上げようとするとできないことなんだなと。

理想と現実のギャップに直面しました。

後から聞いてみると

会社を辞めてから4年程度たってから、当時一緒に働いていて、わたしより上層のやり取りをしていた人に裏側を訊いてみました。

社長は私には社会を変える仕事、バイオが将来来ると感じているから、その方向に舵を切れるように今はIT事業で地盤つくりをしていると言っていました。

が、社長はお金を稼ぎたかっただけ。

社長はフリーランス上がりの方だったですが、フリーランスの限界を感じたから会社を立ち上げただけ。という本心らしものを知りました。

始めは本気でバイオを目指していたのかもしれませんが、おそらくコロナの時期に、助成金ありきとはいえ億単位の借金をしたようで、そこからおかしくなったそうです。

会社レベルの経営や組織作りの知識や経験が、全くなかった社長。

お金を返すために外部の資本を入れ、利益率がよく安定していたSES事業に負荷をかけるようになり。

私が辞めた後、いや、その前から。

有力な人がどんどんやめていき、中核は社長と元から仲が良かった人くらいしか残らなかったそうです。

次の将来を目指して

今の会社にいても、私の思い描いた社会人にはなれないなと感じて、転職を考え始めました。

まずは会社の上司に軽く相談したのですが、話の方向が、会社の中で理想を叶える方向になりまして。。。

まあ上司は会社で人生作っていくつもりの人だったので、私が相談する相手を間違えました。

なので社外の知り合いの、ラーメン仲間に相談することにしました。
この人がスーパーSEで、フリーランスで稼ぎまくっている人だったんです。

何度か相談に乗っていただいて気づいたのは、私が会社員の枠の中で、今持っている知識や経験の積み上げだけで、将来を描こうとしている事実でした。

描いている将来があったはずなのに、いつの間にか、今の私でも行ける将来を探し始めていたんです。

さらにもう一つ、幸福の資本論等という本で紹介されている考え方なのですが、3つの資本というものがあります。

ざっくりいうと、お金(金融資本)、健康や体力や資格等の実力(人的資本)、仲間や一緒に仕事をする人(社会資本)の3つがあると幸福と言えるよね、と書かれています。

でもこの3つって、なかなか全てを同時に手に入れることって難しいみたいなんです。

私の場合だと、技術力を高めて人的資本はありました。

会社で研修任されたり社長から信頼されていたり社会資本もありました。

でも、その2つの資本はお給料につながらず金融資本は変わらずでした。

お給料(金融資本)のために働けば、自身の成長のためでなく、会社の仕事のための成長をしなくてはいけないなと気づいたんです。

いやそもそも、あると思った人的資本と社会資本も、今の会社の中ありきのものでしかない。

全部、会社に依存していたんだ。

これに気づいたときは衝撃でした。

忘れていた憧れ

私はどうなりたかったのか。

思い返したときに出てきたのは祖父でした。

地域の駄菓子屋さん(菓子パン屋さん?)で、地域中の人と交流があったらしい祖父。

お店を畳んでからは、折り紙や将棋の上手さから先生と呼ばれていた祖父。

15年以上前に亡くなった際、地域で一番大きいらしい葬儀場で葬式を執り行い、最後にありがとうと伝えに来てくれた人が式場からあふれかえった祖父。

これが、私が目指していた在り方でした。先ほどの3つの資本になぞらえると、溢れんばかりの人としての人徳や魅力(人的資本)と、生前から先生と呼ばれ最後にお別れを言いに来てくれた大勢の仲間(社会資本)がある人でした。
お金は、少なくとも老後に困らない程度はあったのかな?

私は、技術(人的資本)を極めれば、高い収入(金融資本)が得られる職に就き、大勢の仲間(社会資本)から尊敬され仕事ができる、そう思っていましたが全くの的外れ。

SEを極めて定年まで勤めあげて、何が残るか。

現状すべての資本を会社に依存していると気付いた私は、PCに向き合う技術と、ある程度のお金があるだけの、孤独な老人。それしかイメージができませんでした。

結び

長くなりましたが、私の憧れていた姿は、SEを極めた先には初めからなかったんです。

今は私の伸びしろは人間的な力。
コミュニケーション力であったり、人と楽しい場を作る力であったり、人の話を訊く力であったり。
そういったものを鍛えるためにも、フリーランスとして活動しています。

私があこがれた祖父のように、かっこいいおじいちゃんになるために。


今回も最後までご覧いただきありがとうございました٩( 'ω' )و

「小難しいことをわかりやすく面白く」をモットーに、色々な記事をマガジンに分けて投稿しています。
面白そうな記事があれば、フォローして次の記事をお待ちください('ω')

※画像はイメージです

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