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ユダヤ教の生け贄祭と京都 牛祭り、長野 御頭祭。籠神社と予言獣 くだん(件)と西宮市の牛女伝説。 小松左京著「くだんのはは」

こんにちは。

トリリンガル讃岐PRオフィサーのモリヨシナリです。

今回は、日本で見られる大陸系の祭りである京都の牛祭りと長野の御頭祭、予言獣 くだん(件)、そして宮津市 籠神社、真名井神社との関係です。

京都の牛祭りも長野の御頭祭も日本人からすると奇妙な祭りに見えますが、これは祭りの起源が大陸に由来するためです。

日本には紀元前2世紀ごろ徐福が2度に渡り秦から出雲と佐賀県(吉野ヶ里遺跡)に連れてきたユダヤ系の秦氏一族と紀元後、応神天皇の時代に弓月君が連れてきた秦氏の集団がいます。

その中でも紀元後に渡来して来た秦河勝は潤沢な資金力を活かして、平安京遷都に貢献し、京都太秦に広隆寺、大阪に四天王寺を創建した秦氏の族長的存在でした。それらの場所には”牛”との関わりを見ることができます。


🔹紀元前2世紀ごろ、徐福と共に出雲に渡来したユダヤ教系秦氏 → 徐福の息子のカゴヤマが宮津市 籠神社の宮司家 海部氏となった。徐福(=ホアカリ、ニギハヤヒ)の孫のアマノムラクモは初代ヤマト王権の大王。海部家出身の真名井御前が出家し修行したのが西宮市甲山近くの神呪寺。甲山周辺には半人半牛の予言獣 くだん(件)の伝承がある。宮津市倉梯山にくだん(件)が現れた記録も残る。

ちなみに徐福が2度目に渡来したときの子孫は物部氏となった。ヤマト王権は海王朝(初代大王は徐福の孫のアマノムラクモ)、磯城王朝、物部王朝と続いた。

・出雲口伝: 日本の成り立ち


🔹京都太秦周辺に居住していた秦氏一族が伝承している奇祭が大酒神社の牛祭り。マタラ神はミトラ神のことで殺牛信仰を持つ。その後、日本では殺牛信仰は禁止された。

🔹紀元前2世紀ごろ、出雲王国の8代目副王 八重波津身(ヤエハツミ)こと事代主が徐福の策略により、主王のヤチホコ(大国主)と同時期に暗殺された。事代主の息子 タケミナカタは母と共に新潟県の糸魚川地域に移り、その後、諏訪へと移動した。タケミナカタ一団は、諏訪で先住民のモリヤ族を説き伏せ諏訪一帯を支配した。御頭祭は、シカに頭75頭分を捧げる。祭りは、ユダヤ教のイサクの生け贄に由来する。タケミナカタ一団の中のユダヤ教秦氏と先住民のモリヤ族の信仰などが混ざって御頭祭が始まったのか、それともタケミナカタが来る前から住んでいたモリヤ族は失われた10支族の末裔で御頭祭を取り行っていたのか、或いは徐福の2回目の渡来の際に佐賀に着いたが、その時の子孫の物部氏が御頭祭を始めたのか引き続き継続調査必要。モリヤは、エルサレムの付近にあった地名。諏訪大社近くにモリヤ山がある。



・徐福、秦氏、安曇氏、物部氏、失われた十支族の英語と中国語の説明文






◼️燔祭(はんさい)

燔祭とは、ユダヤ教とキリスト教において生贄の動物(雄の牛・羊・やぎ、はとに限る)を祭壇で焼いて神に捧げる儀式のことである。

奉献された犠牲の動物は完全に祭壇で焼かれるため、特別に神聖な捧げ物とされ、その一部なりとも祭司なり奉献者の食用に供してはならない。

ヘブライ語では「オラー」と呼ばれる。『レビ記』においてモーセが定めたこの供犠は、後にヨーロッパに輸入され、ギリシャ語経由でホロコーストと訳されることとなった。

英語の旧約聖書レビ記1章9節では、「burnt offering」「burnt sacrifice」と記されているが、フランス語のレビ記1章9節ではHolocauste(ホロコースト)、イタリア語ではOlocausto、スペイン語ではHolocausto、ポルトガル語ではHolocaustoまたはOlocaustoと記されている。


◼️京都 太秦の牛祭り

太秦の牛祭(うしまつり)は京の三大奇祭の一つに挙げられる。

明治以前は旧暦9月12日の夜半、広隆寺の境内社であった大酒神社の祭りとして執り行われていた。

1877年(明治10年)に一度中断したが1887年(明治20年)に復興を遂げ、以来広隆寺の祭りとして新暦10月12日に行われるようになった。その後中断と復興を繰り返すようになり、2003年(平成15年)を最後に休止したままである。

『京太秦広隆寺大略縁起』によれば、三条天皇の御代、長和元年9月11日に比叡山の恵心僧都(源信)が声明念仏を行なっていたところ、仏法の守護神である摩多羅神から「この法会は末世まで絶やしてはならない」と夢のお告げがあり、恵心は翌日の12日に祭文を書き、摩多羅神の祭祀(「祭礼無双の儀式」と本文中では呼ばれる)を行った。その祭祀は、神主が牛に乗っているので「牛祭」と呼ばれるようになったという。祭文の意趣は、神明の威風によって年中の災禍を払い、天下を太平にし、君は長寿を得、民を安穏とするというものである、と説明される。

『都名所図会』によれば、毎年9月12日の夜、戊の刻に牛祭の神事があり、広隆寺の僧侶5人が五尊の形を表し、異形の面をかけ、風流の冠を着し、太刀を侃き、一人は幣を掲げて牛に乗り、4人は前後を囲み、従者は松明をふり立て、行列をなして本堂の傍から後ろにまわり、西側から祖師堂の前の檀上に登り祭文を読んだという。祭文の文法は古代のもので奇怪であったため、耳を驚かさない人はいなかったという。

🔹牛祭の映像








・秦河勝が建立した広隆寺。元は広隆寺内にあった大酒神社。

三柱鳥居がある木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ) 通称 蚕ノ社。



語ってはいけないが如く触れられないが、京都御所の鬼門の方角を護るのは出雲族を先祖とする鴨一族。その痕跡は出雲路、加茂街道、下鴨神社などの名称に残る。御所近くの鬼門には幸神社(さいのかみ)があり、サイノカミ信仰は出雲族の信仰。京都の鴨一族は奈良県御所市から移り住んできた。奈良には高鴨神社、葛城一言主神社、鴨都波神社など出雲族の痕跡、遺跡、古墳が多く残るが触れられない。




・出雲族の奈良での痕跡、遺跡、古墳



◼️四天王寺 牛王尊

秦河勝がスポンサーとして出資して建立された四天王寺。四天王寺の最重要箇所は鬼門にある牛王尊





●四天王寺 牛市 牛王尊
●神呪寺 牛市 真名井御前(籠神社宮司家)。甲山周辺にくだん(件)出現
●籠神社 牛市 倉梯山にくだん出現
●広隆寺 大酒神社 牛祭り
●秦河勝 秦氏 ユダヤ系 牛の生け贄祭


◼️大酒(大避)神社


主祭神: 秦始皇帝、弓月王(ゆんずのきみ)、秦酒公(はたのさけのきみ)


大避神社(兵庫県赤穂市)
「避ける」という字は昔は門構えの中にあり、大闢神社だったと言われる。


赤穂市の大避神社の祭神は秦河勝。赤穂浪士 - 大石内蔵助など元赤穂藩士47人の中に播磨秦氏の末裔とされる者がいる。


◼️殺牛信仰

かんむてんのう【桓武天皇】

国史大辞典

利歟」と歎じた。天皇は牛が殺されたり死んだりするのを特に恐れ、延暦十年・二十年に殺牛祭神の民間信仰を禁止したのもそれにもとづく。同二十四年十二月、参議の藤原緒嗣 ...



◼️ミトラ神 = マタラ神(摩多羅神)= 殺牛信仰


◼️木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)


元の祭神はホアカリ(徐福)


京都府宮津市の籠神社の宮司家 海部家の家系図の祖神はホアカリ(徐福)




◼️御頭祭。鹿の頭を捧げる(長野県諏訪大社)



◼️シカの頭を75頭、ウサギを串刺し…諏訪大社で行われる謎の奇祭「御頭祭」はユダヤ教と関係






◼️イサクの生け贄


イサクの燔祭(イサクのはんさい)は、旧約聖書の『創世記』22章1節から19節にかけて記述されているアブラハム逸話を指す概念であり、彼の前に立ちはだかった試練の物語である。

その試練とさ、不妊の妻サラとの間に年老いてからもうけた愛すべき一人息子イサク生贄に捧げるよう、彼が信じる神によって命じられるというものであった。この試練を乗り越えたことにより、アブラハムは模範的な信仰者としてユダヤ教徒キリスト教徒、並びにイスラム教徒によって讃えられている。


◼️ユダヤ人

(1) 古代イスラエル王国の建国(紀元前10世紀頃):ヤハウェ信仰を国教とし、カナンの地に成立した。
(2) ダビデ王時代の人口(紀元前1000年頃):古代イスラエル王国の推定人口(500万人)と、同時代の世界人口(5000万人)および日本列島の人口(10数万)
(3) 王国の分裂(紀元前930年頃):ソロモン王の死後、北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂した。
(4) 北イスラエル王国の滅亡(紀元前721年):アッシリアによる滅亡と、アッシリア捕囚、失われた十支族
(5) 南ユダ王国の滅亡(紀元前587年):エジプトの支配下から新バビロニアによる滅亡、バビロン捕囚に至る。この際に「ユダヤ人」という呼称が生まれた。
(6) バビロン捕囚からの帰還(紀元前539年):アケメネス朝ペルシアによる新バビロニア滅亡後、キュロス2世によってユダヤ人が解放され、エルサレムに帰還した。
(7) 自治国の復興:ペルシア帝国の支配下で、統一イスラエルの領域に自治国エフド・メディナタが復興された。
(8) バビロン残留民の繁栄:バビロンに残ったユダヤ人コミュニティがペルシアの直接統治下で繁栄し、重要な地位に就いた者がいた。




◼️諏訪大社 

主祭神:  タケミナカタ (事代主の息子、出雲から諏訪へ移動)


タケミナカタ:
出雲族、事代主の息子、父は暗殺された後、出雲から糸魚川地域を経て諏訪へ移動した。 その集団の中には徐福が秦から連れて来た秦族の者たちも含まれていた。秦氏は元々、ユダヤの血を引く。生け贄の風習を持っていた為、牛祭りや御頭祭を取り行った。





◼️洩矢神 モリヤの神


文献によっては守屋大臣(もりやだいじん)、守屋大明神、守矢神、守矢大神等とも呼ばれる。

諏訪大社に祀られている建御名方神(諏訪明神)の諏訪入りに抵抗した土着神とされ、のちに服従し、諏訪上社の神官の一つである神長官を務めてきた守矢氏の始祖となったという。一説によると当初は現在の静岡県方面から入植した部族と言われている。

守矢氏が祀るミシャグジと同一視されることもあり、山の神や氏神として信仰されたこともある。





◼️モリヤ 旧約聖書に登場する地名



モリヤ(英語:Moriah、ヘブライ語:מוריה)は旧約聖書に登場する地名。ヘブライ語で「ヤハウェが見る」という意味。

「モリヤ」という表記は新改訳聖書や新共同訳聖書にみられるもので、口語訳聖書では「モリア」となっている。

今日のエルサレムの付近にあったと言われている。




◼️ミシャグジ



◼️八坂刀売神


ニギハヤヒ(徐福=ホアカリ)と共に秦からきた渡来人の子孫




◼️紀元前2世紀、出雲族が奈良と長野へ移り住んだ理由と痕跡。 鴨都波遺跡、高鴨神社、諏訪大社、ダンノダイラの磐座、十二柱神社、鳥見山、出雲屋敷、富雄町、登美ヶ丘、等彌神社、蜘蛛塚ほか



◼️【出雲口伝】徐福到来から出雲族のヤマト葛城移住、第一次物部東征、ヒミコ時代の前までの概要まとめ



◼️予言獣 件 (くだん)

件(くだん)は、19世紀前半ごろから日本各地で知られる予言獣(妖怪)。

「件」(=人/にんべん+牛)の文字通り、半人半牛の姿をした妖怪として知られている。


倉橋山の件を描いた天保7年の文献 (瓦版とされるが、木板に刷られているのがうかがえる)。— 徳川林政史研究所蔵。


人間の顔に牛の体を持つ件(くだん)が、天保7年(1836年)、丹後国与謝郡「倉橋山」(現・京都府宮津市の倉梯山)に出現したと触れまわる当時の瓦版が現存する。


この件は、その先数年連続で豊作が続くと予言し、また、その絵図を張り置けば家内は繁盛し、厄も避けられると教示したという。




◼️件(くだん)が出現した倉梯山と籠神社



◼️【朝日新聞】西宮市の甲山に妖怪・たたりの巨岩?



【記事】兵庫県西宮市にある甲山の周辺では、かつて顔が牛で体が人の妖怪が出るとのうわさがあったとか。甲山の南西にある北山公園近くの県道には、動かすとたたりがあるとされる巨岩もあるそうです。連載の最後は、今も身近にある「都市伝説」の現場を訪ねました。

■うわさ生む 人々の不安

 JRさくら夙川駅の近くを通る県道大沢西宮線を同駅から北へ進むと、おわんを逆さにしたような山が見えます。標高309メートルの甲山です。ふもとには植物園などが整備され、市民の憩いの場にもなっています。

 「昔、甲山のあたりで顔が牛、体が人の妖怪を見た人がいるらしいよ」。怪談集「新耳袋 第一夜 現代百物語」(角川書店発行)の著者の一人、木原浩勝さんは尼崎市に住んでいた頃、甲山周辺に出向き、複数の人にこんな話を聞いたそうです。戦前や戦中にうわさされていたとみられるといいます。

 「日本沈没」などで知られるSF作家・小松左京は1968年、太平洋戦争中の芦屋の邸宅を舞台にした短編「くだんのはは」を発表しました。「とうとう見てしまったのね」――。衝撃的なクライマックスの小説は、これらのうわさを踏まえたのかもしれません。

 小説の題名にもなった妖怪は「件」。漢字で人に牛と書き、「くだん」と読みます。顔が人で体が牛とされ、甲山周辺でうわさになったという妖怪と反対ですが、半人半牛である点は同じ。どんな妖怪なのでしょうか。

 民俗学者の柳田国男が監修した「改訂綜合日本民俗語彙」は、「牛の子で人語を解するもの。生れて四、五日しか生きていない。多くは流行病や戰爭(せん・そう)の豫言(よ・げん)をする」と説明。園田学園女子大の大江篤教授(怪異学)も「疫病や災害、戦争などの予言をしたのちに死ぬといわれます。瓦版にその姿が描かれたこともあります」と言います。

 実際に甲山周辺に足を運びました。戦前や戦中の妖怪のうわさを知っている人は残念ながら見つけられませんでした。ただ、もう一つ、この地での不思議な話を知りました。

 県道大沢西宮線を北に向かうと、道路の真ん中に二つの巨大な岩があります。通称「夫婦岩」。一つの岩が二つに割れたような形で、こう呼ばれています。付近住民によると、岩の周辺で幽霊が出るとうわさされたこともあるといいます。この岩をわざわざ避けるように、車線が北行きと南行きに分かれています。

 道路を造った際に取り除けばよかったのに……。そう思って、近くに住む農業の男性(88)に聞くと「岩を動かしたり撤去したりするとたたりがあると聞いたことがある」と教えてくれました。災いを恐れ、この岩を残したのでしょうか。県道の整備を担当する県西宮土木事務所は「岩を撤去する予定はなかったが、その理由はわからない」としています。

 この岩をめぐっては、他にも怪談があるらしく、インターネット上でもいくつか見つかります。

 確かな話の出所があるわけではない怪談は、今も尽きません。なぜこうした話が人々に広がるのでしょうか。「うわさや都市伝説が生まれる背景には、人々の不安があります」。こう指摘するのは、新潟青陵大学大学院の碓井真史(ま・ふみ)教授(社会心理学)です。

 人は漠然とした不安に駆られると、不安の原因を説明できるような話に飛びつく。自分が不安になったことに納得するためで、さらに周りにも広めようとする。ただ、その真偽まではチェックしない――碓井教授は説明します。

 「科学技術が進歩しても都市伝説はなくならず、むしろ時代に合った話が生まれてきます。有名な『口裂け女』は、整形の技術が発達したことが背景にあったとみられます。ネット社会の今、こうした話はさらに広がりやすい時代になったと言えるでしょう」

 甲山周辺で妖怪のうわさが出たとされる戦前から戦中は、まさに不安の時代でした。不安が尽きない今の日本でも、怪談は続々と生まれていくのかもしれません。


◼️小松左京著 「くだんのはは」



◼️神呪寺 西宮市甲山町

宮津市の籠神社宮司家 海部家出身の真名井御前が修行した場所







◼️鷲林寺 西宮市


西宮市に伝わる“牛女”伝説とは?

西宮市に伝わる牛女伝説のひとつには以下のような話しかわある。

芦屋・西宮市一帯が空襲で壊滅したとき、ある牛の屠殺場(とさつじょう)も焼失した。

そこには座敷牢(ざしきろう)があり、中には牛頭の娘が閉じ込められていたという噂があったのだが、その焼け跡に“牛女”が現れたという。

そして、その事件を地元の新聞社が記事にしたらしい。

いわゆる“牛女”伝説の発祥は山手ではなく、西宮の市街にあった。。。




牛女伝説









◼️パワースポット 西宮市の越木岩神社



◼️出雲旧家の伝承「出雲散家の芸と大名」 サンカと忍者、山伏の正体。 サンカ出身の豊臣秀吉、斎藤道三、楠木正成、北条早雲、出雲の阿国。




モリヨシナリのプロフィール


ビジネス英語講師、全国通訳案内士 (英語・中国語)、海外ビジネスコンサルタント


神戸市生まれ、香川県育ち。米国大学経営学部留学マーケティング専攻。


職歴:

  • 大手エレクトロニクス企業にて海外営業職に20年間従事 (北京オフィス所長)

  • 香港、中国にて外資系商社設立に参画、副社長を経て顧問

海外滞在歴:

  • アメリカ: 2年

  • シンガポール: 2年

  • 中国: 12年

  • ベルギー: 1ヵ月

現在の活動:

  • Bizconsul Office 代表

  • ビジネス英語講師、全国通訳案内士 (英語・中国語)、海外ビジネスコンサルタント

  • 観光庁インバウンド研修認定講師

  • 四国遍路通訳ガイド協会 会員

  • トリリンガル讃岐PRオフィサー

保有資格:

  • 英語: 全国通訳案内士、英検1級、TOEIC L&R: 965点 (L満点)、TESOL (英語教授法)、国連英検A級、ビジネス英検A級

  • 中国語: 全国通訳案内士、香川せとうち地域通訳案内士、HSK6級

  • ツーリズム: 総合旅行業務取扱管理者、国内旅行業務取扱管理者、国内旅程管理主任者、せとうち島旅ガイド

メディア実績:

  • 香川県広報誌「THEかがわ」インタビュー記事掲載

  • 瀬戸内海放送 (KSB) ニュース番組コメント

  • 岡山放送 (OHK) ニュース番組コメント

研修/コンサルティング実績:

  • 観光庁インバウンド研修認定講師として登壇 (香川県善通寺市役所、愛媛県西予市宿泊施設、他)

  • 四国運輸局事業 (訪日外国人観光客向けレンタカー利用調査、アドベンチャーツーリズム他) コンサルタント

  • 香川県主催 瀬戸内国際芸術祭オフィシャルツアー公式ガイド

  • 香川せとうち地域通訳案内士インバウンド研修講師認定試験 面接官








以上



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【阿波忌部】令和大嘗祭 麁服調進③(木屋平三木家) 麻績式~麁服出発式。天皇が着るアラタエを作る人。


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