【讃岐秘話】阿波水軍・森家と直島・高原家に接点はあったのか?――豊臣秀長軍の四国攻めから探る
はじめに
直島の本村地区にある家プロジェクトの一つ「護王神社」のすぐ近くに、高原城跡がある。
この高原城は、戦国時代に直島を拠点とした高原氏の居城だった場所で、高原氏は豊臣秀吉軍に属していた。
・家プロジェクトが展開する直島本村地区にある高原城跡地



・高原城址の説明板

高原氏は、瀬戸内海の島嶼部を基盤とする海上勢力であった。特に高原次利は、1582年(天正10年)に豊臣秀吉との関係を深め、直島・男木島・女木島の三島、600石を安堵されたとされる。『直島町史』にも、秀吉の四国征伐と高原氏との関係について記述がある。
一方、この高原家と、私の先祖である阿波水軍 森家一族との間には、瀬戸内海を舞台とした戦国期の海上活動を通じて接点があった可能性が高く、現在、森家と高原家の具体的な関係については、関連史料を調査中である。
・直島・男木島・女木島を領地として高原家、鳴門 土佐泊城を拠点とし、淡路島、小豆島周辺で活動した阿波水軍 森家

・高原次利

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・大坂口御番所は、キリシタンの流入、徳島の特産品の藍の流出を取り締まっていた。踏絵石には十字架と宣教師らしき姿が彫られている。

豊臣政権と両家の軍事的役割
阿波水軍森家は、土佐泊を拠点として瀬戸内海・鳴門海峡周辺で活動した海上勢力である。
森家一族の中でも、土佐泊城主 森村春の弟・森村吉は仙石秀久の家臣となり、仙石秀久の軍事行動に従って讃岐・瀬戸内海方面で活動したとされる。











・高松藩森家 過去帳


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仙石秀久家臣 森村吉
仙石村吉については、1582年(天正10年)に仙石秀久の家臣となり、1583年(天正11年)には引田の戦いに参戦したことが記録されている。
これは、阿波水軍森家の一族が、仙石秀久の軍事行動を通じて阿波から讃岐・瀬戸内海方面へ活動範囲を広げていたことを示す。
この引田の戦いで、森村吉は長宗我部元親軍との激闘の中、次男 森権平久村を亡くした。久村の墓は東かがわ市伊座に現存する。

また、森志摩守村春は、1585年(天正13年)の豊臣秀吉による四国征伐において重要な役割を果たした。徳島市の公式資料は、村春について「秀吉軍の先導役をつとめ戦功があり」と記録している。
さらに、豊臣秀長の軍勢が淡路の福良港から阿波へ渡海した際には、土佐泊城主であった村春が秀長を土佐泊城に迎え入れ、四国平定の拠点として土佐泊を提供した。

・福良港と土佐泊

このことから、森家は単に阿波に居住する武士ではなく、瀬戸内海の海上交通と軍事に精通した水軍・船手勢力として、仙石秀久や豊臣秀長らの四国方面への軍事行動と関わったと考えられる。
一方、直島の高原氏も、直島・男木島・女木島を基盤とする海上勢力であり、1582年には豊臣秀吉から三島600石を安堵されたとされる。
高原氏もまた、豊臣政権による瀬戸内海地域の支配体制の中に組み込まれていった海上勢力として位置づけることができる。
広域海域ネットワークと両家の接点
森家と高原家の活動地域の間には、淡路・小豆島・備讃瀬戸という重要な海域が存在する。
1583~1585年頃、淡路を拠点とした仙石秀久は、四国方面への軍事行動に際して小豆島を海上交通上の拠点として利用したとされる。ただし、小豆島そのものを仙石秀久の領地だったとするのは正確ではない。
また、1585年には小豆島から水主(かこ)1300人が秀吉の雑賀一揆攻めに動員されたことが記録されている。これは、小豆島が豊臣政権の軍事・海運において重要な水主供給地であったことを示す。
このように、1580年代の瀬戸内海には、
淡路・仙石秀久
↓
小豆島・水主動員
↓
備讃瀬戸・直島高原家
↓
阿波・鳴門・土佐泊森家
という広域的な海域が存在していた。
もちろん、この図式は、これらの勢力が一つの組織として行動していたことを意味するものではない。
しかし、森家と高原家がそれぞれ阿波・鳴門と備讃瀬戸・直島という瀬戸内海の重要な海域を基盤として活動し、同じ時代に豊臣政権による四国・瀬戸内海地域の支配と海上動員の中に組み込まれていたことは重要である。
特に、仙石秀久の家臣として讃岐・瀬戸内海方面で活動した森村吉の存在は、阿波の森家と備讃瀬戸の海上勢力との接点を考える上で重要な調査対象となる。
さらに、瀬戸内海では軍事だけでなく、船舶・物資・人員の輸送など、さまざまな海上活動が行われていた。こうした活動を通じて、阿波・讃岐・備讃瀬戸・直島の海上勢力が接触した可能性は十分に考えられる。
また、文禄・慶長の役(朝鮮出兵)における瀬戸内海諸勢力の軍船・輸送動員についても、森家と高原家の関係を考える上で重要な調査対象となる。
こうした歴史的・地理的・人的条件を総合すると、阿波水軍森家と直島高原家が瀬戸内海の海上交通、軍事、輸送などを通じて何らかの接点を持っていた可能性は高いと考えられる。
阿波水軍森家と直島高原家の具体的な関係については現在、史料調査中である。
おわりに
阿波水軍森家と直島高原家を考える上で重要なのは、両家がともに瀬戸内海を活動舞台とする海上勢力であり、16世紀末の豊臣政権による四国・瀬戸内海地域の再編の中で、それぞれ豊臣政権と関係を持ったことである。
とりわけ、
森家――土佐泊・鳴門――小豆島・備讃瀬戸――直島――高原家
という海域のつながりに注目すると、両家は孤立した在地勢力ではなく、豊臣政権によって再編されていく瀬戸内海の海上交通・軍事・水主動員の広域的な歴史環境の中に位置していたと考えることができる。
さらに、森村吉が仙石秀久の家臣として讃岐・瀬戸内海方面で活動し、森志摩守村春が豊臣軍の四国征伐において先導役を務め、武功を挙げたことは、森家がこの時期の瀬戸内海において軍事・船手・先導に関わる重要な役割を担っていたことを示す材料である。
一方の高原家も、1582年に豊臣秀吉から直島・男木島・女木島の三島600石を安堵され、直島を中心とする海上勢力として豊臣政権の支配体制に組み込まれていった。
このように見ると、阿波水軍森家と直島高原家は、単に地理的に近い二つの家ではなく、1580年代の豊臣政権による瀬戸内海・四国の政治的・軍事的・海運的再編という共通の歴史的環境の中に存在していた。
両家の間に実際の人的・軍事的・海運上の直接的な接触があったかどうかについては、現在、調査中である。
今後は、『直島町史』に記載された高原氏の動向と、森家側の『阿淡藩翰譜』『阿波誌』、さらに仙石家関係史料、出石藩関係史料、旧家や船手関係の古文書などを照合していく必要がある。
対象となる時期も、1582年の備中高松城攻め、1583~1585年の仙石秀久による讃岐方面への軍事行動、1585年の豊臣秀長らによる四国征伐、さらに文禄・慶長の役における軍船・輸送動員まで、時系列で精密に検討する必要がある。
その過程で、阿波水軍森家と直島高原家を直接結びつける史料や記述を引き続き調査・検証していく。
【巻末資料】天正13年(1585)豊臣秀吉の四国征伐――豊臣秀長軍の阿波進攻ルートと戦いの流れ
天正13年(1585)、豊臣秀吉は長宗我部元親が支配する四国を制圧するため、大規模な四国征伐を開始した。
豊臣軍の総大将を務めたのは弟の豊臣秀長(羽柴秀長)である。秀長の主力軍は淡路島から阿波国へ渡海し、土佐泊に上陸した後、木津城、一宮城へと進撃した。
一方、讃岐方面からは宇喜多秀家・黒田孝高(官兵衛)・蜂須賀正勝らが進軍するなど、豊臣軍は複数の方面から長宗我部氏を圧迫した。
1.淡路島から阿波国への渡海
淡路島・福良への集結
四国征伐に際して、豊臣秀長を総大将とする主力軍は淡路島へ進出した。
秀長軍は淡路島南部の福良を渡海の拠点とし、ここから鳴門海峡を越えて阿波国へ向かった。
当時の豊臣軍は非常に大規模な軍勢であったが、兵力については史料によって数字に差があるため、「秀長3万人、秀次3万人、合計6万人」「800~900艘」といった数字を固定的に断定するよりも、「数万規模の大軍」と表現する方が適切である。
土佐泊への上陸
秀長を総大将とする主力軍は、淡路島の福良から鳴門海峡を渡り、阿波国東端の土佐泊へ上陸した。
土佐泊は現在の徳島県鳴門市にあたり、鳴門海峡に面した海上交通の要衝であった。
神戸大学所蔵の天正13年7月3日付「羽柴秀吉朱印状」の解題でも、秀長を総大将とする豊臣軍が福良から土佐泊へ渡海し、その後、阿波の木津城を攻略したことが確認できる。
この土佐泊への上陸は、豊臣軍による阿波侵攻の重要な出発点となった。
2.木津城の攻略――阿波侵攻の第一段階
土佐泊に上陸した秀長軍は、阿波東部の重要拠点であった木津城を攻撃した。
木津城は現在の徳島県鳴門市に位置し、鳴門海峡から阿波中央部へ進む際の重要な防衛拠点であった。
秀長軍は木津城を攻撃してこれを攻略し、阿波国内への進撃路を確保した。
木津城の攻略は、豊臣軍にとって単なる一城の攻略ではなく、土佐泊への上陸後、阿波の内部へ進撃するための橋頭堡を確保する意味を持っていたと考えることができる。
3.一宮城への進撃――阿波中央部の重要拠点を攻略
木津城を攻略した豊臣軍は、阿波中央部へ進撃した。
その主要な目標となったのが、徳島市にある一宮城である。
一宮城は阿波国の山間部を押さえる重要な山城で、長宗我部氏による阿波支配において重要な拠点となっていた。
豊臣軍は大軍をもって一宮城を包囲・攻撃した。
城を守っていたのは長宗我部氏の重臣である谷忠澄らであった。
豊臣軍の圧倒的な兵力を前にして籠城を続けることは困難となり、最終的に一宮城は開城した。
これによって豊臣軍は阿波中央部の重要拠点を確保し、長宗我部氏の阿波支配を大きく崩すことに成功した。
なお、一宮城の攻略について「水源を絶った工兵作戦」と単純化して断定するより、豊臣軍による大規模な包囲・攻撃によって開城に至ったと記述する方が史実に対して慎重である。

4.阿波西部への圧力――岩倉城・脇城など
秀長軍による東部・中央部からの進撃と並行して、豊臣軍は阿波各地に軍勢を展開した。
阿波西部では、岩倉城や脇城など長宗我部氏の支配を支える城郭も攻撃対象となった。
ここで重要なのは、これらの城をすべて「秀長本隊が攻略した」と理解しないことである。
豊臣軍は秀長の主力軍だけでなく、讃岐方面から進軍した宇喜多秀家・黒田孝高・蜂須賀正勝らの軍勢など、複数の部隊によって長宗我部氏を圧迫していた。
したがって、四国征伐の阿波攻略を理解する際には、
秀長の主力軍による東部・中央部からの進撃
と、
讃岐方面などから進出した豊臣軍の別働隊による西部への圧力
を区別することが重要である。
5.讃岐・伊予方面からの同時進攻
豊臣軍の四国征伐は、阿波だけで行われたものではなかった。
讃岐方面には宇喜多秀家・黒田孝高・蜂須賀正勝らの軍勢が進出した。
また伊予方面には毛利氏を中心とする軍勢が進軍した。
つまり、長宗我部元親は、
東方・阿波方面からの秀長軍
北方・讃岐方面からの豊臣軍
西方・伊予方面からの毛利系勢力
という複数方面からの圧力を受けることになった。
このような同時進攻によって、長宗我部氏は四国全域を維持することが極めて困難な状況に追い込まれた。
6.白地城と長宗我部元親の降伏
豊臣軍の進撃によって、長宗我部元親の本拠である阿波国西部の白地城にも圧力が及んだ。
最終的に元親は豊臣側との和議を受け入れた。
これによって長宗我部氏は、それまで支配していた四国の大部分を失うことになった。
豊臣秀吉による四国征伐の結果、長宗我部元親には土佐一国が安堵され、阿波・讃岐・伊予は豊臣政権の支配下に入った。
こうして、長宗我部氏による四国統一の試みは終わり、豊臣秀吉による四国支配が成立した。
7.四国征伐における阿波攻略ルートの整理
以上を整理すると、秀長を総大将とする豊臣軍の阿波攻略は、概ね次のように理解できる。
淡路島・福良
↓
鳴門海峡
↓
土佐泊
↓
木津城
↓
一宮城
↓
阿波中央部への進出
これと並行して、
讃岐方面
→ 宇喜多秀家・黒田孝高・蜂須賀正勝らが進軍
→ 阿波西部を含む長宗我部勢力を圧迫
さらに、
伊予方面
→ 毛利氏を中心とする豊臣方勢力が進軍
という三方面からの圧力が加わった。
その結果、長宗我部元親は豊臣秀吉との和議を受け入れ、土佐一国を安堵される代わりに、阿波・讃岐・伊予を失った。
8.土佐泊の森家に注目する意味
この四国征伐を考えるうえで、特に注目されるのが土佐泊の森家である。
徳島市立徳島城博物館の解説によれば、土佐泊を拠点とした森家は、天正13年の豊臣秀吉による四国征伐に際して豊臣軍の先導役を務めたとされ、その戦功によって蜂須賀家政から知行を与えられた。
これは、土佐泊が単なる豊臣軍の「上陸地点」だっただけではなく、阿波の海上交通・水軍勢力と豊臣軍の侵攻が直接結び付いた場所であったことを示す重要な事実である。
したがって、天正13年の四国征伐を、
淡路 → 鳴門海峡 → 土佐泊 → 木津城 → 一宮城
という軍事的進軍ルートだけでなく、
淡路・瀬戸内海の海上勢力 → 土佐泊の森家 → 豊臣軍の阿波侵攻
という海上交通・水軍勢力のネットワークから見ることもできる。
この視点は、天正13年の四国征伐と阿波水軍森家との関係を考察するうえで重要である。
プロフィール

森啓成(Yoshinari Mori)
Bizconsul Office代表
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企業・自治体のインバウンド支援と、個人の語学×キャリア支援を行う専門家。
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■事業領域
・TOEIC × キャリア戦略コーチング
・直島・瀬戸内 富裕層向け通訳ガイド
(全国通訳案内士〈英語・中国語〉)
・インバウンド戦略コンサルタント
(観光庁インバウンド研修認定講師)
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■経歴
米国大学経営学部でマーケティングを専攻。
大手エレクトロニクス企業で20年間、海外営業職に従事し、中国・北京オフィス所長を務める。
その後、外資系商社の設立に参画し、副社長を経て顧問に就任。
米国・シンガポール・中国で計16年間勤務・滞在し、海外ビジネスと異文化コミュニケーションの経験を積む。
現在は、これまでの海外ビジネス経験と語学力を生かし、TOEIC × キャリア戦略コーチ、企業・自治体へのインバウンド戦略コンサルタント、直島・豊島での富裕層向け通訳ガイドとして活動している。
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■ 資格
語学・教育
・全国通訳案内士(英語・中国語)
・英検1級
・TOEIC 970点(Listening満点)
・国連英検A級
・TESOL(英語教授法)
・HSK6級
・香川せとうち地域通訳案内士(中国語)
観光
・観光庁インバウンド研修認定講師
・総合旅行業務取扱管理者
・国内旅行業務取扱管理者
・国内旅程管理主任者
・せとうち島旅ガイド認定
(瀬戸内国際芸術祭2019公式ガイド)
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■ 所属
四国遍路通訳ガイド協会
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■ 登録
香川県登録通訳案内士サイト
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■座右の銘
雨垂れ石を穿つ
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■公式LINE
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以上
