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古墳時代に関する素朴な疑問。 古墳時代の讃岐の暮らし。 住居、服装、髪型、靴、支配層と被支配層、言語、渡来人との会話、寿命、讃岐の有力豪族など

こんにちは。

トリリンガル讃岐PRオフィサーのモリヨシナリです。

今回は、今から約1600年前となる古墳時代に関する素朴な疑問と古墳時代の讃岐の暮らしについてです。

ご参考ください。





各時代の年代

  • 旧石器時代: 約3万年前 - 紀元前1万3000年頃

  • 新石器時代: 紀元前1万3000年頃 - 紀元前1万年頃 (日本では縄文時代に包含されることが多い)

  • 縄文時代: 紀元前1万3000年頃 - 紀元前300年頃

  • 弥生時代: 紀元前300年頃 - 3世紀頃

  • 古墳時代: 3世紀頃 - 6世紀末~7世紀初め頃

  • 飛鳥時代: 6世紀末~7世紀初め頃 - 710年

  • 奈良時代: 710年 - 794年

  • 平安時代: 794年 - 1185年(または1192年:鎌倉幕府成立)

  • 鎌倉時代: 1185年(または1192年) - 1333年

  • 室町時代: 1336年(または1338年:足利尊氏が征夷大将軍) - 1573年(織田信長による足利義昭追放)

  • 安土桃山時代: 1573年 - 1603年(徳川家康が征夷大将軍)

  • 江戸時代: 1603年 - 1868年(明治維新)

  • 明治時代: 1868年 - 1912年

  • 大正時代: 1912年 - 1926年

  • 昭和時代: 1926年 - 1989年

  • 平成時代: 1989年 - 2019年

  • 令和時代: 2019年 - 現在


・古墳時代



古墳時代に関する素朴な疑問と古墳時代の讃岐の暮らし


生活一般


Q: 古墳時代の住居は?


A: 古墳時代の住居は、竪穴式住居掘立柱建物の2種類が確認されています。

  • 竪穴式住居(たてあなしきじゅうきょ): 地面を数十センチから1メートルほど掘りくぼめ、その中に柱を立てて屋根を葺いた住居です。縄文時代から続く一般的な住居形式でしたが、古墳時代にも引き続き使われました。特に庶民の住居として多かったと考えられています。

  • 掘立柱建物(ほったてばしらたてもの): 地面に直接柱を立て、その上に梁や屋根を組んだ、地上式の建物です。古墳時代になると次第に増え始め、豪族の住居や倉庫など、より大型で高床式の建物も見られるようになります。

このように、古墳時代には竪穴住居と掘立柱建物が併用されていたと理解されています。身分や用途によって住み分けがあったと考えられています。





Q: 古墳時代の支配層と被支配層は?


A: 古墳時代の支配層は豪族、支配される側は主に農民でした。


Q: 古墳時代の生活は苦しかったか?

  • A: 現代と比較すると厳しいものでした。農業への依存、過酷な労働、衛生環境の悪さ、短い平均寿命、支配層からの収奪などがありました。ただし、地域や身分によって差がありました。


Q: 寒い冬はどうしたか?

  • A: 住居の断熱(壁の隙間を塞ぐ、茅葺屋根)、火の使用(暖房と煮炊き)、重ね着(麻や絹、毛皮)、貯蔵食料、集団で身を寄せ合うなどの方法で寒さをしのぎました。


Q: 何を食べていたか?

  • A: 主食は米を中心とした穀物(麦、粟、稗など)。副食として野菜・山菜・木の実、魚介類(瀬戸内海に面した讃岐では重要)、狩猟による獣肉(貴重品)などを摂取していました。


Q: 平均寿命は?

  • A: 現代と比較して非常に短く、一般的に20代後半から30代程度と考えられています。乳幼児の死亡率が高く、栄養状態や衛生環境も影響しました。




Q: 集団生活か?

  • A: 農耕を行う上で集団での協力は不可欠であり、集落内では相互扶助の精神に基づいた共同生活が行われていました。有力豪族を中心とした、より大きなまとまりも存在しました。


Q: 娯楽はあったか?

  • A: 祭りや儀式、狩猟や漁撈、相撲、音楽や歌、双六のような遊戯具など、様々な形の娯楽があったと考えられます。


社会構造・人間関係


Q: 農民が武士となり豪族となって農民を支配することはあったか?

  • A: その萌芽は見られるものの、まだ明確な形としては確立していませんでした。社会の支配構造は確立された豪族によるものでした。富を蓄積し武装する有力農民の出現は、後の武士成立の要素を含んでいました。


Q: 差別はあったか?

  • A: 身分や階層に基づく差別(豪族と農民など)は存在したと考えられます。有力豪族と中小豪族の間にも差がありました。渡来人に対する区別意識も存在した可能性があります。


Q: 人種差別はあったか?

  • A: 現代的な意味での人種差別という概念があったかは断定できませんが、渡来人に対する区別意識や、文化的な違いに基づく優劣意識のようなものは存在した可能性があります。


Q: 奴隷はいたか?

  • A: 奴隷は存在したと考えられます。捕虜、刑罰を受けた者、貧困のために身売りをした者などが奴隷となり、豪族の私有財産として過酷な労働を強いられました。


Q: 夜の営みはまる聞こえだったか?

  • A: 農民の住居は壁で完全に仕切られた個室がある構造ではなかったため、生活音は周囲に聞こえやすかった可能性が高いです。プライバシーの概念は現代とは異なりました。


Q: 一夫多妻か?

  • A: 豪族層においては一夫多妻制が見られましたが、一般の農民においては一夫一妻が基本であったと考えられます。


Q: 結婚の概念はあったか?

  • A: 男女が結びつき、家族を形成するという結婚の概念は存在していました。ただし、現代のような自由恋愛に基づく結婚というよりは、家と家との結びつきや集団の維持が重視されたと考えられます。


Q: 争いの調停はどうしたか?

  • A: 有力者の仲介、慣習や規範に基づく解決、神判、武力による解決などが行われたと考えられます。


文化・技術

Q: 何語を話したか?渡来人との会話はどうしたか?

  • A: 上代日本語を話していました。渡来人との会話は、共通語の可能性、通訳の存在、身振り手振りや絵、相互の言語習得などを通じて行われたと考えられます。

古墳時代、渡来人との会話は、言語が異なるため、下記のように様々な工夫を凝らして行われました。

1. 非言語的なコミュニケーション:

  • 身振り手振り(ジェスチャー): 言葉が通じない相手に対して、手や体全体を使ったジェスチャーは、最も直接的で基本的なコミュニケーション手段でした。具体的な物や動作を示す際に有効だったと考えられます。

  • 表情: 喜び、悲しみ、怒りなど、基本的な感情は表情を通じてある程度伝わったでしょう。

  • 絵や図: 土や地面に簡単な絵や図を描いて、伝えたい内容を示すことも行われたと考えられます。特に、物の形や場所などを説明する際に役立ったでしょう。

2. 言語的なコミュニケーションの試み:

  • 共通の簡単な言葉(ピジン言語のようなもの): 長期的な交流や交易が行われる中で、お互いの言語から必要最低限の単語やフレーズを取り入れた、簡略化された共通の言葉が自然発生的に生まれた可能性があります。これは、意思疎通の効率を高めるための工夫です。

  • 通訳の存在: 特に、政治的な交渉や、高度な技術・知識の伝達など、重要な場面においては、渡来人の言語と当時の日本語(上代日本語)の両方を理解できる通訳が存在したと考えられます。これらの通訳は、渡来人の中に日本語をある程度習得した人や、その逆もいたかもしれません。

  • お互いの言語の習得: 時間の経過とともに、日本に長く滞在する渡来人は、日常生活に必要な日本語を少しずつ覚えていったでしょう。同様に、日本人の中にも、渡来人の言語を部分的に理解する人が現れた可能性はあります。

3. 文字の利用(限定的):

  • 漢字の利用: 5世紀頃から漢字が伝来し始めましたが、当初は主に知識層や記録の目的で用いられました。直接的な日常会話にはあまり役立ちませんでしたが、文字を通じて概念を伝える試みも一部で行われたかもしれません。ただし、当時の漢字の読み方は現代とは異なり、日本語の音に対応させるには工夫が必要でした。

古墳時代の渡来人との会話は、一つの方法に限定されたものではなく、状況に応じて様々な手段が組み合わされて行われたと考えられます。非言語的なコミュニケーションを基本としつつ、必要に応じて通訳を介したり、お互いの言語を部分的に習得したりする努力が見られたでしょう。漢字は補助的な役割を果たした可能性があります。言語の壁は存在しましたが、人々は知恵と工夫によってコミュニケーションを図っていたと考えられます。


弥生時代の日本語の音声


上代日本語会話



Q: 文字はあったか?

  • A: 文字はまだ一般には普及していませんでした。漢字が一部で使用されていましたが、読み書きできる人は限られていました。文字の有無は知能の高低を示すものではありません。


Q: 下着はあったか?

  • A: 現代のような明確な「下着」という概念はありませんでしたが、肌に直接触れる衣類がその役割を一部果たしていたと考えられます(麻など)。


Q: トイレはどうしたか?

  • A: 定まった「トイレ」という施設は一般的ではなく、屋外の特定の場所や簡素な設備が用いられたと考えられます。排泄物は肥料として利用された可能性もあります。


Q: 髪型、服装、靴は?

  • A: 男女ともに長く伸ばして結う髪型が一般的。服装は貫頭衣や筒袖の衣、女性は裳などを着用。基本は裸足で、簡素な履物も存在しましたが一般的ではありませんでした。身分が高い者は装飾的なものを着用しました。



古墳時代の庶民の服装、髪型、靴は?

服装:

  • 基本は貫頭衣(かんとうい): 頭を通す穴の開いた布を胴に通し、腰ひもで締めるシンプルなワンピースのような形の衣服が一般的でした。

  • 素材: 麻などの植物性の素材が使われていたと考えられます。

  • 男女の違い: 男女ともに基本的な形は同じでしたが、男性はズボンのようなものを穿いたり、女性は裳(も)というスカートのようなものを身につけたりすることもあったようです。

  • 寒さ対策: 冬など寒い時期には、重ね着をしたり、動物の皮を利用したりしていました。

髪型:

  • 男女ともに: 基本的には長く伸ばした髪を束ねるのが一般的でした。

  • 男性: 耳の横あたりで左右に分けて束ねる髪型(みずら)が多かったようです。身分によって結ぶ位置に違いがあったとする説もあります。

  • 女性: 頭の上の方で一つにまとめる髪型が多かったようです。

靴:

  • 基本は裸足: 日常生活では裸足で過ごすことが多かったと考えられます。

  • 履物: 皮や草などで作られた、サンダルのような簡素な履物も存在しましたが、一般的ではなかったかもしれません。




Q: 日本から大陸へ行く者はいたか?

  • A: 政治的な使節、留学僧、商人などがいました。倭の五王の時代には、盛んに中国に使節を派遣しています。


Q: 白人が日本へ来て住み着くことはあったか?

  • A: 古墳時代に、現代で言う「白人」が日本に渡来・定住したという証拠は現在のところありません。交流は主に東アジア地域との間で行われていました。


信仰・終焉

Q: 宗教はあったか?

  • A: 自然崇拝、祖霊崇拝を中心とした土着の信仰が存在していました。神話・伝承が語り継がれ、各地で様々な祭祀が行われていました。渡来文化の影響で仏教も徐々に伝わり始めましたが、まだ土着の信仰が中心でした。



Q: 自殺はあったか?

  • A: 直接的な記録は少ないですが、生活苦や精神的な苦悩、殉死などから、自殺が存在した可能性は考えられます。


讃岐との関連


Q: 古墳時代の讃岐において讃岐氏と綾氏、秦氏、忌部氏と明確に分かれていたか?対立していたか?讃岐氏がもっとも古い讃岐の土着民か?

  • A: 単純に明確に分かれていたとは言えません。それぞれの氏族は異なる特徴を持ちながらも、地域社会の中で相互に影響し合っていました。対立関係の直接的な記録は少ないものの、勢力拡大の過程で摩擦が生じた可能性は否定できません。讃岐氏は、他の渡来系氏族と比較すると早くから讃岐に土着し、地域社会の中心的な役割を担ってきたと言えるでしょう。


Q: 古墳時代に実在した根拠がある氏族は?綾氏、秦氏、讃岐氏、忌部氏以外の氏族はいたか?

  • A: 実在の根拠がある有力な氏族は、讃岐氏、綾氏、秦氏、忌部氏です。これら以外にも、記録には残っていないものの、各地に地域的な基盤を持つ小規模な豪族や集団が存在していたと考えられます。


Q: 讃岐氏と石清尾山古墳群は関係あるのか?根拠はあるか?

  • A: 直接的に「讃岐氏の墓である」と明記した古代の文献史料はありませんが、築造時期の合致、立地、地域独特の墳形、古墳の規模と副葬品などから、讃岐氏(讃岐国造家)と密接な関係があると考えられています。



Q: 現在の多くの香川県民の祖先は讃岐氏、綾氏、秦氏、讃岐忌部氏と言えるか?

  • A: これらの古代氏族は祖先の一部であることは間違いないと考えられますが、中世以降の様々な人々の移動や混血によって、現在の香川県民はより多様なルーツを持つに至っています。「多くの」という点で考えると、これらの古代氏族の子孫が一定数存在している可能性は高いですが、県民全体をこれらの氏族のみに限定することはできません。


Q: ゲノム解析の結果、四国は渡来人由来の比率が高い。香川県に先祖代々暮らしている人たちは渡来人の血が混ざっているか?

  • A: ゲノム解析の研究結果や歴史的な観点から考えると、香川県に先祖代々暮らしていると考えられる方々にも、渡来人の血が混ざっている可能性が高いと言えます。四国全体の傾向、弥生時代以降の移住、古代氏族のルーツなどが理由として挙げられます。


Q: 古墳時代、例えば朝鮮から現在の高松市に船でやってきて住み着くことは可能だったのか?許可が必要だったか?

  • A: 航海技術的には可能であり、当時の社会には現代のような厳格な入国許可制度は存在していなかったと考えられます。ただし、地域社会への適応や、有力者との関係構築は必要だったかもしれません。渡来人の存在を示す証拠からも、このような移動は実際に起こり得たと言えるでしょう。



香川県民のルーツ⁉︎ 古墳時代に讃岐に住んでいた人達。 讃岐忌部氏、綾氏、秦氏、讃岐氏の関係性と居住地。 ゲノム解析の結果、四国は渡来人由来の比率が高い事が判明




モリヨシナリのプロフィール


ビジネス英語講師、全国通訳案内士 (英語・中国語)、海外ビジネスコンサルタント


神戸市生まれ、香川県育ち。米国大学経営学部留学マーケティング専攻。


職歴:

  • 大手エレクトロニクス企業にて海外営業職に20年間従事 (北京オフィス所長)

  • 香港、中国にて外資系商社設立に参画、副社長を経て顧問

海外滞在歴:

  • アメリカ: 2年

  • シンガポール: 2年

  • 中国: 12年

  • ベルギー: 1ヵ月

現在の活動:

  • Bizconsul Office 代表

  • ビジネス英語講師、全国通訳案内士 (英語・中国語)、海外ビジネスコンサルタント

  • 観光庁インバウンド研修認定講師

  • 四国遍路通訳ガイド協会 会員

  • トリリンガル讃岐PRオフィサー

保有資格:

  • 英語: 全国通訳案内士、英検1級、TOEIC L&R: 965点 (L満点)、TESOL (英語教授法)、国連英検A級、ビジネス英検A級

  • 中国語: 全国通訳案内士、香川せとうち地域通訳案内士、HSK6級

  • ツーリズム: 総合旅行業務取扱管理者、国内旅行業務取扱管理者、国内旅程管理主任者、せとうち島旅ガイド

メディア実績:

  • 香川県広報誌「THEかがわ」インタビュー記事掲載

  • 瀬戸内海放送 (KSB) ニュース番組コメント

  • 岡山放送 (OHK) ニュース番組コメント

研修/コンサルティング実績:

  • 観光庁インバウンド研修認定講師として登壇 (香川県善通寺市役所、愛媛県西予市宿泊施設、他)

  • 四国運輸局事業 (訪日外国人観光客向けレンタカー利用調査、アドベンチャーツーリズム他) コンサルタント

  • 香川県主催 瀬戸内国際芸術祭オフィシャルツアー公式ガイド

  • 香川せとうち地域通訳案内士インバウンド研修講師認定試験 面接官


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