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香川県民のルーツ⁉︎ 古墳時代に讃岐に住んでいた人達。 讃岐忌部氏、綾氏、秦氏、讃岐氏の関係性と居住地。 ゲノム解析の結果、四国は渡来人由来の比率が高い事が判明

こんにちは。

トリリンガル讃岐PRオフィサーのモリヨシナリです。

今回は、古墳時代に香川県に住んでいた人たちについてです。

ご参考ください。









古墳時代、讃岐に住んでいた氏族は?



古墳時代、讃岐に住んでいたとされる氏族は、讃岐忌部氏、秦氏、綾氏、讃岐氏などです。

彼らの出自については、複数の説があり、一概に「どこから来たのか」「土着民か」と断言することは難しいのが現状ですが、考古学的証拠と文献史料、伝承などを総合的に考慮して考察していきます。

各時代の年代

  • 旧石器時代: 約3万年前 - 紀元前1万3000年頃

  • 新石器時代: 紀元前1万3000年頃 - 紀元前1万年頃 (日本では縄文時代に包含されることが多い)

  • 縄文時代: 紀元前1万3000年頃 - 紀元前300年頃

  • 弥生時代: 紀元前300年頃 - 3世紀頃

  • 古墳時代: 3世紀頃 - 6世紀末~7世紀初め頃

  • 飛鳥時代: 6世紀末~7世紀初め頃 - 710年

  • 奈良時代: 710年 - 794年

  • 平安時代: 794年 - 1185年(または1192年:鎌倉幕府成立)

  • 鎌倉時代: 1185年(または1192年) - 1333年

  • 室町時代: 1336年(または1338年:足利尊氏が征夷大将軍) - 1573年(織田信長による足利義昭追放)

  • 安土桃山時代: 1573年 - 1603年(徳川家康が征夷大将軍)

  • 江戸時代: 1603年 - 1868年(明治維新)

  • 明治時代: 1868年 - 1912年

  • 大正時代: 1912年 - 1926年

  • 昭和時代: 1926年 - 1989年

  • 平成時代: 1989年 - 2019年

  • 令和時代: 2019年 - 現在


古墳時代に関する素朴な疑問。 古墳時代の讃岐の暮らし



1. 讃岐忌部氏(さぬきいんべうじ)


出自:

讃岐忌部氏は、天太玉命(アメノフトダマノミコト)を祖とする忌部氏の一族と考えられています。忌部氏は、古代において神祇祭祀を司る有力な氏族であり、朝廷の祭祀に深く関わっていました。阿波国にも大きな勢力を持っており、讃岐忌部氏は阿波忌部氏との関連が深いと考えられています。讃岐忌部氏の直接の祖は、天照大神が天岩戸に隠れた際に御殿の造営に携わったとされる手置帆負命(タオキホオヒノミコト)とする伝承があります。

実在の根拠:

  • 『延喜式』: 平安時代に編纂された律令の細則である『延喜式』には、讃岐忌部氏が朝廷に麻などを貢納していた記録が残っています。これは、讃岐に忌部氏が居住し、一定の役割を担っていたことの有力な証拠です。

  • 神社伝承:

    • 大麻神社(善通寺市): 社伝によると、神武天皇の時代に讃岐忌部と阿波忌部が協力して麻を植え、讃岐平野を開拓したとされています。また、天太玉命を祀っており、忌部氏との関連が深いことが伺えます。

    • 粟井神社(観音寺市): 「当国の忌部等太玉命を阿波国より迎え来り因って祀り奉る」という社伝があり、阿波忌部氏との関係を示唆しています。

    • その他の神社: 讃岐各地の神社の中には、祭神や伝承に忌部氏との関連が見られるものがあります。

  • 地名: 三豊市豊中町笠田竹田には「忌部」の地名が残っており、この地域に忌部氏が居住していた可能性が高いと考えられます。この地は、矛竿の材料となる竹の産地であったとも言われています。

讃岐に来た年代:

具体的な年代を特定する史料は少ないですが、以下の点から推測できます。

  • 神武天皇の時代(伝承): 大麻神社の伝承によれば、紀元前7世紀頃には既に讃岐にいたとされています。ただし、これはあくまで伝承であり、史実と断定することはできません。

  • 古墳時代後期~飛鳥時代: 忌部氏が各地に活動範囲を広げ、中央の祭祀体制の変化や新たな技術の導入に伴い、讃岐にも進出した可能性があります。

  • 律令時代: 『延喜式』に貢納の記録があることから、少なくとも平安時代初期には讃岐に定着し、活動していたことがわかります。

阿波忌部氏との関連が深いことから、阿波忌部氏の活動範囲の拡大とともに、讃岐に進出した可能性が高いと考えられます。

拠点:

  • 三豊市豊中町笠田竹田(忌部): 地名が残っており、竹の採取などに関わっていた可能性があります。西讃地域における重要な拠点の一つと考えられます。

  • 善通寺市周辺(大麻神社): 大麻神社の存在は、この地域が讃岐忌部氏にとって重要な拠点であったことを示唆しています。麻の栽培や祭祀活動の中心地であった可能性があります。

  • 観音寺市周辺(粟井神社): 阿波忌部氏との繋がりを示す伝承があり、西讃地域におけるもう一つの拠点であったと考えられます。



阿波忌部氏と讃岐忌部氏の関係は?

  • 讃岐忌部氏の祖: 忌部氏は、神話に起源を持つとされる古代氏族で、天太玉命(アメノフトダマノミコト)を祖とすると考えられています。中央で祭祀を司る有力な氏族でしたが、その活動範囲が広がる中で各地に分派していきました。

  • 讃岐忌部氏の祖は、手置帆負命(タオキホオヒノミコト)とされています。この神は、天照大神が天岩戸に隠れた際に、御殿の造営に携わったとされる神です。

  • 阿波忌部氏が讃岐に来たのか? 阿波忌部氏が讃岐に来たという説は有力です。阿波国(現在の徳島県)と讃岐国(現在の香川県)は隣接しており、人の移動は比較的容易でした。讃岐各地の神社、特に大麻(おおさ)神社の社伝などには、神武天皇の時代に讃岐忌部と阿波忌部が協力して麻を植え、讃岐平野を開拓したという記述が見られます。

  • 活動領域の広がり: 穀や麻の栽培に優れていたとされる阿波忌部氏は、吉野川流域から猪ノ鼻峠を越えて讃岐平野に入植し、讃岐忌部氏と共に讃岐各地の開発に携わったと考えられています。観音寺市の粟井神社には、「当国の忌部等太玉命を阿波国より迎え来り因って祀り奉る」という社伝も残っています。

  • 共通の祖神: 讃岐忌部氏と阿波忌部氏は、それぞれ異なる祖神を持つものの(讃岐忌部は手置帆負命、阿波忌部は天日鷲命)、大元を辿れば天太玉命に繋がるとされています。これは、両氏族が比較的近い関係にあったことを示唆しています。

  • 讃岐忌部氏は、中央の忌部氏から分派し、阿波国を経由するなどして讃岐に定着した可能性が高いと言えます。特に阿波忌部氏との関係は深く、共に讃岐の開拓に貢献したと考えられています。

  • 讃岐忌部氏の活動: 讃岐忌部氏は、矛竿の材料である竹を求めて、現在の三豊市豊中町笠田竹田忌部の地に拠点を構え、西讃地方を開発したとされています。この活動時期は明確ではありませんが、大麻神社の伝承と合わせて考えると、比較的早い時期から阿波忌部氏との連携があった可能性が考えられます。

  • 観音寺市粟井神社の伝承: 観音寺市の粟井神社には、「当国の忌部等太玉命を阿波国より迎え来り因って祀り奉る」という社伝が残っています。この伝承も、阿波忌部氏が讃岐、特に西讃地域に進出したことを示唆しています。


讃岐忌部氏と土着民との関係

讃岐には縄文時代から弥生時代にかけての土着の文化があり、忌部氏が進出する以前から人々が生活していました。忌部氏は、土着の勢力と共存・融合しながら、讃岐の祭祀や文化に影響を与えていったと考えられます。


阿波忌部氏の拠点だった徳島県吉野川市と讃岐忌部氏の拠点だった香川県三豊市豊中町笠田竹田


・讃岐忌部氏の拠点だった香川県三豊市豊中町と大麻山の古墳。 忌部神社、麻部神社、粟井神社、大麻神社。 阿波忌部氏と協力して讃岐平野に麻を植えて開拓した。



讃岐忌部氏



2. 秦氏(はたうじ)


出自:

秦氏は、中国大陸からの渡来氏族であるとする説が有力です。弓月君(ゆづきのきみ)を祖とし、養蚕や機織りなどの高度な技術を持って日本に渡来し、各地で経済的な基盤を築きました。

実在の根拠:

  • 『日本書紀』『続日本紀』: 渡来系氏族としての記述が見られます。

  • 地名: 香川県香川郡に秦氏が居住していたと考えられています。また、綾歌郡の「綾」は秦氏と同族とされる綾氏に由来する可能性があり、この地域にも秦氏との関連が考えられます。

  • 『弘福寺領山田郡田に関わる文書』: 天平宝字7年(763年)の文書に、山田郡(現在の香川県北部)の郡司に秦公氏、秦氏が見られます。

讃岐に来た年代:

5世紀頃から渡来が本格化したと考えられており、讃岐にも比較的早い時期に渡来してきた可能性があります。飛鳥時代から奈良時代にかけて活動が活発になったと考えられます。

拠点:

  • 香川郡: 南海道沿いの中心部であり、秦氏の本拠地の一つと考えられています。

  • 山田郡: 8世紀には秦氏が郡司を務めていた記録があります。

  • 綾歌郡: 綾氏は秦氏と同族とされるため、この地域も秦氏の勢力範囲であった可能性があります。

  • 大内郡: 大内郡(現在の東かがわ市)にも秦氏が居住していたという伝承が残っている可能性があります(詳細な情報は調査中です)。


遺跡・古墳:

香川郡には古墳が多く存在するため、その中に秦氏に関わるものが含まれている可能性があります。

田村神社との関係:

讃岐国一宮である田村神社の社家、田村家は、秦氏の流れを汲むと伝えられています(『さぬき一宮郷土誌』)。これは、秦氏がこの地域で有力な勢力を持っていたことを示唆するものです。田村神社の祭神との関連や、秦氏が神社の創建や運営に関わった可能性などが考えられますが、詳細な経緯は今後の研究を待つ必要があります。


讃岐秦氏は、渡来系の技術をもって各地に定着し、養蚕や機織りなどで地域に貢献したと考えられます。香川郡や山田郡を中心に勢力を持ち、綾歌郡にも関連があった可能性があります。大内郡への居住も示唆されています。讃岐国一宮である田村神社の社家が秦氏の末裔と伝えることは、この氏族が古代讃岐において一定の勢力と影響力を持っていたことを示唆する重要な情報と言えるでしょう。


・讃岐秦氏の分布


・高松市ホームページ

坂田郷に住んでいた秦氏、綾氏


・坂田郷


・坂田郷 → 西ハゼ町、西春日町、峰山町など


・古墳が200基以上ある石清尾山古墳群と田村神社



【讃岐の渡来人の痕跡】ゲノム解析の結果、四国は渡来人由来の比率が高い事が判明!

石清尾山南麓の綾氏! 田村神社と秦氏! 屋嶋城と百済亡命者! 東かがわ市黒羽と原間古墳! 空海の母 渡来人 阿刀氏(物部氏)! 丸亀城石垣と穴太衆! 錦部刀良!


・ゲノム解析結果



3, 綾氏(あやうじ)



出自:

綾氏(あやうじ)は、一般的に秦氏(はたうじ)と同族、または非常に近しい関係を持つ渡来系氏族であると考えられています。「綾」という字は、秦氏が得意としたとされる絹織物の一種である「綾織(あやおり)」に由来するとする説が有力です。これは、綾氏が機織り、特に高級織物の生産に関わっていたことを示唆しています。

実在の根拠:

  • 地名: 最も強力な根拠は、香川県に阿野(あや)郡(あやぐん、現在の綾歌郡)という古代からの郡名が存在することです。この郡名は、綾氏がこの地域に大きな勢力を持ち、その支配領域であったことを直接的に示しています。

  • 『日本書紀』『続日本紀』: 綾氏単独での明確な記述は少ないかもしれませんが、秦氏に関連する記述の中に含まれています。


讃岐に来た年代:

秦氏の渡来が5世紀頃から本格化したと考えられていることから、綾氏も同時期、あるいはやや遅れて飛鳥時代から奈良時代にかけて讃岐、特に綾郡に定着し、勢力を築いたと考えられます。古代の郡名が現在まで残っていることは、比較的早い時期にこの地域に根を下ろしたことを示唆しています。

拠点:

阿野郡(あやぐん、現在の綾歌郡) が綾氏の中心的な拠点であったことは疑いありません。この地域で、機織りなどの生産活動を行い、地域社会を形成していたと考えられます。郡衙(郡の役所)が置かれていた可能性もあり、その跡が今後の調査で発見されるかもしれません。




・阿野郡




古代讃岐郡郷図




綾氏の初期活動:

  • 綾氏は、阿野郡一帯で活躍した古代豪族。秦氏と同族の渡来系と推測される。

  • 6世紀後半~7世紀前半、阿野郡(坂出市府中町)に巨石墳(新宮古墳、綾織塚など)を築造。

  • 7世紀後半(白鳳時代)、府中町に鴨廃寺・醍醐寺、高松市坂田に坂田廃寺を建立(同文の瓦が出土)。

  • 6世紀後半~7世紀前半には、阿野郡の支族が香川郡(高松市鬼無町)にも進出、巨石墳を築造。


地方官人としての発展:

  • 律令制導入後、7世紀後半に阿野郡の評督に任じられる。

  • 天武天皇期に朝臣の姓を賜るなど、郡司級豪族として発展。

  • 奈良時代後半には、一族を香川郡の大領に送り出すほど有力化。

  • 平安時代には、山田郡の大領にも綾氏一族が就任。


経済活動と中央進出:

  • 白鳳時代には、阿野郡の綾氏が瓦窯を綾南町陶に求め寺院建立に関与。陶では綾氏による私的な須恵器生産が先行していた可能性。

  • 在庁官人として国府留守所で活躍。

  • 荘園拡大、製塩業、漁業など「殖産興業」を活発に行い勢力拡大。

  • 平安後期には国雑掌として中央と讃岐を結ぶ物資運搬に従事し、中央の情報・技術・文化を導入。

  • 平安後期には陶地区の須恵器・瓦生産を管理し、都へ運搬。


武士化とその後:

  • 平安後期、藤原氏と関係を深め「讃岐藤原氏」を称するようになる(在地支配の強化策と推測)。

  • 阿野郡の郡司職世襲が武士化の基盤となる。

  • 瀬戸内海の海賊横行に対し、国検非違使や追捕使、押領使に任じられ武士化を促進。

  • 承平の乱の影響(讃岐国府の焼失)を受け、純友の乱鎮圧のための軍事力として組織化されたことが武士化の契機の一つ。

  • 鎌倉時代には讃岐武士団の中核となり、羽床氏、香西氏、大野氏など多くの氏族に分かれる。

このように、綾氏は古代の地方豪族から、経済力を背景に地方官人として発展し、瀬戸内海の治安情勢や中央の動乱を契機として武士へと姿を変え、中世の讃岐で大きな勢力を持つに至りました。





4, 讃岐氏


出自:

讃岐氏(さぬきうじ)は、古墳時代に讃岐国を統治した讃岐国造家(さぬきのくにのみやつこけ)の後裔です。そのルーツは、『先代旧事本紀』によれば崇神天皇の御世に初代讃岐国造に定められた武国凝別命(たけくにこりわけのみこと)、あるいは『日本書紀』系の伝承では景行天皇の子である神櫛皇子(かむくしのみこ)の系統に遡るとされています。

実在の根拠:

  • 『先代旧事本紀』国造本紀: 讃岐国造の系譜が記載されており、その存在が裏付けられます。

  • 『日本書紀』『続日本紀』: 讃岐国造や、その子孫が中央の政治に関わった記録が見られます。

  • 系譜: 讃岐氏の系譜が後世に伝えられています。

  • 姓の変遷:

    • 敏達天皇の時代に国造の一族に「紗抜大押直(さぬきのおおしのあたい)」の姓が与えられます。

    • 庚午年籍(670年)で「大押」を改めて「凡直(おおしのあたい)」となります。

    • 延暦10年(791年)、凡直千継(おおしのちつぐ)の時に「讃岐公(さぬきのきみ)」へと改姓され、これが「讃岐氏」の成立と見なされます。

    • 平安時代には「讃岐朝臣(さぬきのあそん)」に改姓しています。

  • 『延喜式』: 讃岐氏が朝廷に貢物をしていた記録などが残っています。

  • 子孫の繁栄: 寒川氏、植田氏、三木氏、十河氏など、讃岐氏から多くの庶家が分かれ、中世以降も讃岐で勢力を持ったことが知られています。


讃岐に来た年代:

讃岐国造家自体は、初代国造が定められたとされる時期(伝承により崇神天皇または応神天皇の時代)から存在しており、古墳時代前期(3世紀末~4世紀頃)には讃岐における有力な勢力として確立していたと考えられます。讃岐氏という氏族名が確立したのは8世紀末ですが、そのルーツはそれよりもはるかに古い時代に遡ります。


讃岐氏は、古墳時代から讃岐国を統治した讃岐国造家を祖とする、由緒ある在地豪族です。そのルーツは古代に遡り、姓を変えながら讃岐国で大きな影響力を持ち続けました。


讃岐氏(讃岐国造家)と石清尾山古墳群の関係は?

石清尾山古墳群と讃岐氏の関係性:

  • 築造時期: 石清尾山古墳群の主要な古墳は、古墳時代前期(3世紀~5世紀)に築造されました。この時期は、讃岐国造家が讃岐における勢力を確立しつつあった時期と重なります。

  • 立地: 石清尾山は高松平野を一望できる場所に位置しており、初期の讃岐を支配した有力者の墳墓群としてふさわしい場所です。

  • 特徴的な墳形: 石清尾山古墳群には、全国的にも珍しい双方中円墳や積石塚が多く見られます。これは、畿内とは異なる独自の文化を持つ勢力が存在したことを示唆しており、讃岐国造家がその中心的な担い手であったと考えられています。

  • 規模と内容: 大型の前方後円墳や、豊富な副葬品が出土した古墳も存在し、被葬者の高い地位を示しています。これらの被葬者は、讃岐を統治した讃岐国造家の祖先や、それに連なる有力者であった可能性が高いです。

  • 石清尾山の南麓は坂田郷と呼ばれており、『日本霊異記』には、この地に住む綾氏の富豪に関する説話が残っています。綾氏は渡来系の有力氏族であり、讃岐国造の支配下で一定の役割を担っていたと考えられます。このように、古墳群の麓に有力氏族が居住していたことも、讃岐氏との関連を示唆する間接的な根拠となります。


石清尾山古墳群は、古墳時代前期の讃岐において強大な力を持っていた勢力の墳墓群であり、その築造時期や特徴から、讃岐国造家(讃岐氏)と密接な関係があると考えられています。この古墳群は、讃岐氏が古代讃岐における政治・軍事的な中心勢力であったことを示す重要な証拠の一つと言えるでしょう。







縄文、弥生時代から讃岐に実在した氏族はいたか?

縄文時代や弥生時代に「氏族」という明確な社会組織が存在したかどうかについては、議論の余地があります。当時の社会構造は、血縁に基づいた集団であったと考えられますが、後世の律令国家におけるような明確な「氏」を持つ集団とは異なる可能性があります。

しかし、考古学的な証拠から、縄文時代から弥生時代にかけて、讃岐の地に継続的に人々が生活し、独自の文化を育んでいたことは明らかです。これらの人々が、後の時代に繋がる氏族の祖先となった可能性は十分に考えられます。

縄文時代(紀元前13000年頃~紀元前300年頃)

  • 生活の痕跡: 洞窟遺跡(例:女木島洞窟)、貝塚(例:高松市香西)、集落跡など、県内各地で縄文時代の生活の痕跡が発見されています。これらの遺跡からは、当時の人々の生活様式や文化を知ることができますが、特定の「氏族」を特定する直接的な証拠は見つかっていません。

  • 集団の存在: 小規模な血縁集団が各地に存在し、狩猟・採集を中心とした生活を営んでいたと考えられます。


弥生時代(紀元前300年頃~3世紀頃)

  • 水稲耕作の開始: 大陸から水稲耕作の技術が伝わり、定住生活が本格化しました。集落の規模が拡大し、社会的な階層化の萌芽が見られるようになります。

  • 遺跡の増加: 灌漑施設の跡や、防御的な環濠集落(例:高松市新開遺跡)などが発見されており、集団間の関係や社会構造の変化が示唆されます。

  • 倭人伝の記述: 弥生時代後期には、中国の史書『魏志倭人伝』に倭の国の様子が記述されており、地域ごとのまとまりがあったことが伺えますが、讃岐に特定の「氏族」名が記されているわけではありません。


弥生時代から古墳時代への連続性

弥生時代の社会的なまとまりが、古墳時代の豪族層の形成に繋がったと考えられています。讃岐においても、弥生時代の有力な集団が、後の讃岐国造家や、その他の在地豪族の祖先となった可能性は十分に考えられます。


縄文時代や弥生時代には、後世の「氏族」のような明確な社会組織が存在したとは断言できません。しかし、讃岐の地に継続的に生活していた人々が、血縁に基づいた集団を形成し、独自の文化を育んでいたことは考古学的に明らかです。これらの集団が、古墳時代以降に現れる讃岐国造家やその他の在地豪族の基盤となった可能性は十分に考えられます。

つまり、直接的に「〇〇氏」という名前を持つ集団が縄文・弥生時代に存在した証拠はありませんが、後の讃岐の氏族のルーツとなる人々は、この時代から讃岐に土着し、生活していたと言えるでしょう。


古墳時代の讃岐氏、綾氏、秦氏、忌部氏の関係性は?


古墳時代の讃岐における讃岐氏、綾氏、秦氏、忌部氏の状況は、単純に明確に分かれていたとは言えません。それぞれの氏族は、出自や活動領域、役割において異なる特徴を持っていましたが、地域社会の中で相互に影響し合いながら存在していました。対立関係についても、直接的な記述は少ないものの、勢力拡大の過程で摩擦が生じた可能性は否定できません。

各氏族の概略と関係性(古墳時代):

  • 讃岐氏(讃岐国造家):

    • 出自: 古墳時代に讃岐国を統治した国造の家系。神櫛皇子または武国凝別命を祖とする伝承があります。

    • 特徴: 讃岐における政治的・軍事的な中心であり、地域を統括する立場でした。

    • 関係性: 他の氏族を支配下におく、あるいは協力関係を結んでいたと考えられます。

  • 綾氏:

    • 出自: 秦氏と同族の渡来系氏族で、機織り、特に綾織の技術を持っていたとされます。

    • 特徴: 綾歌郡を中心に勢力を持ち、経済的な役割を担っていたと考えられます。

    • 関係性: 秦氏との繋がりが深く、渡来系の文化を共有していた可能性があります。讃岐氏の支配下で、特定の技術を提供することで共存していたと考えられます。

  • 秦氏:

    • 出自: 中国大陸からの渡来系氏族で、養蚕や機織りなどの技術を持っていました。

    • 特徴: 香川郡などに居住し、経済的な役割を担っていたと考えられます。

    • 関係性: 綾氏と同族であり、同様に讃岐氏の支配下で技術を提供していたと考えられます。

  • 忌部氏:

    • 出自: 天太玉命を祖とする古代の有力氏族で、神祇祭祀や祭具製作に関わりました。

    • 特徴: 阿波国との繋がりが深く、讃岐では主に祭祀に関わっていたと考えられます。

    • 関係性: 讃岐氏の祭祀を担うなど、協力関係にあった可能性があります。技術者集団としての側面も持ち、他の氏族とも技術的な交流があったかもしれません。

明確な分離と対立:

古墳時代においては、後の律令制度のように氏族ごとの役割が明確に定められていたわけではありません。しかし、それぞれの氏族が持つ得意な分野や勢力範囲は異なっており、ある程度の棲み分けは存在していたと考えられます。

対立関係については、直接的な史料は見当たりませんが、それぞれの氏族が地域での影響力を強めようとする中で、摩擦や対立が生じた可能性は否定できません。特に、讃岐氏のような支配的な立場にあった氏族と、経済力を持つ渡来系氏族との間では、何らかの利害対立があったかもしれません。

讃岐氏の土着性:

讃岐氏(讃岐国造家)は、伝承によれば神櫛皇子や武国凝別命といった、より古い時代にルーツを持つとされており、古墳時代には既に讃岐における支配的な地位を確立していました。そのため、他の渡来系氏族と比較すると、より早くから讃岐に土着し、地域社会の中心的な役割を担ってきたと言えるでしょう。

ただし、「最も古い土着民」と断言することは難しいです。古墳時代以前にも、讃岐には先住の集団が存在していたと考えられます。讃岐氏は、それらの土着の基盤の上に、ヤマト王権との関係を築きながら勢力を拡大していったと考えられます。





モリヨシナリのプロフィール


ビジネス英語講師、全国通訳案内士 (英語・中国語)、海外ビジネスコンサルタント


神戸市生まれ、香川県育ち。米国大学経営学部留学マーケティング専攻。


職歴:

  • 大手エレクトロニクス企業にて海外営業職に20年間従事 (北京オフィス所長)

  • 香港、中国にて外資系商社設立に参画、副社長を経て顧問

海外滞在歴:

  • アメリカ: 2年

  • シンガポール: 2年

  • 中国: 12年

  • ベルギー: 1ヵ月

現在の活動:

  • Bizconsul Office 代表

  • ビジネス英語講師、全国通訳案内士 (英語・中国語)、海外ビジネスコンサルタント

  • 観光庁インバウンド研修認定講師

  • 四国遍路通訳ガイド協会 会員

  • トリリンガル讃岐PRオフィサー

保有資格:

  • 英語: 全国通訳案内士、英検1級、TOEIC L&R: 965点 (L満点)、TESOL (英語教授法)、国連英検A級、ビジネス英検A級

  • 中国語: 全国通訳案内士、香川せとうち地域通訳案内士、HSK6級

  • ツーリズム: 総合旅行業務取扱管理者、国内旅行業務取扱管理者、国内旅程管理主任者、せとうち島旅ガイド

メディア実績:

  • 香川県広報誌「THEかがわ」インタビュー記事掲載

  • 瀬戸内海放送 (KSB) ニュース番組コメント

  • 岡山放送 (OHK) ニュース番組コメント

研修/コンサルティング実績:

  • 観光庁インバウンド研修認定講師として登壇 (香川県善通寺市役所、愛媛県西予市宿泊施設、他)

  • 四国運輸局事業 (訪日外国人観光客向けレンタカー利用調査、アドベンチャーツーリズム他) コンサルタント

  • 香川県主催 瀬戸内国際芸術祭オフィシャルツアー公式ガイド

  • 香川せとうち地域通訳案内士インバウンド研修講師認定試験 面接官


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