ヒッピーに捧ぐ
彼が我が家にやってきたのは、
2009年5月のことだった。
彼とは、アビシニアンという種類の
猫のことだ。自分はその日まで、
猫や犬やペットとは全く無縁な生活を送ってきたが妻の要望で、猫と生活を共にすることになった。どちらかというと、猫は苦手だと思っていたが、猫と言うより、愛猫と表現せずにいられないようになるのに時間はかからず、
すぐに愛しくかけがえのない存在になった。
2009年5月といえば、
忌野清志郎が亡くなった年月だ。
夫婦ともども清志郎は大好きなアーティストなので何の迷いもなく愛猫に「清志郎」と名付けた。
日頃は、家族全員「キヨ」と呼んでいる。
キヨが我が家に来てくれた初日から、なかなかの
大騒動だった。外に出すつもりは全くなかったが
もしもの時のために鈴付きの首輪をつけた。
しかし、どうやら気に食わなかったらしく、
必死で手と口で外そうとし暴れ始めた。
おそらく放っておいたら、顎が外れるか、
呼吸困難になっていたかもしれないが、
妻が必死に首輪を切ることによって
事なきをえた。
気に食わないことには身を挺してでも
抵抗するのがキヨなのだ。
そのことを知った最初の出来事だった。
キヨが我が家に慣れてきた頃から、
どこからともなく視線を感じるようになった。
真正面からではない、
角から顔半分だけ出してこっちを見ている視線、
キヨがこっちを見ている。
徐々にわかってきたが、
それは「遊ぼう!」という合図なのだ。
かくれんぼ、だるまさんが転んだをよくやった。そして何より、ボール遊び。
時には自分の口でボールを運んできて、
ポトンと落とし、叫ぶ「にゃ~(遊んでよ)!」
反則級にかわいすぎるだろう!
そしてボールを投げると、どこであろうが
全速力で取りに行く。
ボールしか見てないものだから時に角に
思いっきり頭をぶつけたりすることもあり、
妻が「いつか脳震盪をおこす」と心配していた。それくらい全力で遊んでいたのだ。
そして、ほとんどの猫がそうだろうが病院に行くのを嫌がった。しかし嫌がり方が半端ではない。毎回キャリーに入れるのが、一苦労で、
キャリーを見ると同時にベットの下に隠れた。
一度キャリーに入れるのをあきらめ、
抱っこして車まで連れて行こうとしたのだが、
それがとんでもない判断ミスで、
エレベーターに乗った途端、自分の肩から頭まで登り、雄叫びに近い叫び声で吠え始めた!
それは、おそらく病院が嫌というより、
全く知らない外の世界へ連れて行かれる
恐怖心からくるものだったのだろう。
後にも先にも、あんな叫び声を聞いたのは、
あれきりだ。一階につくと同時にもう一度、
我が家の階に戻ったのだが、同乗者が
いなくてよかった、襲いかからんばかりの
剣幕で吠えていたから。
いつでもキヨはそうやって命がけで抵抗した、
自分が嫌なことに関しては。
そんなこんなしているうちに、
我が家は子供が2人生まれ、
猫も二匹増えた。総勢七人、ちょっとした大家族だ。わいわいがやがや楽しく10年以上経った頃大事件が起こった。
家のどこを探してもキヨがいない。
自分以外の(仕事中だった)家族総出で外に探しに行った所、一階で静かにうずくまっているのを
娘が見つけた。何と5階から落ちていたのだ。。
見た目の損傷はなかったが、ぐったりしていた。
自分は、その日夕方まで仕事で、なおかつ、
日曜だった。帰りの電車で、日曜の夜診てくれる動物病院を探し、帰宅してすぐキヨを
連れて行った。いろいろ検査した後、
院長らしき人から、
「もう少し早く来てくれたらねぇ」と
3回くらい言われた。
(来たくても来れなかったんだよ!)
「何か気になることありますか?」とも
何度か聞かれたが、
こちらが話そうとすると遮って自分の説明をしだす。なんか面倒くさいこと言われたら、
かなわんとでも思ってるのかな、
といった態度で最悪の印象だったが、
他に空いてる病院もなかなかないため、
何かあったときの同意書も書いて
預けることにした。
家に帰ってしばらくすると、その病院から
電話があった。キヨが暴れて点滴の管を
噛みちぎるため、療養できなく、
朝来たら亡くなってる可能性がある、
とのことだった。
こちらは署名して覚悟の上預けているのに、だ。
最後になるかもしれないので、
家族で過ごした方がいいのでは?という
提案ではなく、確認は取ったという責任逃れと
自信のなさしか感じない心無い言い草だった。
そのやり取りを横で聞いていた妻がブチギレ、
「今から返しにもらいに行きます!
命を預けているのです、
そちらには預けられません!」
と言うと、閉院時間のことを伝えてきて、
「できるだけ早く来てください」と言われた。
こちらも過剰な労働を強いるつもりはないが、
命がかかってる緊急事態なのだ。
あげく病院に向かってる途中にも
「まだ着きませんか?」などと急かす電話を
してきた。
もちろん心配してではない、
早く帰りたいからだ。
病院に着いてからもすったもんだあった上に、
連れて行こうとすると、
「この時間に空いてる所なんてありますかね~」
なんて上から言ってきた。
妻と必死で探したところ、何とか別の病院が
見つかり、診てもらえることになった。
応急処置として点滴をしてくれて(不思議と
その病院ではキヨはおとなしかった)、
それ以上の治療は当院ではできないことを
丁寧に説明してくれた上に、
最適な病院まで紹介してくれた。
同じ仕事をしているとは思えないくらいの
対応の差に驚くと共に感謝しかなかった。
その後紹介してくれた病院に通い、2ヶ月ほどで完治した!まさに奇跡の猫だと思った。
しかし生き延びたのは、
最初の病院でキヨが抵抗したのがきっかけだ。
身体が弱ってるのに、点滴を噛みちぎろうとするなんて。。
よほどその医院長が気に食わなかったのだろう、
そしてあんな所で死にたくなかったのだろう。
まさに命がけで抵抗することによって自分を守ったのだ、この時も。
5階から落ち、奇跡的に完全復活して今年で
5年、相変わらず元気で、17才の誕生日も
迎えた。結構長寿な方だが、まだまだ生きてくれる、20才までは生きてくれるだろう、
なんて何の根拠もなく楽観的に過ごしていた。
ただ今までになく甘えるようになったのが
気にはなっていたが、、
そのことをnoteに書いていた
4月の下旬頃だった、おしっこはトイレできちんとする子だったが、ベットでおもらしを
少量するようになり、血尿も混じっていたため
久しぶりに病院に連れて行った。
相変わらず、抵抗した(笑)。車の中でも、
待合室でも「ニャー!ニャー!」泣き止まない。毎回体温を測るのも一苦労。
3人がかりで身体を抑えつけないといけない
ほど。
しかし、診察の時点で体重が以前より1kg減っていると言われたのでなんだか嫌な予感がした。。
結果、膀胱癌で、肺に転移している可能性も
ある、ということだった。。
手術をしても完治は難しいとのことで、
あとは延命治療になる。
抗癌剤、そして痛み止め、それしか手段はない。すがるような気持ちで、薬に頼ることに決めた。
キヨの癌を告げられたその日、
家族全員で涙した。娘はタイマーズの
「デイドリーム・ビリーバー」を聴きながら
泣いていた。
しかし、その日以降も少量ずつだが、
おしっこは出ており、食欲もあった。
1週間後は体重は増えていたくらいだ。
しかし腎機能の数値が極端に低下していた。。
8日目くらいから、みんなと一緒の場所を
避けて、暗がりに行くようになった。
いつもは家族の誰かが必ずいるリビングで
悠々と過ごしているのに。。
癌がわかってからも毎晩、一緒に寝ていたのだが、その日は、キヨがぐったりしていたので、
無理に連れて来ず、一人で寝ることにした。
しかし、夜中目覚めた時、何と腕の中にいたのだキヨが。来てくれていたのだ。
しんどいだろうに。。涙があふれてきた。。
9日目になると、フラフラで、歩くのがやっとの
状態にまで衰弱しきっていった。。
見ていて辛くなったが、一番辛いのはキヨだ。
おしっこも出ず、何も食べることができなった。
10日目には、動けなくなった。窓辺で
ひなたぼっこをするのが大好きだったが、
身体が動かないので、上を眺めることしかできない。ほんの一週間前までは、ひょいひょいと軽く
ジャンプして窓辺に辿り着いていたのに。。
キヨを抱いて窓辺に上げ、一緒に眺めた、
キヨがいつも見ていた景色を。。
今はそんなことくらいしか出来ない。。
いつもキヨは何を思い、
外を眺めていたのだろう。。
キヨを抱きながらソファで寝そべっていると、
開口呼吸をし始めた。。緊急事態だ、
娘にキヨを抱いてもらい、病院へ飛ばした。
車の中で娘は、ずっとキヨに話しかけてくれていた、二人で涙しながら。。
病院に着いてからキャリーに簡単に入るのが
切ない。。暴れてくれよ。。キヨ。
食欲もなく、おしっこも出ない。
尿毒素が溜まってしまっている。
もって3日です、と言われた。
処置としては痛み止めと点滴くらいしかできず、痙攣が始まった時の坐薬をもらった。
早すぎる。。もっと早くに病院に連れて行かなかった自分が悪いのはわかっているが。。
さらにぐったりしてくるキヨ。
まだ生きてるうちに、と思ったわけではないが、キヨを入れた猫三匹含め、家族七人で写真を撮った、撮ったことなかったなってふと思ったから。
11日目の朝、キヨはもう意識がないかのようだった。前日から目を閉じてない。。
朝仕事に行くとき、呼びかけた「キヨ!」って。そしたらグッタリしていたのに
こっちを向いて反応してくれたのだ!
かすかな期待を抱き、仕事に向かった。。が、
仕事の休憩中、家族とのやり取りで、キヨが
息を引き取ったことを知った。
ある曲が鳴り止まなくなった、
RCサクセションの「ヒッピーに捧ぐ」。
お別れは突然やってきて
すぐに済んでしまった
いつものような なにげない朝は
知らん顔して僕を起こした
まだまだ一緒に暮らせるだろう、なんて勝手に思っていた。しかし、キヨは息を引き取った。。
引き取るなんて穏やかな書き方をしたが、
実際は穏やかではなかった。
亡くなる直前に、痙攣を起こし、身体から
様々なものを吐き出した、大量に。
最期まで尿毒素と戦い
自分の身体から追い出したのだ。
オシッコで出せないのなら口から出してやろうと
思ったのだろう、壮絶な、亡くなり方だ。
命は果ててしまったが、最期まで闘った、
そして負けなかった。
キヨらしい人生の幕の引き方だ。
最期までキヨはキヨだった。
その様子を娘が看取った。辛かったろうが、
とても大切な事を娘に授けて天国に
逝ったような気がする。
息子も帰宅後、ずっと涙を流し、
キヨに呼びかけながら、背中を撫でていた。
生まれて物心ついた時から、
キヨは、もう存在していたのだ、
その死を簡単に受け入れることなんてできない。
親しい、なんて言葉では収まりきれないほどの
近しく大切な生命体が、命を落とした時、
その悲しみの深さは、本当に密に接していた人にしかわからない。
そんな大切な生物を失った時、
一番嫌でこっちを苛立たせるのは、
【わかったような】言葉をかけてくるような人だ
同じような境遇になったことがある人だとしても
わかりあえるとは限らないのに。。
安易な言葉は、死が、そして生きていた
事実すら軽くなる。
前提として、残された者の悲しみは、
【わかるはずない、どんなにわかろうとしても】という認識で寄り添わないといけない、
関わろうとするなら。
それが節度、ということだと思う。
歌でも、死について歌った楽曲がたくさんある。
大切な生物との死に直面して、ピンとくる
歌ばかりではない、というよりほぼない。
本来、音楽なんて聴いていられる気分ではないのが前提なのだが。。
しかし、「ヒッピーに捧ぐ」は思いっきり
刺さった、鳴り止まなかった。
寄り添ってくれてるわけではない、
共感でもない、同化といったらいいだろうか。
そもそもこの曲自体、ヒッピーというあだ名の
マネージャーの急逝を受け、清志郎が、
そのやり場のなさを書いた曲だ。
寄り添う余裕なんてあるわけないし、
自分の思いもどうすればいいのか
わからない。そんな悲しみ、悔しさ、困惑、
やりきれなさ、もっと言えば
自分の魂の一部がもぎ取られたような感覚を
生々しく放っている。
清志郎のそんな心情があまりにも
切実に出ていて、真に迫っているのだ。
それは、この曲が収録されているアルバム
「シングルマン」全般にいえることだが。
清志郎がRCの頃、自身のラジオで、楽曲の人気投票を募っていた。その結果、ベスト3は不動といっていい、あの3曲「雨上がりの夜空に」
「スローバラード」、「トランジスタラジオ」で
その次にくる4位が、
「ヒッピーに捧ぐ」だったのだ。
それほどの人気曲にも関わらず、ライブでは、
数えるほどしか演らなかったらしい。
亡くなってしまったあの人に会いたい歌なら、
何度も歌うかもしれない。
しかし亡くなってしまった瞬間の、
悲しみという言葉では収まらない感情の歌
なんてそう何度も歌えるもんではない。
避けられないこととはいえ、できれば
経験したくないことだ、大切な人の死は。
歌で追体験なんてなおさらしたくないだろう。
それほど、リアルな曲なのだ
「ヒッピーに捧ぐ」は。
次の駅でぼくは降りてしまった
30分泣いた
涙をふいて 電車に乗りこんだ
遅刻してホールについた
ぼくらは歌い出した 君に聞こえるように
声を張り上げて
仕事の休憩中、電話で娘と「辛いな。。」と言って泣きあった。仕事帰りの電車でも泣いた。
キヨの顔が浮かんできただけで
涙が止まらなくなった。
キヨが癌になったことがわかった日から、
猫の葬儀を調べ始めた、まだ生きているのに、
という思いは当然あったが、綺麗事ばかり
言っていてもしょうがない。
調べるとすぐわかるが、ネットで検索するとすぐに出てくるのは、大抵仲介業者だ。
仲介業者に依頼するのは、嫌だった。
キヨの旅立ちをお願いするのは、キチンと自分達で選び、依頼したかった。
それで後悔するにしても仲介業者のせいに
するのではなく自分達で受け止めたかったから。
実際、葬儀を行ってくれた業者の方は
素晴らしかった。過剰すぎず事務的過ぎず、
自然に寄り添ってくれた。
娘曰く「何一つ嫌なことがなかった」。
そんな方が、空へ送り出してくれてよかった。
キヨも抵抗しなかっただろう、きっと。
不思議だったのは、
その日、朝から快晴だったにも関わらず、
キヨが棺に入り火葬が始まった途端
雨が降り始めた。それもポツリポツリではない。かなり激しく、あげくカミナリまで鳴り出した。キヨと家族全員の別れたくないという思いから
くる涙、そして悔しさを表すかのように。。
その荒れ模様の天候は「ヒッピーに捧ぐ」での
清志郎の終盤の叫びとも泣き声ともえる、まさに慟哭としかいいようのない声のようにも思えた。
そして骨上げの時に、その雨は止んだ!
それはキヨからの
「いつまでもメソメソするな!」という
メッセージだと思った。
亡くなる直前頃、キヨが愛おしくて、ネットで
アビシニアンのことを検索したら、
一番飼いにくい猫のアンケートで、
アビシニアンが、堂々の1位に選出されていた。
笑ってしまった、分かってないな~って。
どうせ投票した人のほとんどは実際飼っていなくて評判だけでなんとなく決めているのだろう。
一緒に暮らす前に、そんな記事を読んでなくてよかった。最高の出会いを逃していたかもしれないから。「ネットなんかより自分の感性を信じろ!
僕みたいなカッコよくて可愛い猫が他にいるか?」とキヨに言われたような気がした。
以前、ミュージシャンで俳優の石橋凌が、テレビで愛猫を紹介していた、その猫はアビシニアンで
2代目だと言っていた。
「だるまさんが転んだ、をやるんです」と
言っていた。嬉しくなったのは言うまでもない。
一年以上noteを毎日投稿している。
毎日投稿に少し疲れた、というわけではないが、
毎日投稿どうなんだろう?と思っていた時に、キヨのことがあった、そしてキヨが亡くなる前日辺りの投稿数が、ちょうど500記事目だった。
その時は書く気力もなく、毎日投稿を、
見直すのにいい機会かも?
とも思った。が、いやいやキヨのことを言い訳にしてはいけない。むしろ書き続けるべきだ。
さいわい、どうしても書けない時のための
ストックがいくつかあった。
それらを投稿することで難局を乗り切った。
一年以上続けているのだ、
もうちょっと頑張りたい。
空へ送り出してから、家族でキヨの思い出話を
いろいろ話している時、娘が言った
「過去形で言わんといて!」
そう、まだいるのだ、キヨは。
目には見えなくても。
キヨは最高にカッコよくて、可愛かった。
そして永遠に自分にとってのメンターだ。
空を引き裂いて 君がやってきて
僕らを救ってくれると言った。
検視官と市役所は 君が死んだなんていうのさ
明日また楽屋で会おう
新しいギターを見せてあげる

