バリキャリだった私が、休職して見つけた 子育ての景色|バリ島の知らなくていいコトvol.13
🏝️ バリ島の知らなくていいコト
こんにちは、marinです。
今回は、日本でフルタイム勤務をしていた頃を振り返りながら、
バリ島での今の暮らしとの違いや、心の変化について綴ります。
「キャリア命」で走り続けてきた私が、休職し、バリで暮らして気づいたこととは?
自己紹介はこちらです↓
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1. はじめに
「育休復帰は半年後。キャリアを止める気はない。」
子どもを産んでも、私はフルタイム勤務を続けました。
実績を出し、育休中も手を止めず、海外MBAにも挑戦。
母になっても、キャリアは諦めない。
そうやって走り続けてきた私が、ある日バリ島に移住して「休職」という選択をしました。
それは、ただのブレーキではありません。
“グローバルな視座”を育てる──私にとって、それもキャリアの一部でした。
今回のnoteは、キャリアにこだわり続けてきた私が、
なぜ今、仕事を手放し、家族との暮らしを選んだのか。
その理由と背景を、少しだけ振り返る記録です。
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2. キャリア命だった、あの頃
いわゆる“バリキャリ”だった私。今この言葉を自分で使うのはちょっと気恥ずかしいけれど…それくらい仕事に全力でした。
子どもを出産しても、半年以内に職場復帰。
それが“当然”のように思っていました。
独身の頃から、夜も週末もパソコンを開いて働く日々。
しかし、子どもができてからは時間のやりくりに苦労し、不器用な私はすべてを完璧にやろうとして、うまくいかず…。
それでも遅れを取り戻したくて、復帰直後に1年間の大型プロジェクトにも手を挙げました。
今思えば、「そりゃきついよね‥」と、昔の自分に声をかけたくなります。
授乳のために出張先で搾乳機と格闘した日々も、今では懐かしい思い出です。
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優先順位をつけたことで開けた道
子どもが生まれてからの私は、独身時代のように“全部を全力”では働けなくなりました。
でも、それは決してマイナスではなかった。
むしろ、「優先順位をつける力」を得たことで、結果を出せるようになったのです。
営業時代、以前はまんべんなく訪問していた得意先を、重点顧客に絞り、アプローチ方法も見直しました。
訪問の代わりに電話やメールも活用して、移動を最小限にし、面談の「質」にこだわることで、結果的に営業成績は全国1位に✨
従来のやり方を壊す時には反対の声もありましたが、「今ある時間で、何が一番大事か」を考える習慣は、キャリアにも人生にも大きな変化をもたらしました。
──「今ここにない未来は、自分で創る」
大好きなドラマ『リッチマン・プアウーマン』のこの言葉が、折れそうな時、何度も奮い立たせてくれました。
夫もそんな私の挑戦を理解し、1人目2人目ともに年単位の育休を取得。
支えてくれた夫に感謝しつつ、のちに私自身が休職して「支える側」に回ることになるとは、このときはまだ想像もしていませんでした。
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キャリア志向と、母の存在
なぜここまでキャリアにこだわってきたのか?
それは、母の影響です。
仕事を続けたかった母は、父の全国転勤に合わせて仕事を辞めざるを得なかった。
そんな母の姿を見て育った私は、自分の仕事をちゃんと持って生きていきたいと思っていました。
でも一方で、家庭にいてくれた母が与えてくれた時間も、大きな意味を持っていました。
髪を可愛く結ってくれたこと、話をたくさん聞いてくれたこと、学校行事に来てくれたこと──
どちらの母の姿にも、感謝しなければ。
そう強く思うようになったのは、休職してからです。
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海外MBAと、人生の転機
2人目の育休中、私は海外MBAに挑戦しました。
きっかけは、社長(外国人)とのランチ懇談会でのやりとりです。
私は日本が大好きで、日本を元気にしたいという思いから日系企業に入りました。
でもその場で社長は、「我が社は日本のためにあるのではなく、自社の利益のために動いている」ときっぱり。
至極真っ当な答えに、ショックを受けたのを覚えています。
そして、「日本で出世するだけなら英語は不要。でも、グローバルのリーダーを目指すなら、英語は必要だよ。」とのアドバイスも。
このとき、はっきりと感じました。
「今のままでは、通用しない」と。
当時、TOEICは500点台。
それでも、「どうせやるなら、英語もビジネスも一気に学ぼう」と決め、海外MBAへの挑戦を決意しました。
1人目の産休は、編み物をしたり、のんびり過ごしました。
でも心のどこかで「この時間、キャリアが止まってしまったのかも…」という焦りがあった。
だからこそ、2人目の産休では“あえてハードルの高い挑戦”を自分に課したのです。
もちろん、仕事復帰後は苦労の連続でした。
フルタイムで働きながら、夜はクタクタの状態でMBAの課題に向き合う毎日。
正直、今思えば──よくあんな日々を乗り越えていたなと思います💦
当初は「2人目が生まれたら時短かな」と思っていたけれど、夫から
「フルタイムでいけるでしょ。やってみてダメだったら時短にすれば?」と背中を押されました。
……おお、夫よ。
私だけでなく、自分まで巻き込むとは。笑
当然、家事育児のしわ寄せは彼にも。
それでも、あのときフルタイムを選んでよかったと思っています。
寝不足でピリピリしていた週もあったけれど、やり切ったことが、今の自信になっています。
そしてこの経験が、のちに「海外で暮らすという決断」を後押ししてくれました。
自分のキャリアにとっても、価値観にとっても、大きな転機になった時間でした。
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3. そして、バリ島へ
そんな私が、休職してバリ島に行くことを選びました。
周囲からは「え、仕事は?」「意外!」と驚かれ、
「夫の仕事に泣く泣くついて行ったの?」と、心配までされました。
夫は、私の両親からも少し心配されていました。
「娘のキャリアを潰してまで、海外に連れて行くのか」と。
今思えば、ちょっとかわいそうでしたね、夫。笑
でも私の中には、
「キャリアを大切にするからこそ、海外で暮らしたい」という想いがありました。
30代で絶対に海外に住みたい、と言い出したのも、実は私の方です。
グローバルでリーダーを目指したい。
日本の価値をもっと世界に伝えたい。
そのためには、今の私にとって海外での生活経験は不可欠だと思ったからです。
MBAでグローバルな教養を学んでも、
どこかに“見えない壁”がありました。
外国の人と自然に関わることが、どこかぎこちなくて、一歩を踏み出せない自分がいたのです。
夫婦で切磋琢磨するなかで、先に海外でのチャンスを掴んだのは夫。
正直、悔しさもありました。
でもそれ以上に、心から感謝しています。
そして今。
思いがけないトラブルの連続に立ち向かいながら、異国の文化に触れ、日本を見つめ直す日々。
初めての海外生活を実現し、日々成長して、自分の中の「世界の見方」が変わっていくのを感じています。
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「育ての母」として、積み重ねる時間
母が私にしてくれたように、今の私は、わが子に「育ての母」としての時間を注いでいます。
もちろん、私は産みの母でもありますが、
これまでは「ただそれだけの母」だったのかもしれないと、ふと思うのです。
今では、毎朝娘の髪をゆっくり結ってあげることができます。
インターナショナルスクールのすべての行事に参加し、子どもたちの表情や成長を間近で見られる。
かつて私の母が与えてくれた愛情を、今度は私が子どもたちに伝えられているのかなぁと、しみじみ思います。
肌のケアやネイルなど、自分を大切にする時間もできました。
以前は見過ごしていた“自分磨き”にも向き合えるようになっています。
以前は「パパと寝たい」と言っていた子どもたちが、今では「ママと寝たい」と言ってくれる。
それが、ただただ嬉しい。
それを嬉しいと思うようになった、自分の変化も実感します。
もちろん、育児はしんどいことも多いし、仕事が恋しい日もあります。
今後またバリキャリ生活が再開するタイミングがあるかもしれない。
でも、休職して得られたこの1年の“特別な日常”は、何にも代えがたい宝物です。
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4. おわりに
「バリキャリ」が子育てにシフトしたら、
意外にも、仕事への執着よりも
家族との時間にこそ、大きな喜びがあることに気づきました。
でもそれは、
この海外移住という選択が、
私のキャリアを“止める”ことではなく、
“豊かにする”と信じているから。
キャリアのポートフォリオを広げるという、
私なりの選択と挑戦を、大切にしています。
これからも、
自分らしい働き方と生き方を模索しながら、
家族とともに、ゆっくりでも一歩ずつ、
前に進んでいきたいと思います。
あの頃の私が思い描いていた「未来」とは、少し違うかもしれない。
でも、今ここにある毎日も──なかなか、悪くないな。
そう思えるようになってきた今の自分を、
ちょっとだけ誇らしく感じています。

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この記事を読んでくださって、ありがとうございます🌸
これからも、「知らなくてもいいけれど、知ると少し優しくなれる」──
そんなことを少しずつ綴っていけたらと思っています。
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