日本語教師としての志(仮)
この記事は、『日本語教育 x Well-being』のパイオニアである雅さんと、「あなたの心に種をまく言葉のソムリエ」であるひろさんのプロジェクトに参加したものです。
ほんの10日ほど前に、
よしっ日本語教師としてやっていこう!
そう決めたばかりの私には、
まだ日本語教師として掲げる志がない。
それでも「いまの私」のままで、
志を考えて、ことばとして放ってみよう。
発起人の雅さんとひろさんの志に
そっと背中をおしてもらい
そんな気持ちになり、とりあえずのまま
言葉にしてみることにした。
まずは人生の志から。

こちらは2024年に北見俊則先生と一緒に
過去をさかのぼり見つけた私の志。
「こうあるべき」「フツウとは」そういうものに、自分で自分をがんじがらめに縛りつけては、悶々とすることの多い人生でした。自由に生きている人に勇気をもらったり、応援してくれる人の言葉にハッとして、
あ、そうだった。このままでいいんだった。
そんなふうに周りに人に気がつかせてもうことを繰り返してきた。
高校に入ったとき、
オーストラリアで暮らしていたとき、
子供を産んだとき、
英語を教えるようになったとき、
英語の仕事をやめると決めたとき
大きな節目にはよく、縛りつけられていることが多かった。大体その正体は、自分の思い込みなのだけれど。大事なことを始めるとき、大事なことに打ち込んでいるとき、自分らしくいることが難しいことが多かった。
だから、わたしは今もこれからも、自分自身も目の前にいる人も何かで縛りつけるということをしたくない。いろんなものから自由になってワクワクしたい。これからは、それを日本語教育でやっていきたい。
日本語教師として、これから挑戦したい1番大切な課題の一つは、「日本人と友だちになれない問題」だ。
3年前に札幌に引っ越してきた当初、大学で秘書として働いていた(とんでもなく向いてない仕事でした)。そのとき目にしたのは、研究室で孤立している留学生たち。
馴染めていない。浮いている。
言葉の壁?
いやそうじゃないみたい。だって、日本語を話せる人でも人間関係をうまく築けないでいるのだ。
留学生もそこにいる日本人も、双方いい人達なのに2つのグループは混ざらない。
なぜだろう…
日本語学校のクラスで盛り上がるトピック「どうやって日本人と仲良くなるか」「どこで日本人の友だちを見つけるか」
アルバイトをしている学生いわく、
みんな優しいし、いい人だけど「友だち」になれない。
日本人と友だちになりたいと切望し、みんなで知恵を絞って親しくなる方法を考えている姿に切なくなる。
なぜだろう…
日本語教師としてで最初に試したのは、会話の裏の意味を考える活動。
たとえば、誘いを断るときの日本語とその心
「今日はちょっと、、、」
「このあと用事が、、、」
言葉の使い方や、言い切らない心を説明すると学生たちは、面白がってロールプレイをして、すぐに言い回しを覚えることはできる。
でも何か違う。演じているようで、現実でないようで。
「Aと言われたら、Bといいましょう」という数式のような、「型」に縛られて出てきた言葉。
「日本人らしくコミュニケーションしよう」と押しつけていることに気がついたとき、むなしくなった。
こんなことを伝えたいんじゃない…私が目指すのは、
日本語学習者が「日本人らしさ」という型にしばられることなく、自分らしさを大切にしながら日本語で人とつながれるようにする
その方法は、まだ見つかっていない。意外なところから大きなヒントをもらった。
茶道教室の先生の言葉。
「一期一会」
「毎週お稽古で、皆さんでお茶を立てていただく。それでも1度として同じことなんてない。いまの自分、いまの相手、この場。すべて1度限り。一期一会。そう思ったら、ここに皆さんでいま共に過ごす時間が、とても有難いことだと思いませんか。」
日本語学習者が「日本人の型」に合わせようとしたり、合わせられなくて、孤立してしまうのと同じように、「日本語でのコミュニケーションはこうあるべき」という枠に縛られている日本人だっているのではないだろうか。
一期一会の心で、誰かと向き合うとき「〇〇人」という枠を考える必要はなくなる。その人らしく、その場にいることがかけがえのないことだから。
茶道で学んだ『一期一会』の精神。日本語学習者だけでなく、わたしを含めた日本人にも伝えたい。誰もが縛りつけられず、自分らしく生きられる世の中を、日本語教育を通して広げていく。
これが今わたしの日本語教師としての志です。
(仮)にもかかわらず最後まで読んでいただき、ありがとうございます。これを読んでいる日本語教育に携わっている方が「わたしも、志かいてみようかな」と思ってくれたら嬉しいです。
ぜひ、このプロジェクト一緒に楽しみませんか?
