名古屋は3度目、初めての夏【初日前半・ぴよりんと刀剣編】
あれは6月のこと。徳川美術館さんで開催されていた特別展示「時をかける名刀」の後期を見に行きたいなと思ってました。
それに合わせて名古屋観光もちょっとしようとは考えていたんですが、その時一緒にいた友人が「まだ名古屋行ったことなくて」と。
ならせっかくだしと、その場で宝善亭さんのコラボ会席を予約したのが全ての始まりでした。
酒の力って、こういう時助かりますよね。
しかも「友人と旅行」という行動は10年以上振りという。どんだけひとり旅に味を占めていたんでしょう。
でも誰かが一緒にいると、その場で感想を共有できるのが楽しいのも知ってます。美術展を一緒に巡ってくれる親、行った先の現地でタクシー相乗りさせてもらった初対面の方、チケットを譲ってくれて観劇させてくれたフォロワさん。
友人はnot審神者なのでブレーキかけつつ、人生初名古屋を楽しんでくれたらなの気持ちでプランを立てました。初日と2日目の2回に分けるつもりでしたが、書いてるうちに文字数がとんでもないことになったので、まずは初日前半を。
2025/8/17:名古屋初日前半
移動日(8/16)
睡眠と時間確認は大事
友人は飲食店の店長として働いてるので、移動は夜行バス。楽しみ半分と「うまくいきますように」の緊張半分で、1時間しか寝れず。遠足前にはしゃぐにしたって、もうちょっと寝れるよ。
昼間のシフトがショートであることに大感謝して、帰宅後すぐに荷造り。徳川美術館さんで大量買いするのを見越して、スーツケースを半面空けておきました。そして結果、グッズとお土産で見事ぱんぱんになりました。
駅で合流して終電に乗り込み、バスが出る横浜へ。
相鉄線で爆睡をかまし(友人本当にごめん)、出発まで少し時間あるけど一応確認しとくかと改めてメールチェック。
当日になって10分勘違いしていたことに気づきました。この流れ足利でもやったぞ?
友人に謝りながら説明して、若干迷いながらどうにかターミナルに到着。席は1番後ろで、車内の治安とか気にする間もなく睡眠極振り。
そういえば友人が超ラフな格好で来ており、「明日その服でまわるのかな」と不思議に思って聞いてみました。
「バスで寝るための服だよー」
とんでもない衝撃が走りました。確かにバス内でやることって睡眠だけだし、外に出るのもトイレ休憩だけだから着飾る必要性ない……!
私は夜行バス2度目、対して友人は数十回以上。なるほどこれが経験値。勉強になりました。
朝:ひとっ風呂からのぴよりん納め
昔ながらの銭湯へ
名古屋に着いたのは朝5時ごろ。
この時点ですでに暑い。むわっとした熱気を全身に浴びて洗礼を受けました。
名古屋の夏は地獄だぞとたくさん聞いてましたが、今がこれなら日中どうなるんだとうっすら気分が重くなる。
逃げるように駅構内のマックへ避難。アイスカフェラテを飲みながら、最初の目的地である「炭の湯ホテル」への道のりを確認。
朝6時半から銭湯がオープンしており、お店終わりで直行する友人にいいかもと思って組み込みました。
グーグル先生に教えてもらいながら行ってみると、すでに結構な行列が。ネカフェでシャワーを浴びるための部屋代や会員登録などの手間を考えると、入浴代530円+その他タオルなど含めても1000円以下で済むのはだいぶ楽だなと。
軽く身体を流してから湯船に、と思ったらシャワーが壁(導管?)に固定されているタイプ。どこを動かせばお湯が出てくるのか分からず、ひたすら動きそうな所を触りまくる。
シャワー下のスライド式レバー。ここでした。
今は押すと一定時間出るタイプが主流ですが、案外レバーの方が色々便利なんじゃないかとも。
でもたぶん節水の面では今のが最適だろうし、難しい選択……。
ぴよりんに一旦さよならを
今回のプランで、ぴよりんに関しては100%私の欲でねじこみました。
というのも、駅構内にあるぴよりんカフェが8月末に閉店というニュースを知り、これは行かないと後悔するぞと。
といっても、初めてぴよりんを食べたのは去年の5月なので、歴はだいぶ浅いです。でもしばらく会えなくなるのは何となく寂しいので、一旦お別れをしておきたくなりました。
さてホテルに荷物を預け、駅に戻って整理券をいざ発行。
7時20分くらいの時点で37組待ち。
すごいぞぴよりん。いっぱい愛されている。
私達の前に整理券を取ろうとした男性3人組が、その数字で諦めてました。
でもその時取るのが、結果1番早いんです。待ちます。
呼び出しサービス用のメアドを登録し、お土産の下見や観光バス「メーグル」1dayチケットの販売場所の確認などで構内をぐるぐるまわること1時間。
腹が、減った(某五郎さんの顔)
ふたりしてとんでもない空腹に襲われており、「いっそぴよりんカフェの隣にあるお店できしめん食べちゃう?」とか言いながら戻ってみたら、呼び出しまであと10組を切ってました。
なら待つかと、友人に刀剣乱舞をうっすら説明しながら待つことさらに20分ちょい。

写真の撮影時間が9時22分。ディズニーのアトラクション並の待ち時間でした。すごいぞぴよりん。
店内には、歴代の期間限定味に合わせた色や飾りをしたぴよりんの写真がずらり。
そして「ぴよりんができるまで」の映像も流れてます。名古屋コーチンを使用したプリンをババロアで包み、さらにそれを粉末状のスポンジで覆う。
そこにあの顔と羽がつくと、途端にカワイイ。
なかでも「表情づくり」は、ぴよりんらしさが決まる大事な仕上げ。目やくちばしの位置、トサカの角度などは、作り手が1ぴよ1ぴよバランスを見ながら丁寧に仕上げています(よく見ると、表情にも少しずつ違いがあるんです)。
1ぴよ1ぴよ、いい響き。
無事食べ納めをして、いよいよ徳川美術館に向かいます。
昼前半:徳川美術館で贅沢な時間を

徳川美術館さんに行くのはこれで2回目。初めて行った時に長義さん(本作長義)が展示されてるのを知らず、「いる!!?」となって思わず展示室を出たのが懐かしいです。いや同室で展示されてる甲冑と同じくらいのオーラが出てたんですって、本当に。
御供撮影もしました。この時の近侍はまんばさんです。

展示品は、美術館の所蔵品に限り撮影オッケーでした。普段の私ならバシバシ撮るんですが、それで友人を待たせるわけにもいかないので数品に絞りました。
第一部・刀装は、拵えや鍔といった刀剣に付属する装飾品中心の展示。絞りに絞ったのか、写真に撮ったのは一品のみという結果に。
青貝微塵塗大小拵


尾張徳川家14代慶勝の6男・安千代が所持していた脇差と短刀用の拵えで、当時の身体の大きさに合わせて小さく作られたそうです。
青や紫に光る螺鈿と金箔の輝きが格好いいなと思って撮りました。私が男児だったら、これもらった時すごい喜ぶに決まってる。
家族が自分のために、こんな立派なものを拵えてくれるんですよ。絶対一生大事にするって思うでしょうし、そうやって守られてきたからこそ、こうやって今の私達が見れている。ありがたいことです本当に。
とくびぐみの皆さんを見る
音声ガイドを聞きながら展示品をじっくり見つつ、いよいよ第二部・刀剣の展示場へ。今回で長義さんを見るのは3回目と歴代最多になりましたが、一緒に「とくびぐみ」と呼ばれている鯰尾藤四郎・南泉一文字・五月雨郷(ゲームでは五月雨江)・物吉貞宗・後藤藤四郎を見るのは初めてです。
はじめまして、本丸ではお世話になってます。
しっかり写真も撮った、と思ったらなんと五月雨さんだけ撮り忘れてました。なんてこった。
前期では足利で見たまんばさん(山姥切国広)が展示されていましたが、後期では東京国立博物館から三日月宗近(今回は撮影不可)がやってきてました。
三日月さんを見るのはこれで2回目なんですが、当時トーハクでやってた特別展に時間をがっつり割いてたのもあって、鑑賞時間5分という超短時間の鑑賞。実質初見です。
全然記憶がない。
理由は分かるんです。2振りの刀に頭を持っていかれたから。
なので次こそちゃんと鑑賞します。いつになるかは分かりませんが、とにかくその時はきちんと見ます。
刀 無銘 一文字 名物 南泉一文字

写真のために長居するわけにはいかないので、どれも全体図の1枚のみです。「刀の鑑賞は姿から」って、こんのすけの刀剣散歩で習った。
早速ですが、頭を持っていかれた刀です。
一文字の刀自体がはじめましてなんですが、「なんてきらびやかな刀なんだ……!」というのが第一印象。刃側の波のような部分を刃文と呼ぶんですが、ここが「華」という漢字そのもののように思えました。
慶長16年(1611)、豊臣秀頼が京都・二条城にて徳川家康と対面した際、家康に贈った刀です。室町将軍家に所蔵されていた時、刀に触れた猫が真っ二つになったという逸話と、中国・径山寺の禅僧・南泉普願が、猫を斬り堂衆に悟りを開かせた故事を重ねて「南泉」の名が付けられたと伝わっています。 備前国(岡山県)福岡一文字派の作とみられ、映りの鮮やかに現れた地鉄(じがね)に、華麗な大房の丁子乱れを焼いています。
すごい来歴でした。そこから尾張家へ譲られたとなれば、そりゃもう大事にしますよね。拵えも計7点とすごい衣装持ちです。
そんな南泉一文字の刀剣男士の姿がこちら。
そんな胸元とへそガバガバで大丈夫なんですかと、なぜかこっちが心配になってしまった。
脇指 銘 吉光 名物 鯰尾藤四郎

織田信雄の家老・岡田重孝を切った伝承がある脇指で、豊臣秀吉から豊臣秀頼へ継承された豊臣家の名刀です。大坂落城の際に本刀も火を被り、徳川家康のもと初代越前康継により再刃(さいは)されました。 藤四郎吉光は山城国(京都府)粟田口(あわたぐち)派の名工で、本刀の刃文も粟田口派の得意とした直刃(すぐは)調です。名は、長巻(ながまき、長い柄の太刀)を脇指に作り直した形が鯰の尾に似たことに由来しています。
刃先のふっくらとぅるんとなってる部分が、鯰の尾に似てるとされる部分です。この部分が「本当に鯰の尾と似てるのか」というテーマで、名古屋港水族館とコラボしたこともあるそうです。着眼点がすごい。
後期は東京国立博物館から、同じく岡田重孝を斬った伝承をもつ「岡田切」という刀(撮影不可)もやってきており、向かい合わせで展示されていました。といっても同時に使われたわけではなく、それぞれの刀に使われたという記録があるという不思議な状況。これに関するキャプションがいいなと思ったんですが、なんとちゃんと撮影してありました。えらいぞ、私。

展示室入り口にあった、展示全体におけるキャプションです。「事実かどうかは重要ではありません」と言い切ってるんですね。
もちろん全てにおいてそうだ、という訳ではないです。でも伝承によって受け継がれ、現代に名を残すものはいっぱいあります。
ヤマタノオロチを退治した後に尾っぽから出てきた草薙剣(天叢雲剣)も、それが事実かどうかなんて確認できなくても「そういうもの」として知れ渡り、熱田神宮にあるとされている。
自分の言ってることがきちんとつながってるか急に不安になってますが、「物語」を大事にしてきたいよねって。これがゲーム刀剣乱舞の軸である「物が語る故、物語」とリンクしてて、とても胸に染みました。
刀 銘 本作長義 天正十八年庚刁五月三日ニ九州日向住国広銘打 長尾新五郎平朝臣顕長所持 天正十四年七月廿一日 小田原参府之時従 屋形様被下置也

尾張徳川家3代徳川綱誠が延宝9年(1681)に買い上げた刀です。 長義は備前国(岡山県)長船(おさふね)派の刀工で、相州刀の特徴を取り入れた作風で知られています。本刀は身幅が広い豪壮な姿で、きめ細かな地鉄(じがね)に、箱形で焼き頭の揃った乱刃(みだれば)を焼いています。刀工・国広の銘により、本刀は下野国(栃木県)足利を本拠とした長尾顕長が北条家5代北条氏直から拝領したことが分かります。
本作長義以下58字略さん、3度目ですって。足利の時は撮影不可だったので、ようやく撮れたというのが1番の感想かもしれない。
南北朝ヤンキーソード、優美な刀と見る度に印象が変わっている刀ですが、今回はいわゆるホームでの展示ということでゆったりしてるなと感じました。気軽、といっちゃなんですが、程よくほぐれているというか。
私の方もだいぶ緊張が解けて、「また来ちゃいました~」くらいのテンションで見てました。いやちょっとフランクすぎるか。
刀剣乱舞がなかったら、刀剣を見ることにここまで一生懸命になってなかったと思います。もしかしたら、知ろうとすることもなかったかもしれない。改めて刀剣乱舞が自分の中で大きな軸になっていると実感しました。
短刀 銘 吉光 名物 後藤藤四郎

尾張徳川家2代徳川光友と3代将軍徳川家光の長女・千代姫との婚礼を祝して、家光より光友へ贈られた短刀です。名は家康の元で金座御金改役を務めた後藤庄三郎光次が所持していたことに由来します。 藤四郎吉光は山城国(京都府)粟田口(あわたぐち)派の名工です。本刀は吉光の作としては大振りで、刃文も直刃(すぐは)調の作例が多い中にあって乱刃(みだれば)を焼く異色の出来を示しており、高く評価されています。
ここまで来てすごく申し訳ないんですが、後藤くんだけぽっかり印象の記憶がないんです。ゲームのキャラが嫌いとかでもなく、本当に穴が開いていて。
ただなにかの雑誌(おそらく「京のかたな展」関連)で後藤くんについて書かれた記事は、鮮烈に覚えていて。
もしかすると、文章で後藤くんを「観た」気になっていたのかもしれません。
「そんなことある?」とこれ書きながら自分を疑ってるところがありますが、今のところ「そう」としか言えなくて。なので今、すごくミステリアスな存在になっています。なんかごめんね後藤くん。
そして隣に、同じく婚礼品として贈られた五月雨さんがいました。むしろなんでこの並びで撮り忘れたんだ。お詫びにもならないと思いますが、五月雨さんの紹介文も引用させてもらいます。
尾張徳川家2代徳川光友と3代将軍徳川家光の長女・千代姫との婚礼を祝して、家光より光友へ贈られた刀です。 郷(江)義弘は越中国(富山県)松倉郷(まつくらごう)に居住したと伝承される刀工で、江戸時代には正宗・吉光と並び珍重されました。本刀はきめ細かな地鉄(じがね)に地景(ちけい)が入り、刃文は直刃(すぐは)調の湾(のた)れに小乱(こみだれ)が交じり、足や砂流(すながし)など変化が多く現れています。
たぶん、たぶんですが、頭がまわってなかったのかもしれません。刀剣、刀剣、書物、刀剣、音声ガイド、刀剣、刀剣。フルスピードで情報をインプットしていたと思います。
後藤くんと五月雨さん、いつかリベンジすると誓います。
脇指 無銘 貞宗 名物 物吉貞宗

徳川家康の愛刀で、尾張徳川家初代徳川義直に譲られた脇指です。万事にわたり良い兆しになることを意味する「物吉」と名付けられ、尾張徳川家で最も重要な宝物として代々の当主に受け継がれました。 貞宗は相模国(神奈川県)の正宗の弟子で、名品を数多く作刀しました。本刀は身幅が広く反りもある堂々とした姿で、地鉄(じがね)は澄み、刃文は浅い湾(のた)れ調で激しくほつれる部分もあり、多様な変化を見せています。
全ての刀剣展示の中で、1番印象に残ったのが物吉くんです。そして持っていかれた刀でもあります。
唯一独立ケースで展示されていたんですが、「家宝」のオーラがとてつもない。
第一部の方で、物吉くんの拵えや刀袋といった一式が展示されており、一時期はこの刀を継承する儀式も行われていたというコラムもありました。
そして、ホテルで読んだ図録の一文。
(中略)家祖・家康の神威を借りて、家宝としての権威、ひいては尾張家当主の権威を一層高めることが求められていたのでしょう。
背負った歴史と物語の大きさに圧倒され、うっかり泣きそうになりました。
ゲームだと明るい性格ながら、歴史と人間を俯瞰して捉えるような回想があって。ミュージカルの方だと、ネタバレになるので明記は避けますが印象的なシーンがあって。(作品自体は未鑑賞ですが、バレを読んでいる)
そういった要素を集約した結果、物吉くんに対して「聖母」という印象を持っています。本丸でのキャラ深堀り第一候補です。
修行か……? やはり修行が全てを解決するのか?
そんな感じで、とくびぐみの皆さんに関する感想は以上です。
で、もう一振り写真を撮った刀がいまして。
短刀 銘 吉光 名物 庖丁藤四郎


ゲームには「包丁藤四郎」という刀剣男士がいますが、モデル元は焼失した同名の刀。つまりこの刀ではありません。
分かってるんですけど、思わず撮ってしまいました。
来歴も、逸話も、記録に残っている外見や大きさも違うのに、名前は同じ。
不思議だなと思って、撮影したんだと思います。
全体の感想
前期の賑わいはtwitter(X)で何度も見かけ、良くも悪くも話題になったなと感じていますが、今回は長蛇と呼べるような待ち列は特にありませんでした。
行った日がお盆真っ只中というのもあったかもしれませんが、ストレスなく鑑賞できたなと思います。
来館者の方は海外からの観光客も多かった印象。館内パンフレットも多言語で用意されてあったので、鑑賞で困ることはあまりないのかなと感じました。
あとここまでうっかり友人にノータッチでやってきてしまいましたが、私の趣味にも関わらず付き合ってくれて、ほんと感謝してます。
友人も楽しんでくれたようで、「三日月宗近がすごく綺麗だった!」と言ってました。やはり強いぞ、三日月宗近。
同じ過ちは2度としないと決めたんだ
足利では事後通販でグッズを買おうとしたものの、期日をすっかり忘れて入手できずと苦い経験をしました。
なので今回は、しっかりがっつり買いました。

この日までマルイとのコラボ展開(という認識でいいのかよく分かってない)をしている「とくびぐみフェス」が開催されており、色んなグッズが販売されていました。
シースルーお守りやエコバッグと普段使い出来そうなものから、お香、オードトワレ、さらには入浴剤と意外なものまで。商品企画力半端ないなと感じながら、オリジナルデザインカードと描き下ろしイラストのクリアファイルを購入。ちょっと冒険は出来なかった。
思わぬ流れ弾
ミュージアムショップでは「刀剣画報 刀剣乱舞・ニトロプラスと日本刀の10年」をようやく購入。
刀剣乱舞一色なのかと思いきや、第2特集に「坂本龍馬と土佐の刀」の文字。
いや陸奥守さんいるなんて聞いてませんが!!
しかも小説の題材「陸奥守吉行」て。釧路の火災に遭いながら、持ち主へ生きろと背を押すて。
ホテルで読んだら友人に迷惑しかかけんぞと薄目で見て、帰宅後にしっかりきちんと読みました。
大の字でひれ伏すことしか出来ませんでした。書いてくれてありがとうございます。
ミュージカル本公演、歌舞伎、東京ドーム。そこにこれが来て、来年京都国立博物館で展示決定。さらにゲームで回想追加のフラグも立った。
供給がデカすぎる。ほんとに2025年どうしたんですか。陸奥守元年かなんかですか。
一旦ここまで
この時点で8460字くらいです。書き始めた時は、こんなになるとは思ってませんでした。きっと過去最多です。
初日後半もなるべく早いうちに出せるよう、頑張りたいと思います。
それではここまでありがとうございました!
次回の記事でもお会いできたら嬉しいです。
2025/12/10 一部変更・リンク追加
2026/1/17 初日後半記事はこちら
