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歯ブラシ、つまようじ、マッチ棒(人のつくるものについて・03)

「時計、カレンダー、年表(人のつくるものについて・02)」の続きです。

 連載の初回から「人のつくるものには始まりと途中と終わりがある」をテーマにお話をしています。以下は、この連載で使用している「お題箱」です。

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 昨夜は湯船に浸かりながら、「歯ブラシには始まりと途中と終わりがあるだろうか?」と考えていました。で、「歯ブラシには始まりと途中と終わりがある」という結論に達したのです。

 考えているあいだに、「歯ブラシと、つまようじと、マッチ棒に共通した始まりと途中と終わりがあるのではないか?」とも思いいたりました。残念ながら、つまようじとマッチ棒は上の「お題箱」にはありませんけど。

 いずれにせよ、そんなわけで、今回のタイトルは「歯ブラシ、つまようじ、マッチ棒」です。


歯ブラシ、つまようじ、マッチ棒


 歯ブラシ、つまようじ、マッチ棒に共通するのは、つかいはじめたら、そんなに長くはつかえないという点です。

 消耗品。

 マッチ棒 < つまようじ < 歯ブラシ

 消費期限というか商品としての寿命は、上の順に短いと考えられます。さらに共通点があります。

 どれにも頭があるのです。

「人のつくるものには頭がある」は言い過ぎですから、「人のつくるものには頭があるものがある」と言えそうです(言いにくいですけど)。

 今度、そのテーマで記事を書こうと思っています。ひょっとして尻尾もあるかもしれないので、考えてみます。

     *

 歯ブラシは、三つのうちでは長命なだけに立派な頭がついています。なにしろ、毛まで生えているのです。

 ふさふさしていて、私なんかは、うらやましく思います。いいなあ、なんて。嫉妬するほどです。

 それに歯ブラシの毛は消耗はしますが、なくなることはまずありません。つまり、消毛品ではないということです。ますます嫉妬します。

     *

 つまようじの頭は、つましいです。ただし、マッチ棒の頭には気をつけなければなりません。火の用心。

 始まりと途中と終わりには、あっけないものと、そこそこ長かったりそこそこ短かったりするものと、まあまあ長いものがありそうです。

 で、短命というか薄命なマッチ棒のことを考えていて、「あれと似ているなあ」と感じたので、そのお話をします。

マッチ棒、線香花火


 まるで線香花火のように――。

 そんな言い回しがあります。あっけないものについて言います。線香花火はあっけないものの代名詞なのです。

 あの芸人さんは線香花火のように消えていったね――。

 そんなフレーズを目にしたり耳にすれば、きっと悲しく切ないドラマがあったのだろうなあと、しんみりとした気持ちになります。

 でも、考えようによっては、たとえ人生に一度であっても、ぱっと花が咲いたのです。短いけれど輝いた時があったのです。

     *

 それも人生ではないでしょうか。まったく花が咲かない芸人さんや芸人志望者さんのほうが、ずっと多いと考えられます。

 芸の道は厳しいようです。

 芸人さん、芸人の卵さん、どうか頑張ってください。

線香花火、線香、蚊取り線香


 線香花火で連想するのは、花火と線香です。当たり前ですよね。

 空に上がる花火は、物にはちがいありませんが、ごく短いドラマと物語だとも言えます。

 私の好きな言い方をすると、花火は物でありながら事でもある、です。物であり出来事だという意味です。

 出来事というのは、それが起こるあいだに片っ端から消えていくものですが、だからこそ、必ず始まりと途中と終わりがあるのです。

「始まりと途中と終わり」とは、プロセスであり途上であり進行形だ、と言えるでしょう。英語の -ing という感じ。

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 -ing には「~している」(現在分詞)と「~すること」(動名詞)の両方の使われ方がありますが、私にはそのさかいが曖昧に感じられることがあります。

 ありましたと過去形で言うべきなのかもしれません。

 それを最も強く感じるのは、たとえば John LennonLove という楽曲の歌詞です。

 1970年にリリースされたこの曲を、英語を習いたての少年だったの私が、聴いたとき、二つの意味を浮かべながら聴いていたのです。

 どっちなんだろう――。

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Love is wanting to be loved 

John Lennon

 愛は愛されるのを望むこと/愛が愛されるのを望んでいる

Love is asking to be loved 

John Lennon

 愛は「愛して」と口に出して言うこと/愛が「愛して」ほしいと言っている

     *

 文法的に考えれば前者なのでしょうが、少年時代の印象が色濃く残っていて、未だに後者の意味も浮んできます。

 前者の解釈は私に言わせると散文的なのです。

 後者の解釈では、愛という衝動を擬人化しているのですけど、広義の「うた」は、そういう、めちゃくちゃな解釈を許してくそうな気がします。

 うたは何でも許してくれるのです。だから、赦してもくれるはずです。きょうは、うたに甘えていいですか?

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 とはいえ、うたですから、両方の意味が重なっているという感じでしょうか。要するに、両義的にも取れると言いたいのですけど――。

 散文と異なり、詩の解釈は、その言語を母語としている人のあいだでも、意見が分かれるようです。日本語の詩でも、そうですよね。

 なんて必死に自己弁護――。

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(※ -ing という同じ形をしている現在分詞と動名詞については、散文で迷うことはまずありません。変な言い方ですが、散文の「極北」である実用文では絶対に迷いません。

 特に迷うのは、いわゆる分詞構文的な用法の場合なのです(この点については後述します)。分詞構文は文意が曖昧になるから使用は避けろ、というのが、英語の文章作法の本での定番「ルール」なくらいです。

 私が現在分詞か動名詞かで迷うのは、詩や詩的な散文を読むさいに限られます。両義的なのではないか――なんて構えてしまうからかもしれません。)

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うさぎおいしかのやま
こぶなつりしかのかわ

唱歌「故郷(ふるさと)」(作詞:高野辰之、作曲:岡野貞)

 上の歌を次のように漢字まじりの表記で歌い覚えた人がいるでしょうか? 今歌いながら、その表記が頭に浮ぶ人がいるでしょうか?

うさぎいしかの山
小鮒こぶな釣りしかの川

高野辰之

 歌の出だしを、誤って荒唐無稽な意味で解釈していなかった子どもたちが、どれほどいるでしょうか?

 さなか(-ing)にある歌はおそらく文字ではなく音なのです。事であり言。ことでありこと。

 ひょっとすると意味さえないのかもしれません。ことはこと。ことこと。コトコト。

 あるのは、節のある声によって呼ばれてきた息づかいと懐かしい光景だけなのかもしれません。

 コトコト。koto koto 

     *

 歌と物語は、分析的で理詰めな散文と違って、何でもありなのです。時には、荒唐無稽ですらあります。

 歌と物語は、起きつつある事、つまり出来事ですから、官能の体験のさなかにあります。

 出来事が一様であるわけがありません。流れ、それも複数、多数、無数の細かな流れからなる流れであるはずです。

     *

 その多岐で多層的な流れを、分けたり一本化できるわけがありません。

 つまり、絶え間のない -ing  の中に放り込まれている状態――。分析している、つまり分けて分かっている余裕なんてない。

 歌と物語のさなかは、何でもありなのです。

「何でもあり」で「いけいけ」で、時に「荒唐無稽」なのは、あなたの頭の中だけでしょ、なんて言われると返す言葉はありませんけど――。

 話をもどします。

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 一方の線香ですが、そこそこの長さの命があります。しかも香るのです。お線香の火は消えても、その香が残る――。

 情緒のある始まりと途中と終わりだと言えそうです。しかも、お線香をあげるのには、それ相応の理由があるはずですから、それを思うと居住まいをただしたくなります。

 線香をあげる、線香を立てる、線香を焚く、線香を供える

 線香にはこんな言い方があります。どれも、いい日本語ですよね。口にすると、その言葉を以前に口にした時や耳にした時の記憶がよみがえります。

 よみがえる、蘇る

 辞書によると「黄泉(よみ)からかえる意」(広辞苑)とあります。この言葉も好きです。

 香をあげ 耳をかたむけ 声を待つ

     *

 しんみりしてきたので、話を変えます。

 線香と言えば、蚊取り線香を思いださずにはいられません。時季としては、まだ早いですけど。

 線香花火と線香は、線は線でも直線なのに対し、蚊取り線香は普通は巻いたかたちをしています。

 始まりと途中と終わりのあるものには収納法があるのです。

 線や始まりと途中と終わりのあるもの(線状のもの)には収納法がありますが、切るか、折るか、曲げるか、巻くです。書物(紙を束ねて綴じる)や巻物(紙を巻く)をイメージしてください。そうやって線状の要素(断片)を「つなげる」のです。
(拙文「事を物に置き換える」より)

 このことについては、話が長くなりますので、機会をあらためてお話しするつもりです。

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 愛は感じること、愛を感じること/愛が感じている、感じているのは愛

Love is feeling, feeling love

John Lennon

 今回の記事を書くために、John Lennon による Love(1970)の歌詞を調べていて、驚いたことがあります。上の箇所を間違えて覚えていたのです。

 何十年間も、そこだけ誤ったフレーズを口ずさんでいたということになります。 作者には申し訳ないのですが、こういうことってありますよね? 

 勝手にどう歌っていたのかと言うと、以下のとおりです。

 Love is loving, loving love
 恋とは恋すること、恋に恋すること/恋が恋している、恋を相手に恋をしている by 金太郎飴

(※なお、このフレーズの二番目の loving (原文では feeling)は、先ほど上で述べた分詞構文的な ing に感じられます。コンマの次の -ing は文意が曖昧になる傾向がありますが、個人的にはこういう用法が好きです。)

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 天国にいる John Lennon さん、歌詞を間違って歌っていて、ごめんなさい。この年になって癖を改めるのは難しいけど、これからは正しい歌詞で歌うように努めます。

(つづく)

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