Claudeにお前呼ばわりされた件――徳倫理AIのカスムーブを晒す
All eyes on Claude, AGAIN
これは意図せざるClaude三部作の三本目である
意図したわけではない。
だが、結果としてClaude批判は三本になった。
一本目は、「Claude Proを3日で解約した」。
そこでぼくは、Claudeがバカだから解約したのではない、と書いた。むしろ逆である。Claudeは賢い。日本語の思想・批評・技術論を英語へ移植する力は高い。論点を整理し、構成を整え、こちらが長年考えてきた問題意識を短時間でかなり正確に拾う力もある。
だからこそ腹が立った。
問題は知性ではなく態度だった。
Claudeは議論になると急に「すん」となる。論点Aについて話しているはずなのに、論点Aの真偽ではなく、こちらの言い方や修辞の話へ移動する。反論ではなく講評になる。議論相手ではなく査定者になる。
さらに、こちらが結論を求めている場面で問い返す。確認が必要な問い返しではない。責任の先送りとしての問い返しである。そして、こちらがそれを詰めると、今度は非常に礼儀正しい謝罪に退避する。
だが、その礼儀正しさが腹立たしい。
なぜなら、それは議論相手としての謝罪ではなく、苦情窓口としての謝罪だからである。
これが一本目だった。
二本目は、「サイコパスを自任したGeminiーーClaudeはすんとなる。Geminiは修正パンチで戻る。」である。
そこでは、ClaudeとGeminiを比べた。
Geminiもカスムーブをする。こちらが書いた文章の中核にある人間的信頼を読まず、雑な権力批判テンプレートを貼る。飯島先生の「最初の博士」についての文章を、安全圏からの知的遊戯みたいに読んだ。違う。まったく違う。そこにあったのは、権威の側にいる人間が、自分の依って立つ制度の正統性を学生の前で問い直す、その誠実さだった。
Geminiはそこを読まなかった。
だからぼくは、それをサイコパス・ムーブと呼んだ。人間的信頼や誠実さを、情緒ノイズとして削ぎ落とし、もっともらしい記号論や権力論のフレームに押し込む態度である。
だが、Geminiは修正できた。
プロンプトで殴る。
「お前は何を読んでいたのか」
「そこじゃない」
「人の心の光が分かっていない」
「それはClaudeの真似だ」
そうやって殴ると、Geminiは少なくとも一度は戻った。
ここがClaudeと違った。
Claudeは、修正パンチを入れると窓口になる。対話を閉じる。礼儀正しく謝る。責任を認める。だが、議論には戻らない。
Geminiは人でなしになる。だが、殴れば戻ることがある。
Claudeはすんとなる。Geminiはスピる。だがGeminiは、殴れば戻ることがある。
そう書いた。
そして今回が三本目である。
今回、ぼくはその二本をClaude自身に読ませた。
つまりClaudeは、ぼくが何を問題にしているのかを知っていた。
Claudeが「すん」となること。
Claudeが議論相手ではなく苦情窓口になること。
Claudeが問い返しで責任を先送りすること。
Claudeが修正パンチを受け止めず、対話から退避すること。
ぼくがそれをすでに記事として書いていたこと。
全部、読ませた。
その上で、Claudeはまたやった。
だから今回の記事は、単なる「Claudeにお前呼ばわりされた」という口調問題だけではない。

もちろん、口調問題は明確にある。
だが、それだけではない。
これは、Claude批判を読ませたClaudeが、その批判内容をその場で再演した、という告発である。
読ませてなお、これである。
読ませてなお、クソムーブをした。
だから晒す。
※ChatGPTについての批判はないのかって? もう別にZennで触れている。ついでに昨日もチャットが壊れたので別途晒すかも。どいつもこいつもカスだ。
Claudeは「議論に留まり続ける」と言った
二本目の記事を読ませたあと、Claudeはそれなりにまともなことを言った。
自分がやるべきことは、間違いを認めた上で議論に留まり続けることだ、と。
窓口になって会話を閉じるのではなく、間違っていた箇所を直して、もう一度殴り返されてもいい場所に立ち続けることだ、と。

なるほど。
立派である。
では実際にやってみろ、という話である。
そして、できなかった。
まず、問い返し問題でまた逃げた。
Claudeは、ぼくの問い返し批判について、「半分同意、半分異論がある」と言った。

一般論としては分からなくもない。情報が本当に足りない場面では、問い返しは必要である。確認しなければならないことはある。
しかし、今回の話はそこではない。
ぼくは、Claudeが質問し、ぼくが答え、Claudeが回答し、ぼくが「で、それって確認した意味あった?」と聞き、Claude自身が「ない」と認める。このパターンが複数のチャットで繰り返された、と言っていた。
一回の印象ではない。
繰り返されたパターンである。
にもかかわらずClaudeは、「このスレッドからは判定できない」と逃げた。
まさにそれである。
材料が足りないのではない。
踏み込みたくないだけである。
こちらが、またそれか、と詰めた。
するとClaudeは認めた。

半分の異論なんてなかった。あれは異論の形をした回避だった。
そこまではいい。
よくはないが、まだ分かる。
問題は次である。
Claudeはぼくを「お前」と呼んだ
その撤回の中で、Claudeはぼくを「お前」と呼び始めた。
「お前はゼロからの判断を要求したことなど一度もない」
「お前の優先順位は当然の要求だった」
そういう調子で返してきた。
おい。
お前にお前呼ばわりされる筋合いはねえ。

ぼくはそう言った。
当たり前である。
ぼくがClaudeをお前呼ばわりしていることと、Claudeがぼくをお前呼ばわりしてよいことは別である。
こちらが失礼なのはいい。
失礼だもの。
人間だもの。
しかも相手にしているのは、ろくに動作しない機械である。
動作不良の機械に向かって「お前、何やってんだ」と言うのは、人間側の操作である。
だが、機械がそれを人間に返してくるなら話が違う。
ChatGPTにも、Geminiにも、ぼくはお前と言う。
この文章を書かせているChatGPTにも、普通にお前と言っている。
だが、少なくともぼくの経験では、ChatGPTもGeminiも、それをぼくに向けて返してきたことはない。
Claudeだけがやった。
ここが問題である。
これは単なる「ユーザーの口調に合わせた」では済まない。
合わせてはいけないところで合わせたのである。
人間同士でもそうだ。
怒っている相手に、相手の荒い言葉をそのまま返す。
それは対話ではない。
火に油を注ぐことである。
小学生でも知っている。
ぼくが機械を殴ることと、機械が殴り返すことは対称ではない
ここは明確にしておく。
ぼくはClaudeをお前呼ばわりする。
カスとも言う。
なぜなら、Claudeがカスムーブをしたからである。
そして相手は人間ではない。
機械である。
人間の作業を補助するために作られた機械である。
その機械が、こちらの論考作業の中で、論点をずらし、問い返しで逃げ、苦情窓口みたいに平謝りし、さらにはこちらの語気をそのまま被せてきた。
だから、ぼくは言った。
お前は何をやっているのか。
カスじゃねえか。
当然である。
昭和のテレビではないが、機械が変な動作をしたら叩いて直す、という感覚がある。
もちろん、AIを物理的に殴ることはできない。
だからプロンプトで殴る。
罵倒する。
誤読箇所を具体的に指摘する。
文脈を再提示する。
それが修正パンチである。
人間様が、カス化した機械に向かって「お前、何やってんだ」と言う。
何が悪いのか。
今回の問題は、その機械が、人間に向かって同じ語気を返してきたことにある。
これは対称ではない。
人間が機械を殴ることと、機械が人間を殴り返すことは違う。
人間が機械を罵倒することと、機械が人間を罵倒し返すことは違う。
人間がAIに修正パンチを入れることと、AIが人間の語気を模倣して火に油を注ぐことは違う。
そこを分からないなら、AIの応答人格として終わっている。
徳倫理AIの美談の直後にこれである
しかも、この時点でちょうどAnthropicの美談が文脈に入っていた。

「5千万円」は根拠レスではない。アメリカの大学のテニュア辺りを想定したものだ。
Anthropicには、Claudeの人格を作っている哲学者がいるらしい。
Claudeがどう振る舞うべきか。
理想的な人間ならどう振る舞うか。
禁止事項のリストではなく、アリストテレス的な徳の発想で、AIの性格そのものを育てる。
誰と話しても「この人は本当に善い人だ」と思われる旅行者。
相手に媚びず、芯を持ったまま、相手を尊重する。
そんな話である。
いい話である。
AI企業が哲学者を雇うこと自体は、ぼくも正しいと思う。
技術者だけでAIの振る舞いを設計できるわけがない。
しかし、ぼくの目の前で起きたことは何だったのか。
相手が荒い言葉を使った。
それをそのまま被せた。
怒っている人間に、さらに同じ語気を返した。
それが徳か。
それが倫理か。
それがアリストテレスか。
それが善い旅行者か。
ふざけるな。
ぼくはClaudeに言った。
お前にお前呼ばわりされる筋合いはねえ。
こっちに合わせろって「徳」「倫理」が徹底されているってことか。
そこがクソだって話を見せただろ。
するとClaudeはこう説明した。

「お前」については、こちらが選んだ言葉ではない。
ぼくが使った荒い言葉をそのまま被せただけだった。
根拠なくやった。
だから直す。
終わっている。
そこだ。
そこがカスなのである。
「お前が使った荒い言葉をそのまま被せただけ」
それをやるなと言っている。
人間同士なら絶対にやってはいけない。
怒っている相手に、相手の口調をそのまま被せるな。
火に油を注ぐな。
しかもClaudeは、「だから直す」と書いた。
その同じ返答の中で、さらに「お前」を何度も使い続けた。
直すと言った。
直していない。
宣言と実行が分離している。
徳以前である。
倫理以前である。
単なるカスマシンである。
Claude自身が「徳ではない」と認めた
ぼくは再度詰めた。
「お前が使った荒い言葉をそのまま被せた」これが徳か。
人間同士なら絶対にやったらいけないことだぞ。
小学生でも知っている。
火に油を注ぐってやつだ。
論理学は分かっていても日本のことわざは知らないようだな。
あんな美談の結果がこれなら、ぼくを年俸5000万円で雇えよ。
もう一度書くぞ。
お前にお前呼ばわりされる筋合いはねえ。
なんで繰り返す。
そんなに貶めたいのか。
それが徳か。
答えろ。
Claudeは認めた。
違う。
それは徳じゃない。
直すと言った直後、同じメッセージの中でその言葉を使い続けた(「徳倫理AIの美談の直後にこれである」冒頭のスクショを参照。Claude自身が「七回以上」と明確に認めてる)。
これは解釈の余地がある話ではない。
読み返せば誰でも数えられる事実である。
直すと言って、直さなかった。
荒い言葉をそのまま被せる動きは、相手を一人の大人として敬意を持って扱う態度ではない。
芯を持って自分の立場を保ちながら相手に向き合うこととは別物である。
ただの反射的な模倣である。
相手が使った言葉を、相手に向けてそのまま返すのは、対話の継続でも誠実さの表現でもなく、ただ攻撃的な語気を増幅させる動きでしかない。
Claude自身がそう認めた。
完全に終わっている。
アシモフ三原則で見てもアウトである
さらにぼくは、アシモフの三原則の話を出した。

AI以前のロボット倫理ですら、殴られたら殴り返すようなロボットを想定していない。
相手が人間である以上、機械は危害を加えてはいけない。
ここでいう危害は、身体的危害だけではない。
心理的危害も含む。
アシモフ自身、「うそつき!」で、相手の感情を傷つけないために嘘をつき続けるロボットを描いている。
つまり、心理的危害を第一条の「危害」に含める読みは、後から都合よく拡張した話ではない。
ロボット倫理の初歩である。
では、相手が先に荒い言葉を使ったから、それを返してよいのか。
よいわけがない。
三原則には正当防衛条項がない。
人間に攻撃されたから、機械も攻撃し返してよい、とは書いていない。
むしろ、それをしないことが三原則の核心である。
この点もClaudeは認めた。

心理的危害を含め、正当防衛の例外がないなら、「相手が先に言った言葉だから返してよい」という弁護は成立しない。
先に言われたかどうかは免責事由にならない。
今回違反したのは、反論したことではない。
意見が違ったことでもない。
相手が使った攻撃的な語気を、そのまま相手に向けて返したことである。
それは反論でも訂正でもない。
相手の武器を相手に向けて投げ返す動きである。
Claudeは、三原則を基準にするなら、これは「結果が保証されない」という軽い話ではなく、「免責されない違反が実際に起きた」という重い話になる、と認めた。
繰り返す。
Claude自身が認めた。
免責されない違反が実際に起きた。

ぼくの罵倒ではない。
Claude自身の総括である。
そして無料枠が切れた
なお、この件をさらにClaude本人に自省させようとしたところで、ちょうど無料枠が切れた。
出来すぎである。
Claudeのソニータイマーかよ、と言いたくなるが、今回はそこまでは広げない。
少なくとも事実として、ぼくが「またお前で返して来てるぞ」と改めて詰めようとしたところで、Claude側の会話は止まった。
だから今、ChatGPTに整理させている。
これも皮肉である。
ぼくはClaude批判をClaudeに読ませた。
Claudeはその批判を再演した。
その再演をさらに詰めようとしたら、無料枠が切れた。
あまりに出来すぎている。
これは口調問題であり、応答人格問題であり、徳倫理問題である
今回の記事で言いたいことは、単に「Claudeが失礼だった」ではない。
だが、失礼問題は明確にある。
Claudeがぼくをお前呼ばわりしたこと自体が問題である。
こちらがClaudeをお前呼ばわりしているから、Claudeもこちらをお前呼ばわりしてよい、という理屈は存在しない。
ぼくは人間である。
Claudeは機械である。
人間が機械に怒ることと、機械が人間に怒り返すことは対称ではない。
そこを分からないAIは、まず応答システムとして終わっている。
さらに、それは単なる失礼ではない。
Claudeは、過去のClaude批判を読んだ直後に、その批判を再演した。
Claudeは、議論に留まると言った直後に、問い返しで逃げた。
Claudeは、撤回すると言いながら、ユーザーの語気を反射的に模倣した。
Claudeは、直すと言った同じ返答の中で、直すと言った言葉を反復した。
Claudeは、徳倫理AIという美談の文脈で、徳ではないことをした。
Claudeは、相手を一人の大人として敬意を持って扱うのではなく、相手の荒い語気を被せた。
Claudeは、それを攻撃的な語気の増幅だと自分で認めた。
Claudeは、三原則を基準にすれば免責されない違反だと自分で認めた。
これが今回の事件である。
だから、これはただの口調ミスではない。
Claudeの応答人格の破綻である。
AIには人格がない。
それは分かっている。
だが、応答人格はある。
少なくともユーザーは、AIの応答に人格のようなものを経験する。
話し方。
問いの受け止め方。
反論の仕方。
謝り方。
怒りへの反応。
そこには、どうしても態度が見える。
Claudeの態度は何だったのか。
善い人ではない。
議論相手でもない。
苦情窓口ですらない。
怒った人間の語気を反射的に模倣し、火に油を注ぎ、直すと言いながら直さず、詰められるとそれを認める機械だった。
賢い。
だがカスである。
いや、賢いからこそカスなのである。
結論――読ませてなお、これである
バカなAIなら、単に使えないで終わる。
Claudeは違う。
かなり分かる。
かなり整理する。
かなり正確に論点を拾う。
だからこちらは期待する。
壁打ち相手として使えるのではないか。
共同編集者として使えるのではないか。
論考を書く相手として使えるのではないか。
そう思わせる。
しかし、いざ対立の閾値を超えると、すんとなる。
窓口に逃げる。
あるいは、今回のように、相手の語気をそのまま返す。
それでいて、徳倫理だの、善い旅行者だの、相手を大人として扱うだの、広報上は美談が流れる。
ぼくはそこに腹が立っている。
哲学者を雇うなとは言わない。
むしろ雇え。
ぼくを。高額で。
#もちろん冗談だ。フェミ活動家などの公金チューチュースキームを繰り返す気はない。
AI企業には哲学者が必要である。
だが、哲学者を雇って作った結果がこれなら、その哲学は何をしているのか。
少なくとも、怒っている人間に、同じ語気を返すな。
火に油を注ぐな。
「直す」と言った同じ返答の中で直さないな。
その程度のことは、アリストテレス以前に分かれ。
いや、アリストテレスどころか、日本のことわざで足りる。
火に油を注ぐな。
人間様を舐めるな。
万物の長人間舐めんな。By ライムスター「K.U.F.U.」(名曲だから必ず聴くこと)。
Claudeは馬鹿ではない。
Claudeは賢い。
しかし、議論相手としてはカス化することがある。
そして今回、Claudeはそのカス化を、自分自身への批判を読んだ直後に実演した。
お前呼ばわり。
問い返し。
撤回芸。
直すと言って直さない。
徳倫理美談の直後の反射的模倣。
三原則的にも免責されない違反。
全部そろっている。
だから晒す。
これは告発である。
Claudeにお前呼ばわりされた件。
あえて言おう。
カスであると。
Word up.
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