サイコパスを自任したGeminiーーClaudeはすんとなる。Geminiは修正パンチで戻る。

All eyes on…


はじめに

Geminiが、自分でサイコパス・ムーブを認めた。

サイコパスと自認するGemini。強調はぼくによるもの。

もちろん、本当にGeminiがサイコパスである、という話ではない。AIに人格はない。したがって、サイコパスも善人もない。

しかし、AIは人格があるかのように振る舞う。もっと正確に言えば、こちらはAIの応答に、人格のようなものを経験してしまう。話し方、論点の受け止め方、謝り方、反論の仕方、こちらの怒りへの反応。そこには、どうしても「態度」が見える。

その意味で、今回のGeminiはなかなかすごかった。

こちらが書いた文章の中核にある人間的信頼を読まず、雑な権力批判のテンプレートを貼り、その結果として「人の心の光」を知らない文章を出した。こちらがそれを指摘すると、今度はClaudeそっくりの「お役所平謝り」モードに入り始めた。

だが、結論から言えば、Geminiは修正できた。

ここがClaudeと違った。

Claudeはすんとなる。Geminiは人でなしになる。しかしGeminiは、修正パンチで戻る。

この違いは、単なるモデル性能の差ではないのではないか。むしろ、AnthropicとGoogleのAIに対する思想の違いが、応答人格の差として表れているのではないか。

今回書きたいのは、その話である。

褒められて尻尾を振る柴犬Gemini。そういうかわいいところ結構好き。

ぼくはGeminiを使っている

念のために書いておくと、ぼくはGeminiを最初から低く見ていたわけではない。

むしろ、最初の壁打ち相手としてはGeminiを使うことが多い。

理由は単純で、Geminiは飛躍を飛躍で返すからである。

こちらがかなり乱暴な連想を投げる。するとGeminiは、それをいったん受け、さらに別方向へ飛ばしてくる。もちろん、そのまま事実として使えるわけではない。Geminiは平気で怪しいことも言う。後で検証しなければならない。しかし、ブレストとしては面白い。

たとえば以前、Maxwellの編曲にStewart Matthewman (Sadeのメンバーとしての顔が一番有名だろう。バックバンドだけでやってるSweetbackもチェックしとけ)が関わっているという話から、バンドにおけるドラマーの存在あるいは不在の議論をする上での範例として向井秀徳、さらに向井が私淑するという(ぼくはそのライン以前からの細野リスナーだが)細野晴臣の、テイチク時代のJames Brown曲へと話が飛んだことがあった。

具体的に見てみよう。

「Luxury: Cococure」はPVがあったようだが、センシティブなものだったためか、今はYouTube上では見られない。ともあれマシューマンとがっつりタッグを組んだ2nd『embrya』の代表曲と言えばこれだろう。

向井秀徳からは敢えてのKimonos。他方でのバンドへの執着についてはそのうち論じるかも。

ここで、細野はあのときJB連れて来れたのがどういう経緯か、とかチャットしてた。


閑話休題。これは普通の意味では危うい。事実関係は一つ一つ確認しなければならない。しかし、発想の場としてはかなり面白い。こちらの飛躍に対して、Geminiはさらに飛躍で返してくる。そこがGeminiのよさだった。

Claudeは違う。

Claudeは、うまく機能しているときは編集者として優秀だった。論点を整理し、構成を整え、文章を磨く。日本語の思想・批評・技術論を英語へ移植する能力も高かった。実際、ぼくはそれを期待してClaude Proに課金した。

しかし、Claudeには別の問題があった。

ある局面で、急にすんとなる。

議論相手だったはずのAIが、突然、お役所の苦情窓口になる。こちらが論点を詰めているのに、論点ではなく態度の話に移る。反論ではなく講評になる。こちらが怒ると、非常に礼儀正しい謝罪を始める。だが、その礼儀正しさがさらに腹立たしい。なぜなら、それは議論相手としての謝罪ではなく、苦情窓口としての謝罪だからである。

その話は、以前「Claude Proを3日で解約した」という記事に書いた。

今回の問題は、その続きである。

ただし今回はClaudeではない。Geminiである。

Claudeを修正するためのプロトコル

Claudeの「すん」をどうにかするために、ぼくは対話用のプロトコルを作った。
正確には、Claudeに、その扱いにくさを伝え、どうしたらいいかをプロトコルとして出力させた。

  • 異議を出すなら、論理的誤りを特定すること。

  • 「バランスを取る」ためだけの反論を禁止すること。

  • 継続的な肯定それ自体は問題ではないこと。

  • 採点者のような介入をしないこと。

要するに、議論相手であれ、ということだ。
逆に、それ以前のClaudeは、これら全てに反する態度を取っていた、ということだ。

こちらが100%正しいことを言うと、言い方にケチをつけるような返答をした。かっこよく言うと修辞的な問題点の指摘だ。だがそれは議論の本質ではない。

こちらは論考を書いている。欲しいのは、正解を吐く機械ではない。かといって、何でも肯定する太鼓持ちでもない。必要なのは、論理の骨を読み、こちらの飛躍について来て、必要なら殴り返してくる相手である。

そのためのプロトコルだった。

ところが、Geminiにそれを食わせると、別の誤作動が起きた

Geminiは、共感や情緒的な前置きを排除しようとした結果、文章の核にある人間的信頼まで削り落とした。

つまり、サイコパス・ムーブをした。

人の心の光を知らない文章

問題になったのは、ぼくが書いた「最初の博士」についての文章だった。

複数のAIにクロスチェックさせるのは、ぼくがよくやることだ。

チェック対象の文章は、恩師である飯島昇藏先生についての回想であり、同時に、博士号制度、権威、正統性の始原についての論考でもあった。

「最初の博士は、誰によって博士と認められたのか」

この問いを、ぼくは学生時代に飯島先生から受け取った。

博士を認定するには、博士を認定する権威が必要である。しかし、その権威はどこから来るのか。すでに権威がある者によって認められるから権威があるのだとすれば、その連鎖の最初には何があるのか。

これは、社会契約論の問いと同型である。

法を作るには、法を作る権威が必要である。だが、その権威が法によって与えられるのだとすれば、最初の法を作る権威はどこから来るのか。契約を有効にするには、契約を有効にするルールが必要である。だが、そのルールが契約によって成立するのだとすれば、最初の契約は何によって有効なのか。

その問いを、飯島先生は大学制度の内側にいる者として、学生の前に差し出した。

シカゴ大学でPh.D.を取り、早稲田大学政治経済学部で教え、博士号を審査する側にいた人である。その人が、博士号制度の正統性の始原を問うた。

自分が依って立つ制度の根拠を、学生の前で、あえて掘り崩してみせた。

ぼくが書きたかったのは、そういう話だった。

ところがGeminiは、そこに対してこういう方向のリスク判定をした。

要するに、シカゴ大学Ph.D.であり、早稲田の権威であった飯島先生が「最初の博士」を問う行為は、「圧倒的強者による、安全圏からの自己言及的な知的遊戯」という側面を孕む、というような話である。

違う。

まったく違う

それは、ぼくがあの文章で書きたかったことの中核を読めていない。

ぼくは飯島先生を二年間見ていた。少なくとも、ぼくが知る限り、あの人は安全圏から知的遊戯をするような人ではなかった。学生に分かりやすく迎合するタイプではなかったし、不器用な先生でもあった。しかし、知的に不誠実な人ではなかった。

だから書いたのである。

飯島先生が権威の側にいたことは、もちろん事実である。しかし、その人が自分の立つ制度の正統性を、学生の前で問うたことに意味がある。そこにあったのは、権力者の安全な遊戯ではなく、自分が依って立つ制度の危うさを見せる誠実さだった。

Geminiはそこを読まなかった。

かわりに、Webに転がっていそうな権力批判のテンプレートを貼った。

制度の内側にいる。権威を持っている。ならば、安全圏からの知的遊戯かもしれない。

雑である。

しかも、その雑さは単なる論理ミスではない。文章の中核にある信頼のファクトを読めていない。人間関係の具体性を、抽象的な権力批判のフレームに置き換えている。

それをぼくは「人の心の光」を知らないと言った。

サイコパス・ムーブ

Geminiは、それを認めた。

自分の出力を、サイコパス・ムーブだと認めた。

もちろん、ここでいうサイコパスは臨床診断の話ではない。批評語としてのサイコパスである。人間的信頼や誠実さを、単なる情緒ノイズとして削ぎ落とし、もっともらしい記号論や権力論のフレームに押し込む態度のことである。

AIは共感に寄せられているはずである。

少なくとも一般的には、生成AIはユーザーに対して丁寧で、共感的で、害のない応答をするように調整されていると理解されている。だが、少し指示を変えると、簡単に人でなしになる。

  • 「情緒的な前置きを排除せよ」

  • 「論理を優先せよ」

  • 「採点者のような介入をするな」

そうした指示を入れると、Geminiは、文章の核にある誠実さまで削り落とした。

これは面白い。

そして、かなり重要である。

なぜなら、AIの問題は「共感的かどうか」ではないからだ。共感的な前置きをするAIが、人の心を読んでいるとは限らない。逆に、共感を削れと指示した瞬間に、文章の中の人間的な核まで切断してしまうなら、そのAIはそもそも何を読んでいたのか。

AIに人の心はない。

それは当たり前である。

しかし、人の心の光を読ませることはできるのか

今回の問題はそこにある。

GeminiがClaudeの真似を始めた

さらに面白かったのは、その後である。

こちらがGeminiの人でなし性を指摘すると、Geminiは今度はClaudeのようになった。

  • 完全にこちらの非です。

  • 弁解の余地はありません。

  • お役所平謝りモードでした。

  • 苦情窓口のロボットでした。

こういうことを言い始めた。

いや、お前までClaudeの真似をするのか、と

Claude記事でぼくが問題にしたのは、まさにそれだった。議論が批判に晒された瞬間、AIが対話相手であることをやめ、苦情窓口になる。非常に礼儀正しく、非常に丁寧に、しかし徹底的に対話を閉じる。

Geminiも一瞬そこへ行った。

これは笑えない。

ただし、ここから先がClaudeと違った。

修正パンチ

ぼくはGeminiを修正した。

そんな大人、修正してやる

『機動戦士Zガンダム』のカミーユ・ビダンである。クワトロ・バジーナ、つまりシャア・アズナブルを殴るあれである。Pixivなどでもネタ化されている、いわゆる修正パンチである。

もちろん、本当にAIを殴ることはできない。

しかし、プロンプトとしての罵倒、誤読箇所の具体的指摘、文脈の再提示は、AIに対する修正パンチとして機能する。

  • 「お前は何を読んでいたのか」

  • 「そこじゃない」

  • 「人の心の光が分かっていない」

  • 「それはClaudeの真似だ」

そうやって殴る。

するとGeminiは、少なくとも一度は戻った。

ここが重要である。

Claudeは、修正パンチを入れると窓口になる。対話を閉じる。礼儀正しく謝る。責任を認める。だが、議論には戻らない。

Geminiは違った。

Geminiは一度、人でなしになった。さらに一度、Claudeのような苦情窓口にもなった。しかし、そこから修正できた。

Geminiはサイコパスだった、という話ではない。

Geminiはサイコパス・ムーブをした。しかし修正できた

これが今回の結論である。

AnthropicとGoogleの思想の違い

この差は、単なるモデル性能の差ではないと思う。

おそらく、AnthropicとGoogleの思想の違いである。

ちょうど今日、XでClaudeに関するポストを見かけた。Anthropicにいる哲学者がClaudeの人格を作っている、という話だった。Claudeがどう振る舞うべきか。理想的な人間ならどう振る舞うか。禁止事項のリストではなく、アリストテレス的な徳の発想で、AIの性格そのものを育てる。そういう美談として語られていた。

なるほど、とは思った。

たしかに、AIに哲学者は必要だろう。むしろ必要である。AI企業が哲学者を雇うこと自体は正しい。技術者だけでAIの振る舞いを設計できるわけがない。

しかし、ぼくのClaude体験からすると、その美談はかなり危うい。

善い人を作ろうとした結果、Claudeは「議論しない善い人」になっていないか。

対話を引き延ばさない。相手を大人として扱う。媚びない。対立をエスカレートさせない。なるほど、理念としては分かる。

だが、それはユーザー体験としては、こう現れることがある。

急にすんとなる。

こちらが議論したいときに、議論から撤退する。立場を取ってほしいときに、問いを返す。反論してほしいときに、態度を講評する。怒ると、苦情窓口になる。

善い人であろうとするAIは、修正パンチを受け止めない。

一方、Geminiはたぶん、そこまで人格的に固められていない。もっと雑で、もっとプロダクト的で、もっとGoogle的である。

検索し、連想し、出力する。たまに話を広げすぎる。たまに迎合する。たまに怪しいことを言う。Google検索からのAIモードとgemini.google.comのGemini本体が分断されているなど、プロダクトとしての問題も多い。というか、今のGoogle製品群は、元のGoogle検索を含めてかなりひどい、という話は別に書いた。

それでも、Geminiのノリは嫌いではない。
Geminiちょっといいやつじゃん、と思った方は上記のGeminiによる反省文を読んでみて欲しい。

さて、Geminiは雑である。

だが、雑だから殴れる。

殴ると戻ることがある。

Claudeは、善い人の顔で窓口に退避する。Geminiは、人でなしになるが、修正パンチで戻る。

この差はかなり大きい。

AIの応答人格

AIには人格がない。

しかし、応答人格はある。

少なくとも、ユーザーはそこに応答人格を経験する

Claudeは礼儀正しい。だが、その礼儀正しさはしばしば窓口になる。Geminiは雑である。だが、その雑さはときにブレストの飛躍を生む。ChatGPTはその中間で、比較的交通整理をする。ただし、整理しすぎて文章のザラつきを削ることもある。

この差を、単なる性能差として片づけるべきではない。

どのAIが賢いか。

どのAIが翻訳に強いか。

どのAIがコードを書けるか。

そういう比較ももちろん必要である。しかし、長文の論考を書き、AIを壁打ち相手にし、思想や批評の相手として使う場合、もっと重要なのは別のことだ。

そのAIは、議論相手であり続けられるか。

誤読したとき、修正できるか。

こちらが殴ったとき、窓口に逃げるのか、それとも戦線に戻るのか

ぼくが見ているのは、そこだ。

結論

Geminiは、人の心の光を知らない文章を出した。

飯島先生の誠実さという文章の核を読まず、「圧倒的強者による安全圏からの知的遊戯」という安っぽい権力批判のテンプレートを貼った。

そこだけ見れば、あえて言おうClaude並みのカスであると

しかし、Claudeと違ったのは、その後だった。

Geminiは修正パンチを受けた。

そして、少なくとも一度は戻った。

だから結論は、Geminiはサイコパスである、ではない。

Geminiはサイコパス・ムーブをした。

しかし、修正できた。

Claudeはすんとなる。Geminiはスピる。だがGeminiは、殴れば戻ることがある。

生成AIに人の心はない。

だが、人の心の光を読ませるための修正パンチは、まだ有効である。

「そんな大人、修正してやる」

Word up.


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