女はいたぶるもんじゃねえ 栄光なきクリエイターたち #009
前回の記事
番外編 ①
noteを見ていると不思議に思う。あるクリエイターには多くのフォロワーがついているのに、ほとんどフォローもされずに淡々と投稿を続けるクリエイターがいる。フォロワーが少ないクリエイターが書く記事はつまらないのか?
断じて否。
彼らにとっては、他人からどう思われるかなんてどうでもいいのである。読み手を意識していないから、ややもすると素っ気なかったり、癖が強すぎたりもする。しかし、彼らが書く記事には、ブレない強さや真似ができない自由さがある。
そんな栄光なきクリエイターたちをそっと追ってみよう。わたくし御丹珍の独断によって選ぶ。原則として1記事につき1クリエイターのみを採り上げる。事前に記事で紹介する承諾を得るべきか迷った。そもそもフォロワーがいてもいなくても気にしない方々なので、私も思うままに紹介させてもらう。当該クリエイターの方には、この場にてお礼を申し上げます。(文中敬称略)
今回は、ハラスメント被害をコミックエッセイに描いて啓発するクリエイターを紹介する。
にしうさ
Geminiさんに、にしうさとはどんな由来のネーミングと考えられるかを尋ねてみた。すると「西+宇佐」かもしれないと言う。方角の西に、八幡総本社宇佐神宮の宇佐を足したものらしい。もちろん、この推測が当たっている可能性はゼロであろう。漫画に描かれる本人は、長い耳を持つうさぎを擬人化したキャラクターである。
形態こそコミックエッセイとなっているが、にしうさが描く漫画はセンシティブな内容ばかりである。主たるテーマは、女性の性被害といじめである。いずれも自身が経験するか目撃したものが題材となる。
近頃のnoteではコミックエッセイの投稿を歓迎しているようである。「今日の注目記事」に選ばれたものをはじめとして、何本か読んでみたが、にしうさの作風は異質であった。一見するとシンプルで可愛らしい絵柄である。デッサンは無駄な描線が少なく、スッキリとして見やすい。しかし、取り上げられる題材は絵柄とは裏腹に、笑いとばすのも憚られるようなシリアスなものばかりである。
ミー・トゥー
性被害を受けた女性は、声を上げられずに黙って耐えることが少なくない。被害を申し出る羞恥に加えて、さらにお門違いなバッシングに曝される恐れすらあるからだ。
学校や勤務先でのあからさまな性差別も珍しくない。忌避する素振りを見せようものなら、陰湿な報復が待っている。
#MeToo (ミートゥー)とは、性被害を受けた女性が連帯して「私もよ!」と声を上げようという呼びかけである。
俳優のアリッサ・ミラノが、ハッシュタグをつけてMe Tooと表明することを呼びかけた。
私には、アーノルド・シュワルツェネッガー主演の映画『コマンドー』の娘役を演じ、シュワちゃんに片腕で抱えられる幼いミラノの印象が強く残っていたのでおったまげた。
書くには忍びないが、男としては#MeTooに戦々恐々としている。なぜなら、私の何気ない女性に対する行為が、#MeTooの槍玉に挙げられる可能性を否定できないからである。
シュワちゃんのように強い男なら「セクハラ疑惑」とは無縁で過ごせるかもしれない。

日本では、フリージャーナリストの伊藤詩織が性被害を訴えて物議を醸した。
被害を訴えることを諦める女性が多い中で、勇気を振り絞って声を上げることは重要である。一方で、性被害には冤罪も起こりうるので、断定的に論じることや誹謗中傷は避けたいものである。
しかし、女性の皆さんに一言申し上げたい。疑心暗鬼に駆られて男性を見るにつけ、あらぬ被害を想像することはやめてほしい。また、発言に裏があると勘繰るのも勘弁してほしい。猜疑心が強い女性に対すると、自分が悪いことをしているようで、気が滅入ってしまうのである。もちろん、女性にとっては用心に越したことはないのであるが、男としては身の置き所がないのである。
スカートめくり
小学生の時分に、スカートをめくられた記憶がある方も少なくないと思われる。御丹珍もこの遊び(紛れもない迷惑行為であるが、当時はただの遊びと認識されていた)をしたことがある。よく考えてみると、現在の私が知り合いの女性のスカートをいきなりめくったら、警察に突き出されるであろう。人が嫌がることをただの遊びと自分に言い聞かせながら、平然とやっていた不明を恥じる。
今一度考え直してみたい。昭和から平成の中頃までは、あまりにも女性の気持ちが軽んじられていなかったか。人の気持ちがわからないおたんちんでは済まされない。
このように糾弾の場が設けられるのはかなりマシなケースで、当時はスカートめくりがほぼ野放しにされ、教師が目を光らせることは少なかった。
いじめ
にしうさの作品の中で、最も重苦しいものはこれかもしれない。
面白半分で相手の尊厳を踏みにじり、嫌がる様子を愉しむいじめは卑劣極まりない。しかし、止めようとするとかえって自分がいじめの標的になりかねない。したがって、罪悪感を覚えながらも傍観してしまいがちである。
あなたは、いじめを目撃したら止めに入ると断言できるであろうか。恥ずかしながら、私には自信がない。
歪んだ優越意識や支配欲の発露が、被害者の心に一生の傷を刻み込むのである。加害者は心から悔いることなどない。仮に反省して謝罪したとしても、人の尊厳を踏みにじるという大きな過ちは償えないのである。
漫画家・山田花子の世界

かつて統合失調症を発症して、若くして飛び降り自殺した漫画家がいた。山田花子は24歳の若さでこの世を去ったが、彼女が遺した「生きづらさを感じる者の叫び」は、今日でも読む者に問いを投げかける気がする。

「週刊ヤングマガジン」に連載された『神の悪フザケ』は、読者アンケートで最下位に甘んじるなど、賛否両論を巻き起こした。しかし、弱者の心理を表現する漫画家としてカルト的な人気があった。
『神の悪フザケ』はギャグ漫画仕立てである。主要人物が理不尽な扱いを受けてやり込めれる様を、若かりし頃の私は面白がって笑いながら読んでいた。雑誌には補足情報などが載っておらず、山田の切なる叫びとは捉えていなかったのである。

山田は深刻な発達障害を抱えていたと思われる。空回りして交友関係を悪化させ、人間不信を募らせていったのであろう。
メジャー誌の連載はこの一作だけで、しかも短かった。その後は目立った活躍がなく、徐々に精神を病んでしまったようだ。
にしうさの作品は、山田花子とは趣きを異にする。しかし、抗うことができない弱者の痛みを訴える。両者には共通した視座が見て取れる。
コミックエッセイ読み比べ
コミックエッセイは作品によってカラーが異なるし、笑いは人によって好みが分かれる。さっといくつかを拾ってみた。それぞれに良さはあるが、いずれもにしうさの立ち位置からはかなり遠いことがわかる。
うさぎと言っても、にしうさの描くうさぎとは大きく異なる。多くの女性はこの手の漫画を好むのであろうか?
コミュ障のせいで店員に声をかけられない虚しさを、おかしみを込めて描くこの作品は、私の好みに合っている。
noteでは、上のようにほんわかした作風のほうが評価されやすいのだろう。
noteは、クリエイターの創作をサポートすることに傾注する。しかし、本当に必要なことはあらゆる読者のニーズに応じて、それぞれに合うクリエイターをマッチングすることではないだろうか。にしうさに近いカラーのクリエイターを探すことは極めて難しい。また、居たとしても彼らがnote編集部から強く推されることはないであろう。
私見になるが、にしうさはこれらの作品の出来に優るとも劣らない。noteでは気楽に読める作風のほうが支持されやすい。「栄光なきクリエイターたち」をお読みの方は既にわかっておられるだろうが、私は後ろ向きな作風を殊の外好む。
なお、ヘッダー画像には彩色したほうが、一覧で目を惹きやすくなるはずである。視覚的にはやはり明るいほうが吉であろう。
拙稿タイトルの「女はいたぶるもんじゃねえ」というセリフには、続きがあることをご存じか?TBSの大映制作ドラマ『スクール☆ウォーズ』で、松村雄基扮する大木大助が、自身を慕ってきた後輩の女子達を救い出すために、めんどくさそうにつぶやく。
「女はいたぶるもんじゃねえ、抱くもんだ」
シビれるほどにカッコ良かった。思わず松村雄基に惚れてしまいそうになった。誤解なきように、私は女性が好きであると宣べておく。
あなたも見つけよう。知られざる栄光なきクリエイターを。
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