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#72『薄明』12章:惑い⑤

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空港の喧騒を少し離れた、オープンカウンターのコーヒースタンド。

隣り合って座る麗奈と櫂の前には、紙コップから立ち昇るコーヒーの香りと、わずかな懐かしさが漂っていた。


「九条さんのところはどうですか。新会社は、やはり相当に忙しいのでは?」

先に沈黙を破ったのは櫂だった。
麗奈はカップを両手で包んだまま、「そうですねー」と苦笑い混じりに頷く。

「もう、毎日が戦いですよ。今までにない経験ばかりで。
……でも、すごく楽しいです」

そう言って笑う麗奈の横顔には、自立したプロフェッショナルの輝きがあった。

そしてふと申し訳なさそうに櫂を見て眉を下げた

「あの……私ずっと謝りたかったことがあって」

「謝りたいこと?」

「はい、何も考えず設立パーティーの招待状送っちゃったことなんですけど…。

……私、お二人の間のあんな複雑な事情、何も知らなくて。

九条さんは最後まで送ること迷ってらっしゃったんですけど、私が勝手に送っちゃったんです」


「……そうだったんですか」


櫂は低く笑った。その笑みには、自嘲の色が混じっている。


「いや、いいんです。
……正直に言うと、君を使って、彼が私と茉莉の関係を揺さぶりに来たんじゃないかと最初は疑っていました。
…そんな邪推をして、彼の意図を測りかねていたんですが……。
あのパーティーで九条さんがそんな姑息な真似をする人間じゃないとよく分かった。

ただ単に…、自分の小ささと臆病さを思い知らされました」

「櫂さん……」

「君が、彼の隣でその能力を存分に発揮できているなら、それが一番です。
……悔しいが、私は彼から学ぶべきことが山ほどある…」

ポツリと漏らした本音。

ライバルの凄さを認め、自分の弱さを直視する。

少し前の櫂には出来なかったことかもしれない。

「何を言ってるんですか、櫂さんには、櫂さんの良さがありますよ!
あなたは強くて誰よりも深く考え、確実に形にする力がある。

そこに九条さんのようなしなやかさが加わったら……それこそ、最強じゃないですか」

麗奈なりの、精一杯の励まし。

櫂は少しだけ目元を和らげた。

その表情に麗奈は少しだけドキッとして、慌てて目を伏せた。


「……茉莉さんはどうしてますか? お元気ですか?」

「あぁ……そうですね、最近は私が忙しくて、なかなかゆっくり過ごす時間がないのがもどかしいですが……。
元気にしている、と思います」

「……思います?」

麗奈は横目で櫂を覗き込んだ。

「彼女をまるで放っておいてしまっているので…。

実をいうと自分のことに必死で、彼女が日々何を考え、どう過ごしているのかわからない、ということに最近気づいたんです…。
家にいるとは思いますが、ずっと1人にさせているので…」

櫂は出張の前日、あのテラスで見た茉莉らしき横顔が脳裏をよぎっていた。

麗奈は少し心配そうに「…そっかぁ〜」とつぶやく

「余計なお世話かもしれないですけど……
茉莉さんほどの才覚がある人が、ずっと家に閉じこもっているのって、なんだかもったいない気がしますよね。

西園寺家の公務はあると思いますけど…それはまぁ、何ていうか義務っていうかお務めじゃないですか。

茉莉さんって自分の情熱でやりたいこととかないのかなぁ。

モルディブの時に見た現地の人とのコミュニケーションも、パーティーの時に見た、場を華やかせる力や社交力も本当に素晴らしかった。

あんなに人を惹きつける人、なかなかいないですよ。

……まあ、だからこそ、櫂さんはあんまり外に出したくないのかもしれませんけど」

「…………」

櫂は言葉を失い、冷めかけたコーヒーを見つめた。


図星だった。

彼女を誰の手も届かない場所に置いておきたいという独占欲。

彼女を守るという大義名分。

『あなたは何も心配しないで、こうしてこの家で穏やかに過ごしてください。そのために私は仕事を頑張れるんです。』

茉莉にかけた言葉が蘇る

彼女に家にいてほしいと明確に言ったことはないが、無意識にそう仕向けてきてはいないだろうか──


「……あ! すみません、変なこと言いました。本人がそれで幸せなら、全然いいんですよ?!
家を整えたり、誰かを支えることが好きな人や向いている人もいますから……」

慌ててフォローを入れる麗奈に、櫂は短く息を吐いた。

「いや……。今の君の言葉に、反論できない自分がいる。

……そうと口にしたことはないが、私は無意識に彼女を家に縛り付けているのかもしれない…。」

櫂はその事実に愕然としていた


「んー……もし、櫂さんがどうしたらいいのか分からないなら、本人に聞いてみたらどうですか?

 茉莉さんは、何をしている時が一番幸せなのかって」


本人に、聞く。

あまりにも単純で、けれど今の櫂が密かに恐れていたこと。

もし彼女の幸せが、自分の隣にいることではないのだとしたら──


「……そうですね。……機会があれば……話してみます」


麗奈は櫂の重い口取りに、彼の背中をバシッと叩いた

「…痛っ…何するんですか」

「ほら!そんな沈み込まないで!ラクにラクに!
今日はとりあえず早く帰ってあげてくださいよ」

相変わらず彼女の明るい笑顔には救われる

「……そうですね。ありがとう。

……今日あなたと話せてよかった。」

麗奈はその言葉を聞いて、嬉しそうに微笑んだ。少しだけ、寂しかったけれど。


搭乗を告げるアナウンスが流れ始める。

立ち上がった櫂の背中には、少しの迷いと、それ以上に茉莉に向き合おうとする覚悟が滲んでいた



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麗奈っていい子だよね。


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