#98『薄明』17章:開花③
前回のお話はこちら
大体のあらすじはこちら
その日も茉莉は夜まで予定が詰まっていた
最後はチャリティーパーティーの会場となる会員制ホテルの下見と打ち合わせ。
歴史と格式を誇る高級会員制ホテル『ザ・ロイヤルオリエンタル』。
琥珀色の間接照明が、重厚なマホガニーの柱と豪奢な絨毯を柔らかく照らし出している。
どこからともなく漂うかすかな白檀の香りと、東洋の神秘を感じさせるオリエンタルな設えは、西園寺の威信をかけたチャリティーパーティーの舞台として申し分のない品格を備えていた。
「本日は遅くまでありがとうございました。動線については、ご指示いただいた通りに再調整いたします」
「はい、よろしくお願いします。特に寄付者の方々の座席配置と、登壇者の導線が交差しないよう、もう一度シミュレーションをお願いしますね」
ホテルの支配人や現場スタッフたちに労いの言葉をかけ、茉莉は優しく微笑んだ。
誰よりも先に現地へ足を運び、細部まで決して妥協しない。
その熱意と誠実な姿勢は、確実に現場の心を動かしている。
スタッフたちの茉莉を見る目には、既に明確な敬意が宿っていた。
茉莉が打ち合わせを終え帰ろうとする頃には、時計の針がすでに21時を回っていた。
(あぁすっかり遅くなってしまった……早く帰らなきゃ)
櫂が家で待っている。そう思うだけでホッとして、足取りが自然と軽くなる。
メインロビーを抜け、エントランスへ向かおうとしたその時だった。
薄暗いラウンジの入り口付近に、見覚えのある背中を見つけた。
姿勢の良い、品のある歩き方
───稜真だ。
間違いない。
思わず茉莉は立ち止まり、手元のバッグを見つめた。
その底には、数ヶ月前、公園で泣いてしまった時に彼が差し出してくれた、あのハンカチがクリーニングされて眠っている。
彼にはあれ以来会えていない。
あんな姿を見せて、きっと心配をかけてしまった。
あの日のお礼と謝罪を伝えて、ハンカチを返そう。
もう、大丈夫だと──
そう思い、一歩前へ踏み出そうとした
――その瞬間だった。
茉莉の死角になっていた稜真の影から、一人の女性が静かに歩み寄り、彼の隣に並んだ。
茉莉は息を呑み、咄嗟に柱の陰へと身を隠す。
稜真の隣で静かに微笑むその女性は、息を呑むほど美しかった。
上質そうな品のいいワンピースに身を包み、凛とした横顔には確かな知性が漂っている。
ベタベタと甘ったるく寄りかかるような素振りは一切ない。
しかし、時折見せる流し目や、稜真の言葉に頷くわずかな仕草の中に、大人の女性特有の匂い立つような艶やかな色香があった。
ビジネスパートナーでも、親族でもない。
二人の間に流れる空気は、明らかに親密な男女のものに見えた。
稜真は女性の言葉に小さく頷くと、彼女の腰に手を添え、二人はそのまま並んで客室へと続くプライベートエレベーターに乗り込んだ。
音もなく扉が閉まり、二人の姿が完全に消える。
(…………)
静まり返ったロビーで、茉莉は一人、柱の陰に立ち尽くしていた。
彼に、新しい、大切な人が……?
茉莉は自分の動かない足元を見る
……本当に、素敵な女性だった。
不屈の精神で再起を果たした稜真の隣に並ぶのにふさわしい、落ち着きと品位を持った人。
それは、心から喜ばしいことのはずだった。
彼には幸せになってほしいと、本気で願っていたのだから。
それなのに。
それなのに安堵よりも、動けないほどショックを受けたことに茉莉は自分で驚いていた。
胸の奥で、奇妙な疼きが広がっていく。
ザワザワとした、黒くて冷たい感情。
(どうして……こんな……。)
痛いほどの自己嫌悪が、じわじわと浸水してゆき黒く染みを生んでいく
自分は櫂を選び、櫂を愛し、彼との未来を生きているのに
(どうして)
稜真が別の誰かを愛し、誰かの隣で安らぐことに、ショックを受ける権利など私にあるはずがないのに。
(どうして私はこんなにいやらしい人間なんだろう)
──心のどこかで、「稜真はずっと自分のことを好きでいてくれる」
「稜真には自分だけを特別だと思っていてほしい」と、無意識のうちに思い上がっていたんだ。
(どうして……私はこんなに傲慢で勝手な人間なんだろう……)
己の身勝手さと、底知れぬエゴイズムに、茉莉は吐き気がするほど嫌気がさした。
「……最低」
誰にともなく小さく呟き、茉莉は眉間にしわを寄せたままぎゅっと目を閉じて、そのどうしようもない感情を心の奥底へ封じ込めた。
今の私には、守るべき事業があり、そして、私を全身全霊で愛し、待っていてくれる人がいる。
過去を振り返って感傷に浸る暇なんてないのだ
バッグの底に沈むハンカチの重みから意識を切り離すように、茉莉は強く頭を振った。
そして、二人が消えたエレベーターにはもう二度と視線を向けることなく、夜の冷気が待つエントランスへと真っ直ぐに歩き出した。
この気持ちは私の中に埋めて、決して掘り返すことはしない。
そして本当に
消してしまうのだ。
消すんだ──
茉莉は無理やりその気持ちを押し込んで蓋をする
私は彼の新しい恋を、祝福する。
必ず。
必ずそうする。
帰ろう。私の居場所へ。
櫂の待つ、あの家へ――。
17章「開花」は今回で終わり、次から18章に入ります。
稜真が茉莉にハンカチを差し出した回はこちらですね
もしかしたら賛否両論あるかもしれない今回の茉莉…
てか稜真、その女誰ーーーーー!!!!
気になりますが、明日はあらすじまとめになります。
続きは明後日です。
楽しみにお待ちくださると嬉しいです🙇🏻♀️
※この物語はフィクションですので登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
