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#12『薄明』第三章:深淵②

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しばらくして櫂がトレイに乗せて運んできたのは、柔らかな白磁のカップに入った、新玉ねぎと新じゃがいものポタージュだった。

立ち上る湯気と共に、玉ねぎの優しい甘い香りが、澱んでいた寝室の空気をふわりと塗り替えていく。

​「お嬢様、お待たせしました。
まずは…温かいものを」

​櫂は茉莉の背中にそっとクッションを当てて上体を起こすと、丁寧に漉された淡いクリーム色のスープをスプーンですくい、その唇へと運ぶ。

​ひとくち、口に含んだ瞬間
茉莉の眠っていた身体が、胃の腑からゆっくりと目覚めていくのが分かった。

​(……温かい……)

​旬を迎えたばかりの新玉ねぎの瑞々しい甘みと、新じゃがいもの素朴で滋味深い味わい。

それは、春という季節が持つたくましい生命の力そのものだった。

カラカラに乾いた身体の隅々に、春の命の息吹が、ぽたりぽたりと染み渡っていく。

​生クリームの滑らかさが喉を通り、胃に届くたび、茉莉の瞳にじわりと涙が浮かんできた。

稜真との別れ、九条家の没落、不安、絶望、そして自分自身の無力さ、情けなさ…。

それらの痛みで麻痺していた心に、櫂の作ったスープが「そのままでいい」と語りかけてくるようだった。

​「……おいしい」

一口、また一口とスープを運ぶたび、茉莉の瞳から大粒の涙が溢れ出し、淡いクリーム色のスープに溶けていった。

それは、数日間の高熱でも出し切れなかった、心の奥底に溜まっていた澱のようなものだった。

空っぽだった心と身体が、春の慈愛で満たされていく。

あたたかくて

でも今はまだ、たまらなく痛い─



「……おいしい、櫂」

​茉莉は、櫂に支えられたまま、もう一口、静かにスプーンを迎え入れた。

「……うっ……」

嗚咽で喉を詰まらせ、スプーンを持つ手を震わせながら、茉莉は溢れる涙も厭わずスープを口に運び続けた

消えてしまいそうに儚い、けれど必死に「生」を啜る姿を目の当たりにした瞬間──

櫂は、茉莉を抱きしめた

痩せて、細くなった体を力いっぱい抱きしめた

不眠不休の看病で限界だったのは、彼も同じだった

苦しむ茉莉の姿を自分の身が切られるような思いで見つめ続け、このままもしかしたら、と、彼女を失う恐怖と戦い、ようやく「こちら側」に引き戻せた安堵が
執事という立場を超えて、なりふり構わずそうさせた

​茉莉は櫂の胸に顔を預け、彼の服をぎゅっと掴み返して子供のように大声をあげて泣いた。

​春のポタージュの香りと、櫂の体温。

​今はまだ、立ち上がる力はないかもしれない。

けれど、このスープの温かさと櫂の献身だけが、確かに茉莉を生へと繋ぎ止めていた。


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