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#13『薄明』第三章:深淵③

前回のお話はこちら

──夢をみていた


あれは高校生くらいの茉莉だ

悲しい顔をしている
…恋人と別れたらしい

「なんでかな」

沈んだ顔で遠くを見つめている

「いつも、私のこと分からないって言われるの。…僕のこと、ほんとは好きじゃないでしょって。…そんなことないのに」

人を好きになるって、どういうことなの?

茉莉は自分の気持ちが分からなくて悩んでいた

彼女に惹かれて並び立つ男は多かった

しかし誰ひとりとして茉莉を真に理解しようと深く入り込む人間はいない

『俺がいなくても余裕そうで、不安になる』

『僕には君しかいないのに、君は僕以外に大切なものたくさんあるみたいだね』

彼女の好奇心や学びへの興味を前に、男たちは自分の自信を失って去っていく

ああ、無理だよ
君等には無理だ

この人の、自由で大きくて優しくて美しい心を

どうして理解できると思うんだ

どうして自分の物に出来ると思うんだ




俺がいるのに




ハッと気づくと私は茉莉のベッドに突っ伏して眠っていた

カーテンからは朝日が射している

茉莉が泣きながらもポタージュを全て平らげると、彼女の手を握りながらもう一度寝かせ──

自分もそのまま朝まで眠りこんでしまったらしい

肩には毛布が掛けてあり、ベッドに茉莉の姿は無かった

「…お嬢様?」

私は靄がかかったような頭を無理やり起こし、リビングへ向かった

変な体勢で寝ていたので身体があちこち痛い

そこにはダイニングキッチンで出汁の香りを漂わせながら何かを作っている茉莉の姿があった

「…あぁ、櫂起きた?よく眠ってたからそのままにしてたの。
もうちょっと待ってて。今おうどん作ってるから」

​「……うどん、ですか」

​「そう、鍋焼きうどん」。

​茉莉がコンロの火を止め、土鍋の蓋を開ける。

立ち上る真っ白な湯気と共に、醤油と昆布の、懐かしい「日常」の香りがリビングに広がった。

​「座ってて。今運ぶから」

​「……いえ、私が…」

​反射的に体が動こうとするが、起きたばかりのせいか足元がふらつく

極度の緊張からの解放と、数日間の不眠不休。

そして何より、茉莉の心配ばかりしていて自分の食事が疎かになっていたことを、その芳醇な香りに今気付かされた。

​「いいのありがとう、今日は私に任せて」

茉莉にたしなめられ、櫂は椅子に腰を下ろした。

運ばれてきた土鍋の中では、少し煮込みすぎたのか、太めのうどんが柔らかそうに横たわっている。

その脇には、おにぎりが二つ。

​(炭水化物と炭水化物…)

​「……あ、おにぎり…やっぱり形、変? でも、中身はちゃんと梅干し入れたから」
少し心配そうに茉莉が言う

「いえ、全く…。きれいに握れていますよ。……ありがとうございます。そういえば私もあまりろくな物を食べていなかった」

私がそう言うと、茉莉はやわらかく笑った
「うん、そんな気がしてた。
……。この数日のお返し。

…食べて、櫂」

​促され、私は箸を取り熱々の汁を一口すする。

丁寧に取られた出汁の滋味が、縮こまっていた内臓に一滴ずつ染み渡っていく。

​「…………美味しいです」

​「……本当? 良かった」

​茉莉がホッとしたように、自分の分のうどんを啜り始める。

ふたりで並んで、湯気の向こう側で静かにうどんを啜る。

素朴な土鍋の熱がテーブルを伝って、二人の指先に伝わっている。

​櫂は、添えられたおにぎりを手に取った。

​一口噛み締めると、酸っぱい梅の味と共に、彼女の「生」の温もりが体内に流れ込んでくる。

​「……櫂? どうしたの、急に止まって。熱かった?」

​心配そうに覗き込む茉莉に、櫂は首を横に振った。

視界が熱い。

出汁の湯気のせいか、それとも…

​「……いえ。……あまりに、温かかったので」

​「…え?笑
温かいに決まってるじゃない」

​茉莉は屈託なく笑い、またうどんを啜る。

良かった…本当に。
櫂はほっとしていた

しかし茉莉は少しうつむいたまま静かに話し始めた。

「櫂、…ありがとう。この数日間。私を見ていてくれて本当に…ありがたかった」

「…当たり前です」

私は食べながら静かに答える

茉莉は箸を置いて、そのまま続けた

「……。ダメね、私は…。
もう多分、
人に愛されたり…人を愛することなんて……出来ないんだと思う。」

窓の外を眺めながら自嘲するように茉莉が言う

薄く笑ったつもりだったのかもしれないがそれがひどく物悲しく見えた

冬が終わり春の日差しが季節の移ろいを告げている

だが茉莉にはそれすら、自分を置き去りにしているように感じていた

その言葉の響きに何かを諦めたような虚無を感じ、櫂は思わず身を乗り出した

「そんなことはないですよ。
今は九条様の件があったばかりでそう思えないだけで、必ずまた時間が経てば…」

「…ううん。いいの」

茉莉が私のほうを向いて、感情のない人形のような白い顔をしている

そして思い詰めた声でゆっくりと告げた

「櫂…。
あなた、私から離れた方がいい…。

私のためにあなたの人生を犠牲にすること、ないわ。

櫂こそ誰かを愛して、家庭を作って……そして幸せになるべきなの。……なるべき…なのよ」


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