#2薄明スピンオフ『九条稜真の恋』
こちらの物語は、先日完結した長編恋愛小説『薄明』の番外編(スピンオフ)ですが本編をお読みになっていない方でも単体でお楽しみいただける内容になっていますので、本編未読の方もぜひ気軽にお読みください。
前回のお話はこちら
薄明スピンオフ『九条稜真の恋』
第二話
「……、エリカ……さん?」
思わず零れ落ちたその声に、女性がビクリと肩を震わせて振り向く。
「…………。九条……さま」
静まり返った美術館の、一枚の絵の前に立つ男女ふたり。
それは間違いなく、幻などではない、エリカその人だった。
互いに言葉を失い、時間が止まったかのように見つめ合う。
彼女はかつてのような夜用の装いではなく、上質なカシミヤのコートに身を包んでいたが、その気品ある佇まいと、聡明さを宿した涼やかな瞳は、稜真の記憶の中にある彼女のままだった。
「あ……っ…、久しぶり、……だね」
静寂に耐えきれず、稜真はわずかにうろたえながらも、どうにか声を絞り出した。
気の利いた言葉が何も浮かばない。
「こんなところで会うなんて……。あの、…僕のこと、覚えているかな」
「ええ、もちろん覚えています」
戸惑う稜真の姿に、エリカは 目を細め、かつて彼を癒やしたあの静かで柔らかい微笑みを浮かべた。
「本当にびっくり。こんな偶然があるんですね」
その懐かしい声の響きに、稜真の胸が高鳴り、ずっと冷たく凍りついていた何かが動き出していくのを感じた。
──その時、無情にも閉館の時間を告げるアナウンスが、高い天井に響き渡った。
『ご来館中の皆様にご案内申し上げます。まもなく閉館時刻となります。お忘れ物のないようお気をつけ、またのご来館を──』
順路の先にいたわずかな人影も、出口へと向かい始める。
このまま「それでは」と会釈をして別れれば、再び会えることは無いかもしれない。
(もっと、話したい。もっと…彼女と一緒に過ごしてみたい)
稜真の心が叫んでいる
しかし、自分は彼女にとってただの「元、客」だ。
昼間の彼女のプライベートな時間に踏み込めば、迷惑に思われるのではないだろうか。
それでなくても彼女はもうあの金銭を伴う仕事を辞めた、ただの一般の女性なのだ。
礼儀を重んじるなら、ここでスマートに身を引くべきだと思う。
ノーブルで控えめな稜真の理性が、警鐘を鳴らした。
しかし、足が動かない。
もう、後悔したくない。
誰かの幸せを遠くから願うだけの、諦めることばかりが上手くなってしまった自分は、終わりにしたい。
断る自由は彼女にある。
たとえここで迷惑だと断られたとしても、この手を伸ばさずに一生後悔することだけはしたくなかった。
「そ……そろそろ、閉館のようですね」
稜真はひとつ深く深呼吸をすると意を決し、真っ直ぐに彼女の瞳を見つめた。
「あの、もし……もしご迷惑でなければ、この後、少しだけお茶でもどう?」
緊張で声が上擦っているのが自分でもわかった。
それでも、言葉を止めることはできない。
「突然驚かせてしまって申し訳ないのだけど……少し、君の顔を見たら、久しぶりに話をしたくなって」
ただの客としての距離感を踏み越えた、一人の男としての言葉。
遠慮がちに誘ったつもりだったが、自分でも驚くほど、その言葉はストレートに口を突いて出ていた。
エリカは、その言葉に一瞬だけ目を丸くする。
相変わらず、不器用で誠実な人だと思った。
彼女は少し戸惑いつつも、嬉しそうに笑った。
「いいですね。……喜んで」
続く
よっしゃあ!!!!
続きは明日21時頃更新予定です
本編薄明を1話から読んでみたい方はこちら
あらすじもあるよ(長いよ)
エリカが出てくる章は18章「仮りそめの愛」です
お読みくださるともう少し深くスピンオフを楽しめるかも?!
明日もお楽しみに。
