#99『薄明』18章:仮りそめの愛①
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その女性はエリカと名乗っていた。
もちろん、それが本名ではないことくらい分かっている。
彼女を指名するのは、これが3回目だった。
初めて彼女を呼んだ夜、稜真はプロの女性を相手にする勝手が分からず、戸惑っていた。
先に彼女から口と手による完璧な奉仕で果ててしまった後、残された長い時間をどう過ごすべきか分からず、ただ純粋な遠慮と気まずさから、ベッドの上で彼女と他愛のない会話を交わした。
驚いたのは、彼女のその知性の高さだ
高級娼婦としてVIPを相手にしているだけあって、経済から芸術に至るまで話題が豊富で、言葉遣いには品位がある
その人柄に惹かれ、2回目は少しの迷いを抱えながらも、おそるおそる彼女と肌を重ねた。
……それは、驚くほど素晴らしいものだった。
彼女は稜真の微かな呼吸の乱れや、指先の動きを敏感に察知し、まるでピタリと調律された楽器のように、彼の欲望に寄り添って完璧な技術を提供してくれた。
柔らかい肌の温もりと、甘い吐息。
そこには確かな快楽があったが、互いに一切の心はない。
けれど、今の稜真にとって、その割り切られた関係こそが何よりも好都合だった。
心を求められないからこそ、ひりつくような孤独を一時だけ麻痺させ、無責任にその温もりに甘えることができたのだ。
──そして3回目の今日。
稜真は彼女を朝までの契約で呼んでいた。
茉莉がチャリティーパーティーを開く予定の由緒ある会員制ホテル『ザ・ロイヤルオリエンタル』のエグゼクティブルーム。
稜真は茉莉に目撃されていたことには全く気づいていなかった。
瀟洒で東洋的な意匠が施された重厚な室内、天井まである大きな窓の外には、皮肉なほど美しく煌めく東京の夜景が広がっている。
しかし、稜真の目にその光は一切届かない。
彼はネクタイを緩める気力すらなく、ベッドの端に深く腰掛けたまま、重い息を吐いた。
その日は朝から恐ろしく精神を削り取られる、最悪の一日だった。
午前中は、不正で破綻した父の会社、東都キャピタルに関連する終わりの見えない民事裁判を戦うための弁護士との打ち合わせ。
そして午後からは、父と兄の刑事裁判で法廷の証人席に立たされていた。
尋問はまるで自分が犯罪者であるかのように錯覚させ、プライドを容赦なく踏みにじっていく。
自分は父と兄から何も知らされていなかった。関与もしていない。
それでも九条の血を引き、あの会社の役員に名を連ねていたというだけで、世間からは今もなお根強く叩かれ続けている。
どれだけ自分が日々誠実にレガリアで実績を積み上げても、この呪いだけは影のようにまとわりついて離れない。
いくら今を必死に生きていても。
消えないのだ。
知っていたら止めたのに。
そんなことをしてはいけないと説得したのに。
しかしだからこそ自分は彼らから遠ざけられていたのだ。
───疲れた。
肉体ではなく、魂の根元が限界まで摩耗する。
このまま一人で夜を迎えたら、本当に狂ってしまいそうだった。
今日が彼女と会う日で良かった───
エリカはそんな彼の極限の疲労と、重い空気を察し取ると、音のしない足取りで静かに近づいた。
「随分と、お疲れのようですね……」
稜真の横に屈み、彼の膝に手を添える
ふわりと、高価で退廃的な香水の香りが漂った。
エリカの白く滑らかな指先が稜真の首元に触れ、手慣れた丁寧な仕草でネクタイの結び目を解いていく。
肩に手を添え、重いジャケットをそっと滑らせるように脱がせる。
大人の余裕と、その極上の手つきに、稜真は固く閉じていた目をわずかに開いた。
「今日は……少し激しくしても、いいかな」
すがるような
絞り出すような稜真の言葉に、エリカは動じることなく静かに微笑んだ。
「ええ…九条様。あなたの望むままに」
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女性の肌で心を癒やしていた櫂をずっと見下していた稜真だけど、同じことをしている──そこに至る過程をいくつか伏線として過去に書いてきたつもりです(↓この回とか)
これとか?↓
まだあった気がするけど見失った。
結論
その立場になってみないと分からないこともある
ちなみに稜真のお父さんの会社が粉飾決算と不正送金等で強制捜査を受けた時のことは第二章になります
この事件のせいで稜真は茉莉との婚約を解消したのでした
あらすじでもサクッと読めるけど、未読の方はよかったら1話から読んでみてくださいね!
