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#8薄明スピンオフ『九条稜真の恋』

こちらの物語は、先日完結した長編恋愛小説『薄明』の番外編(スピンオフ)ですが本編をお読みになっていない方でも単体でお楽しみいただける内容になっていますので、本編未読の方もぜひ気軽にお読みください。

前回のお話はこちら


薄明スピンオフ『九条稜真の恋』
第8話




「仕事も会社も軌道に乗って、少し時間ができたとき……ふと思ったんです。個人的な、ある『実験』をしてみよう、って」


「実験?」


理華は、艶然とした笑みをその唇に浮かべ言った。

「…ええ。それがあの高級娼婦ハイエンドエスコートのお仕事だったんです」


稜真の、フォークを持つ手が思わず止まる。

理華はそんな彼の反応を見て、ひとつの問いかけを落とした

「…稜真さん。一泊で何百万もするスイートルームを何日も連泊したり、人気のテーマパークを丸ごと貸し切ったりするような、そんな超富裕層の方々が、最終的に『一番喜ぶこと』って何だと思います?」

稜真は言葉に詰まった。

金さえ出せば世界中のどんなものでも手に入る人間が、最後に求める喜び。


「……そうだな……。モノはもう、いくらでも手に入るだろうから……。お金では買えない『体験』……とか、そういうものかな」


迷いながら答える稜真に、理華は小さく頷いた。


「そうですね。体験や、時間というものをとても大切にされます。
それからこちらの『熱意』や『想い』とか…、そういう目に見えないものも。

でもね、その喜びは『ご自分のため』ではないんです。

彼らはいつも、ご本人のいちばん大切にされている方が喜ぶ姿を見て、そこに何よりの幸せを感じていらっしゃるように思います。そのために大金を使う。

例えばお子様だったり、奥様、大切なパートナー……。


あ…すみません、ワインをもう一杯いただいてもいいですか?」

気づけば2杯目のグラスもいつの間にか空になっていた。

「ああもちろん。ごめん気づかなくて
​……次は、少し重めの赤にしようか?せっかくだから、お肉も何か頼む?」

「いいですね。私ももう少し食べたくて」

​「じゃあ、鴨のローストなんてどうかな。バルサミコソースの」

​理華が言葉を発するより早く、稜真が提案したメニューは、まさに今彼女が口にしようとしたものだった。

一瞬だけ驚いたように理華が目を上げ、「ふふ」と嬉しそうに微笑む。

​「……不思議。今、ちょうど同じことを言おうとしていました。私、鴨が大好きなんです」

​「本当に? 良かった、僕もなんだ。」

2人は同時に笑った。

酒や食事の趣味、タイミング、それが驚くほど同じで心地良い。

まるで何度も食事をしたことがあるかのようなシンクロ。

稜真が手を挙げて、店員を呼んだ。

「鴨のローストバルサミコソースを。それと…ワインは今度は少し重めのものを…このピエモンテのバローロをグラスで二つ、お願いします」

しばらくしてクラシックなボルドー色の、ずっしりとした重厚なワインが二人のグラスに注がれる。

芳醇でスパイシーな香りと、香ばしく焼き上げられた鴨肉の芳しさがテーブルに満ちる中、理華は先ほどの話を静かに続けた。


「先程の続きですが……そういう、社会のトップに立つエグゼクティブな方々は、自分の直接的な欲望を満たすことなんて、もう散々し尽くしていらっしゃる。

だからこそ『大切な人の喜び』こそが、最後の喜びになるんです。

…でも、そんな幸せの絶頂にいるような人たちの、心の底にある、澱のような孤独を垣間見ることがよくありました。

あるいは、『大切な人』を見つけることが出来なくて、誰も信じられず乾ききっている人も……」


重いワインを一口含むと、理華は少し遠くを見るように続けた。


「彼らの本当の孤独を覗いてみたかった…。

寂しさを抱えている人の苦しみに、限界まで寄り添って、それを癒やすことはできないのか、知りたかったんです。

……人がうっかり、頑なに閉ざした心を開いてしまう瞬間って、お互い無防備に身体を開いている時なんじゃないかって、短絡的だけどそう思ったの」

理華は自嘲気味に目を伏せて肩をすくめた。

「どうかしら。本当に、悪趣味な実験でしょう?」


「………。」


「……信頼のできるエージェントを探して、本業に支障が出ない範囲で細々とやってみました。

でもね、半年もしたら分かってしまったんです。

一時的に身体や言葉でひとを癒やすことはできても、その方が抱える困難や傷を乗り越えるのは、結局、その本人が『そうしたい』と決意して、自分で動くしかないんだって。
驚くことにずっとその場所に留まることをあえて選んでいる人…そこにいる自分が好きな人もいるんです。

私にできることなんて、何一つなかったのだと悟りました。

当たり前ですよね。

だから、…半年で辞めてしまったんです。

馬鹿なことをしました」

理華は憂いを含んだ表情で微笑んで手元を見つめていた。

自分の傲慢さと無力さを突きつけられて辞めたのだと、そう告白する彼女に対して──稜真は、まっすぐに理華を見つめ、静かに強く首を振った。


「……、そんなことはない。それは違うよ、理華さん」


「え?」

理華が顔を上げる。


「確かに、最終的に自分の傷を治して立ち上がるのは、本人にしかできないことかもしれない。

でもね

……僕は、間違いなくあなたに救われた。あなたのおかげで、僕はまた明くる日を生きる活力をもらったんだ」

稜真の真摯な言葉に、理華の呼吸がかすかに止まる。


「そしてそれは……誰にでもできることじゃないんだ。

……すごく恥ずかしい話を今からするよ。本来なら、女性にするような話じゃないけれど……」

稜真は一息吐いて、逃げずに理華を見つめた。

「あれから僕は、あなたに貰ったようなあの『癒やし』を求めて、夜の女性と身体を重ねたことが、
……実は何度かある。

でも、あなたほどの人はいなかった。誰も、僕の心まで慰めてはくれなかった」


稜真の、少し不器用で、けれど嘘偽りのないまっすぐな告白。


「それはきっと、あなたがその半年間、うわべなんかじゃなくて……心から目の前の人を救いたいと、その孤独に本気で寄り添いたいと願っていたからじゃないのかな。

だからこそ、僕はあの日、救われたんだ。
君が……心に触れてくれたから。

君がしてくれたことは、決して無駄なんかじゃない。
僕は前に進む勇気をあなたにもらったよ。
……感謝してる」


理華の胸の奥で何かが、稜真の「太陽」のような温かさに触れて、やわらかく融け出していくのが分かった。


「……、……」


誰にも言えない、決して褒められた方法ではない「傲慢な実験」という過去を、稜真は「温かい寄り添い」として、丸ごと赦し、肯定してくれた。

見下すことも、蔑むこともなく。


「ありがとう……ございます。」


理華は目を伏せ、喉がぐっと詰まるのを感じながら、ようやくひと言そう言った。



続く


次回は明日21時頃更新予定です


薄明の物語を第一話から読んでみたい方はこちら

あらすじもございます

理華(エリカ)が出てくるのは18章「仮りそめの愛」です

よろしければこちらだけでもお読みくださると、スピンオフをもっと深く楽しめるかも!

それではまた明日


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