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#12薄明スピンオフ『九条稜真の恋』

こちらの物語は、先日完結した長編恋愛小説『薄明』の番外編(スピンオフ)ですが本編をお読みになっていない方でも単体でお楽しみいただける内容になっていますので、本編未読の方もぜひ気軽にお読みください。

前回のお話はこちら



薄明スピンオフ 九条稜真の恋
第12話


​彼の名は吉田と言った。
高校の時の同級生だ。


​理華の通っていた高校では一年生の時、授業が始まる前の十五分間、「朝の読書」という時間が設けられていた。

それぞれが好きな本を持参し、静かにページをめくる。

周囲の生徒たちが話題の小説やエッセイ、あるいは自己啓発本を眺めている中で、理華が机の上に広げていたのは、大人が読むような経済誌だった。

​世の中のお金がどう動き、どんな思惑で世界が回っているのか。
社会の構造そのものを解き明かすような記事を読むのが面白かった。


​そんなある日、理華の視線がふと、斜め前の席に座る男子の手に留まる。

​彼が読んでいたのは、高校生が持ち込むにはあまりに不釣り合いな、分厚い株式投資の専門書だった。


『株入門』『目指せ一億円・資産運用テクニック』『チャートの読み方とトレンド分析』──。


​他の生徒たちとは明らかに一線を画していた。

変わったやつだな、と純粋に興味が湧いた。


​「それ面白いの? 」

​理華は声をかけた。


​「すげえ面白いよ」

​吉田は、自分の読んでいる本に興味を持ってもらえたことが心底嬉しそうに、白く整った歯を見せて笑った。

​「ずっとアプリのゲームで株のシミュレーションしてたんだけど、中3の時、親を必死で説得して親権者の同意ってやつをゲットして自分の口座を作ってもらったんだ。
小遣いとバイト代で運用してるんだけど、これが結構いい感じでさ」


​それからというもの、朝の十五分間が終わると、2人は自然と投資の話をするようになった。


​吉田は夢中で株の魅力を理華に語った。

単なるギャンブルではなく、企業の未来や社会の潮流を先読みする楽しさ。

決算書という数字の裏に隠された経営者のドラマ。

チャートの規則性を読み解き、自分の予想通りに市場が動いた瞬間の、何物にも代えがたい万能感──。

​彼の言葉に背中を押されるようにして、理華も自分の口座を開設し、小さく運用を始めた。


​「藤江、お前まじで才能あるよ。筋が良すぎる」


​自分の分析を吉田に褒められるのが、理華はただ素直に嬉しかった。


​彼との時間は、特別だった。


けれど、吉田はバスケットボール部で、マネージャーの彼女がいた。

中学校の頃から付き合っているのだという、誰が見てもお似合いの二人。


​自分にもサッカー部の彼氏がいた。

吉田は何の悪気もない笑顔で理華にこう言う。

​「藤江って喋りやすくて頭いいし、なんか『女』って感じがしないんだよな。だから一緒にいて、めっちゃラク」




やがて吉田と理華は同じ大学に進学した。

​2人は最初、投資サークルを立ち上げた。

高校生の時に稼いだちょっとした資金を出し合い、学生起業のような形で小さな会社を作って運用する。

​そして「共同運用トレードチーム」として役割分担をした。

吉田がマクロ──市場全体の流れを読み、理華が得意の緻密な分析やリスク管理を行って、1つの運用戦略で実績を上げていく。


​時代もあったのだと思う。 

当時の市場は空前の上げ相場の只中にあり、二人が仕掛ける投資は驚くほどの精度で当たり続けた。

​気付けば、学生の小遣い稼ぎの域を遥かに超え、数億という単位の資産が転がり込んでいた。

いわゆる「ひと財産」を、若さゆえの無敵感とともに築き上げてしまったのだ。


​手に入れた莫大なお金で、2人はまず、分かりやすい欲を満たしていった。

学生には不釣り合いな高級時計に、ブランド物の服やバッグ。

欲しいものは何でも簡単に手に入った。

そして東京の一等地に建つ広々としたタワーマンションをそれぞれ好きに借り、外車のステアリングを握って大学に通った。

誰もが羨む圧倒的な成功。

今思えば、心底生意気な学生だったと思う。


​けれど、物欲を満たす遊びは、すぐに飽きがきた。

​次に二人が夢中になったのは、「旅」である。

大学の講義を抜け出し、ファーストクラスに飛び乗っては、世界中のラグジュアリーホテルを巡った。

見たこともない絶景を眺め、最高の料理を味わい、極上の空間で語り合う。

​楽しかった。間違いなく、最高の青春だった。


……だが、煌びやかな世界の中心で、二人はどこか決定的に孤独だった。

​金が増えれば増えるほど、周囲の人間が向けてくる視線にはろくでもない欲望や計算が混ざるようになる。


純粋な人間関係なんて、とっくにもうどこにも見当たらなくなっていた。



​サントリーニ島の、世界一美しいと言われるイアの夕暮れ。

断崖に建つホテルのプライベートテラスで、二人はワイングラスを片手に、エーゲ海にゆっくりと沈んでいく茜色の太陽をぼんやりと眺めていた。


​「吉田〜。あんた、また彼女と別れたんだって? 
今度こそいい子そうだったのに……」


​エーゲ海を染め上げるオレンジ色の光に照らされて、吉田は笑った。


​「言うなよ……。

あーきれいだな、夕日。
世界は何て綺麗なんだよ。

……こんなに綺麗なのになぁ。」


吉田がしんみりとつぶやく


「……なんかさ、金を稼げば稼ぐほど、純粋に人と付き合えなくなっていく気がするんだよな。
みんな、俺じゃなくて『俺の持ってるもの』を見てる気がする」

​「んー……。まあ、わかる」

​グラスの脚を指先で弄びながら、理華は小さく頷いた。

実のところ、理華もまた、付き合っていた彼氏と別れたばかりだった。


​「……お前だけだよ。ずっと変わらずに、俺のそばにいてくれるのは」


​吉田がふと、眩しそうな目で理華を見つめ、柔らかく笑いかけた。


​「何よそれ」


​可笑しそうに鼻で笑ってみせたけれど、胸の奥がぎゅっと甘く痛んだ。


​「まぁね。私たちはこれ以上ない最高のパートナーだし。

…ねえ!いっそのこと二人で本気の会社作ろうよ。
例えばさ、私たちが今まで体験してきたみたいな、特別なラグジュアリー旅をプロデュースするの。富裕層とかに絶対需要あると思うんだよね」

​「おっ?!それ、すごくいいな」

​吉田は楽しそうに身を乗り出して目を輝かせた。




​──私は、吉田が好きだった。


そして自惚れかもしれないけれど、きっと吉田も、私のことを特別に思ってくれているはずだった。

​でも、今はこれでいい。

​二人でいろんな人と恋をして、傷ついて、遠回りをして。

そうして最後には「やっぱり、お前じゃなきゃダメなんだ」って行き着くパターンなんだろう、私たちは。


​いつか。

あと5年か、10年か。

もしかして20年?いや、それはさすがにもうちょっと早い方がいいかな。

いっぱい遊んで、二人とも大人の分別がついて落ち着いた頃に、きっとそうなる。

たぶんね。





続く



次回は明日21時頃更新予定です



理華が会社を起業した経緯は第7話にあります
あわせて読んでいただくと、より深く今回のシーンが染み入るかと思います…。


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