#6『薄明』第二章崩壊①
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翌日、櫂と私は予定通り、父が入院している高台の総合病院へ向かった。
最上階の特別室。
ホテルのスイートのような静寂さをたたえたその部屋には革張りのソファや重厚なデスクが備え付けられている。
「失礼します」
櫂がノックして病室の扉を開くと、点滴をしながら横たわる父と、その横には父の再婚相手─美智子が側に控えていた。
父が美智子と再婚したのは私が大学を卒業してからだった。
元は父の秘書をしており、長年私とも親交のある女性だ。
母亡き後、櫂は気の毒なことに私の兄代わりとしてだけではなく、母としての包容力まで担うことになってしまった。
私に絵本を読んでやり、勉強を教え、髪を結い、身なりを整え、雷が鳴れば怖がって泣く私に寄り添い、寝かしつけた。
しかし私の胸が少しずつ膨らみ始めた時や、初潮を迎えたときなどは、父も櫂も途方に暮れ、父が美智子に頼んで下着や生理用品の買い方などの世話をしにきてくれていたのだ。
いつから2人がそういう関係になっていったのかは定かではないが、私の面倒を頼む過程で親交が深まったことはおそらく間違いない。
そして私が大学を卒業するまで籍を入れないでいたのは、きっと私に気を遣っていたのだろうと感じていた。
だから、という訳では無いが、私はその時に「ひとり暮らしをしたい」と申し出た。
もう私のことなど気にせず2人で仲良く暮らして欲しかったからだ。
2人は最初反対したが、自立もしたかったし、家事は花嫁修行の練習にもなるからと食い下がると
西園寺グループが所有するセキュリティの強いマンションに住むことと、護衛代わりに櫂を連れて行くことを条件に許してくれた。
「お父様、体調はどう?
ごめんなさい美智子さん、父のこと任せっきりで。」
「とんでもないわ茉莉さん
櫂も、忙しいのにありがとうね。もうじき先生がいらっしゃると思うから、掛けて待っていて」
美智子の表情を見ても、父の様態が安定していることが分かる。
「悪いな、大したことはないからわざわざ来なくても、電話で報告するだけでも良かったんだが。」
「みんなあなたが心配なんですよ」
美智子が父に微笑みかけた
その時、ドアがノックされ医師と看護師がタブレットを持って入ってきた
「すみません、お待たせしました。皆さまお揃いですか。
西園寺様、体調はどうです?変わりありませんか。」
医師は軽く父の様子を確認すると、現在の病状を説明し始めた
「先日検査しましたが、薬の効きが非常にいいですね。
点滴に切り替えて正解でした。
ご覧の通り、患部の赤みも引き始めています。
幸い、気づくのが非常に早かった。
この段階で叩けていれば、懸念される神経痛などの後遺症もまず残らないでしょう。」
部屋にホッとした空気が流れる
「痛みはもしかしたらまだある程度続くかもしれませんが、峠は越えました。
ただ西園寺様、帯状疱疹は過度のストレスや過労が引き金になります。
数値は改善しましたが、今無理をすれば、また別の形で体に出るかもしれません。
検査の結果も良好ですし、もう数日はこの静かな環境で、何もしないで養生することに専念してください。それが一番の薬です」
美智子が安堵して、父の肩に手を添える
「ほら…征嗣さん、先生も同じことおっしゃるでしょう。たまにはゆっくり過ごしてください。
…困るのよこの人、病室でもずっと仕事しようとしてて」
美智子が困った顔で私たちの方を見る
櫂が父をかばうように口を開いた
「旦那様は責任感が強くていらっしゃいますから。
…しかし少し休んだほうがいいのは確かです。
旦那様が思っているより現場はしっかりしていますよ」
櫂は高校を卒業すると大学に通いながら西園寺グループで仕事の英才教育も受けていた
元々男の子を欲しがっていた父にとって櫂は息子のような存在でもあったのだろう
私が生まれる前に2度流産していた母は、私を産むとさらに身体を弱くし、それ以上の子供は望めなかったのだ
櫂は大学院を卒業してからは父の会社でしばらく働き、海外プロジェクトにも参加したりしていた。
それが私がひとり暮らしをする、ということになって私の護衛と執事を兼任するようになり──
今は主にリモートで仕事に携わっている
「それにしても、1日中病室で何もせずに過ごしていると気が弱くなるな。
丈夫だと思っていたが、自分もそう長くないと思わされる。
死ぬ前にお前の花嫁姿を見てみたいものだが。
九条家の…稜真くんとはどうなんだ。交際してしばらく経つだろう」
突然の方向転換に私は虚を突かれ慌てた
「お父様…」
しかしこれはいい機会だ
容態は安定しているし、病室でするにも悪い話題じゃない。
そして父も美智子も、そして…櫂も。全員いる。
私は稜真からのプロポーズを受けたことをこの場で報告することに決めた
「あの…そのことで実はお父様にご報告が…。
つい昨日なんですが…、稜真さんにプロポーズをされまして」
「え?!!」
三人がほぼ同時に声をあげた
「あ…っ…。
あの、それで、お父様が無事退院されて少し落ち着いた頃に、稜真さんから正式にお父様へ連絡が行くかと思うのですが…
その…そういう流れになりました」
私が赤くなって照れくさそうに言うと
まず私に抱きついて喜んだのは美智子だった
「まぁあ……!!!!茉莉さん!!なんて喜ばしいニュースなの!本当におめでとう!!」
「美智子さん…!ありがとうございます」
父も起き上がって声を弾ませた
「そうか…!それは……早く治さなきゃいかんなこんなもの。
してやりたいことは山ほどある。」
今にも点滴を抜きそうな勢いだ
そして──
涙目の美智子にブンブンと手を握られながらちらりと櫂の方向を見る
櫂は私の視線に気がつくとハッとしたような顔をして、そのまま完璧な笑みを浮かべた
「……そうでしたか、昨日そんなことが…。
おめでとうございます。」
「ありがとう、みんな」
全員こんなに祝福してくれてる。
やっぱりこの判断は間違っていないんだ。
私は両親の喜ぶ姿を見て少しホッとした。
父にはくれぐれもゆっくり過ごすよう念押しして病室を後にし、
私は帰りの車の中で稜真にメッセージを送る
『稜真さん、今日病院へ行きました。父は快方に向かっているようです。
結婚の話、両親に軽く話をしておきました。
みんなとても喜んでくれました。退院日が決まったらまたすぐに連絡しますね。』
(うん…、これでよし)
私はスマートフォンをバッグに入れて、軽く目を閉じた
いよいよ私の人生が少しずつ動き出してゆく
もう後戻りは出来ない
進もう、前に。
車窓に流れる景色を眺めながら私はそう誓った。
しかし
前に進むと誓った彼女の決意を嘲笑うかのように、
そのメッセージは、その日いつまで経っても既読に変わることはなかった─
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