人生はゲームだった~60代、瞑想で“自作自演”に気づく
「人生はゲーム」???と言われても、
真面目に生きてきたのに、
なんでそんな小馬鹿にしたようなことを言うの?
と腹が立っていた。
ずっと納得できなかった。
でも、これはふざけた言葉ではなく、
自分の内側の“しくみ”のことだったのだ!!と、
瞑想を続けるうちにようやく
わかったのです。
最初にその言葉を聞いたのは
いつだったのか?
もう覚えていませんが
「人生はゲーム」という響きに、
ずっと違和感がありました。
私は常に何かを頑張って
手に入れようとする人生を
生きてきました。
こんなに真面目に、
必死に生きているのに、
辛いことも悔しいことも
涙が出るほど頑張ってきたのに、
それなのに「人生はゲーム」
と言われると、
どこかバカにされたような気がして。。。
「ふざけんじゃない!!」
と、心の奥で反発していました。
でも、そんな私が瞑想を続けるうちに
この言葉の本当の意味が
少しずつ見えてきました。
それは、「人生を軽んじること」
ではなく
「どんな出来事も、
自分の意識が創り出している」
と、いう真理に触れることだったのです。
先日、グループ瞑想会に
参加したときのこと。
「本人が気づいていなくても、
その人の思っていることは
周囲にだだ漏れしている」
というお話がありました。
与えようとしているのに、
実は「ちょうだい」のエネルギーを
放っている。
欠乏感が、無意識のうちに
外へあふれてしまう。
その言葉を聞いた瞬間、
胸の中に小さな痛みが走りました。
ああ、私もずっと「ちょうだい」の
エネルギーで生きてきたのかもしれない。
でも、そのあとふと、こうも思いました。
……反対に、満ちているエネルギーも、
同じようにだだ漏れしているのでは?
そう気づいた途端、
「自分には何もない」と思い込んできた
長い年月がふっと軽くなったのです。
よく思い出してみれば、
私の周りにはこう言ってくれる人が
いました。
「うららさんがいるだけで安心する」
「あなたの部屋に来ると落ち着く」
なにかしているわけではないけれど
その一言で場が和むからいいと云われたり
おしゃれな空間ではないけれど、
なぜか居心地がいいと云ってくれる。
でも当時の私は、それを本気で
受け取れませんでした。
「自分には価値がない」という
思い込みが強すぎて
その言葉をスルーしていたのです。
でも、実はそれが
私のギフトだったのです。
私が欲しいと思っていた
安心感やぬくもりを、
私はすでに人に与えていた……。
そう思った瞬間、
胸の奥にふわっとあたたかいものが広がりました。
まるで幸せの青い鳥のように
欲しいと探していたものは
最初から自分の中にあった。
それなのに、外の世界に探しに出て
「どこにもいない」と嘆いていた……
そんな滑稽さに、ようやく気づきました。
瞑想を重ねていくうちに、
人は誰でも本来、完全な存在なのだ
と、実感するようになりました。
その完全さを思い出していく
プロセスこそが、
「人生はゲーム」と言われることの
本当の意味だったと気づいたのです。
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もともと持っている宝物を
一度自分で隠して、
隠した場所を忘れてしまう。
そしてまた、探しに出る。
それがこの人生という“自作自演のゲーム”。
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そう思うと、私はどうやら
その宝物の隠し場所の難易度を
わざと高く設定していたようです(笑)
でも、それもまたこのゲームの
面白さなのでしょう。
見つけたときの喜びを味わうために、
自分で仕掛けた謎解きだったのかも
しれません。
60歳を過ぎたいま、ようやく私は
このゲームのルールを理解しはじめて
います。
焦らなくても、間違っても大丈夫。
どんな道を選んでも、それはすべて
「自分というプレイヤー」の物語の一部。
瞑想を通して静かに内側を
見つめるようになって、
「欠乏感」も「安心感」も、
どちらも私の中のエネルギーの
現れだとわかりました。
そう思えるようになったら、
人生がすこし軽くやさしく
感じられるようになりました。
これからも、このゲームの続きを
笑いながら、泣きながら、楽しんで
いけたらと思います。
あなたの中にも、
まだ見つけていない宝物が
きっと静かに眠っています。
