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すべては自分が映し出している~“目が映写機”だったと気づいた日

瞑想を続けていると
知識としてわかっていたことが、
ある日ふっと「体でわかる」
瞬間があります。



それはまるで、霧の中から光が
差し込むように、
自分の内側と外側の境界が溶けていく感覚。
ある日、その感覚を体験しました。


すべて自分が創り出している。
知識としてわかっていたことが
体感として腑に落ちたのです。
それから気づきが加速しています。

見えていると思っていたものは、
実は「目で見ている」のではなく、
内側が感じるエネルギーを、
目が“映写機”として投影している。

ハートの中心から、体の真ん中を通り、
頭を抜けて目へと上がっていく光。
その目がスクリーンに映すように、
世界を投影している。。。
そんなイメージが浮かびました。

私はこれまで
「外側にある世界を見ている」
と、思い込んでいました。
けれど、実際は
「目を通して世界を出している
投影しているのは、
いつも自分の内側だったのです!

だから、同じ人を見ても
嫌な気持ちを抱くときもあれば、
何も感じないときもある。
それは、相手ではなく
自分の中にあるものが
映し出されているだけ。

だとしたら、心の中にないものは……
(本当はないのではなく「ある」のだけど)

幸せの青い鳥のように
「ない」と思いこんでいるので
投影されない
だから“見えない”のだ!!(盲点)
とも気づきました。

望むことを思い描く、イメージする、
目的を持つことの大切さ。
それは「外に向かうこと」ではなく、
「内側を整えて世界を創る」ことでした。

知識として理解していた
よく云われている
“投影されている”ということが
体感として静かに腑に落ちたのです。

そして、気づきに体感をともなう
体で感じることの重要性を
いま身に沁みて感じています。

体感をともなえるようになったのは
瞑想を続けているからにほかなりません。
これはもう間違いないことで
自然の摂理にかなっているから
ではないかと思います。

このような
気づきや体感の記録を綴っているのが
うららの備忘録です。


↓こちらに外側の出来事も“自分の内側がつくる映像”だったと気づいた体験を綴っています。


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